矜持:簡単に言えば「自身の誇り」ですね。
私は、子供たちのことを把握すること、常に子供たちに寄り添うこと、そして子供たちの能力が今よりも一つでも伸びるように導くことを、指導者の矜持として胸に抱いています。
たとえば、分からない時の行動一つとってみても十人十色です。
すぐに「わかりません」と言う生徒。ちらちらこちらを見る生徒。何回間違えても絶対に聞きに来ない生徒。時計を見ながらサボるか頑張るかを判断する生徒。隣のお友達に聞く生徒…。みんな個性の塊です。
そして全員の個性をできる限り把握して、適切なタイミングで指導する。簡単なようでとても難しいのです。私にはこれがきちんとできているのか、いつも自問自答です。
そして、この「子供たちを把握して教える」という裏には、もう一つの矜持があります。それは
「子供だから言ったってわからないだろう」とか「だまって意味が分からなくても、先生の言うことを聞いていればいい!」とは考えていないのです。それは生徒が年中さんであっても、高校生・大学生であっても変わることはありません。
そして、いつも指導している中身を自分自身で吟味しなおします。「ひとりよがりになってはいないか?」
だから、保護者の皆様との懇談会は非常に私にとっては意味があります。お叱りを受けることもありますし、お褒めの言葉をいただくこともあります。そして、常に批判の目にさらされながら、提供する中身をよりよくする。子供たちの将来をお預かりする立場の者であれば、当たり前のことです。
前回の「愚痴」に書きましたが、こんな当たり前のことがすっぽりと抜け落ちている教師がいます。そんな教師には早く教育現場から退場してほしいものです。だって矜持が「自分のプライド」であって、「子供たちを伸ばす」ではないんですから!
私は珠算教師と言う立場で、小学校のそろばん出前授業のボランティアに参加しています。いままで20名以上の校長先生とお話してきました。その中で特に印象深い先生がお二人おられます。
お一人は「校長の仕事は責任を取ること。だから先生方に極力任せます。でも任せることができない先生もたまにはいます。そんなときは自分の目で確かめます。そしてその先生を、私が任せることができる先生に育てていくこともまた、校長の務めなんですよ。校長は『先生の先生』である必要もあるんですよ。」と仰いました。
もうお一人は「このあと、前任校の生徒で気になる子がおるんで、会いに行くんですわ。不登校になってしまった生徒がいましてね。でも学校とのつながりを切りたくないんですわ。お前を心配してる人間がおるんやぞと。伝え続けなあかんのですわ。教師は『お前が俺にとって大切や』という気持ちを持ち続けなあきません。この気持ちがなくなったときは、教師を辞めるべきですわ」と仰いました。
今、子供たちに対して「自分の都合」で向き合っている教師の方、「上記のお二人の校長先生のもとでは働けない」と感じた教師の方は、可及的速やかに教育の現場から退場してください。そして、子供たちのことを常に考えることができる方だけが、教育の現場に立つようになってほしいと願います。
私は、子供たちのことを把握すること、常に子供たちに寄り添うこと、そして子供たちの能力が今よりも一つでも伸びるように導くことを、指導者の矜持として胸に抱いています。
たとえば、分からない時の行動一つとってみても十人十色です。
すぐに「わかりません」と言う生徒。ちらちらこちらを見る生徒。何回間違えても絶対に聞きに来ない生徒。時計を見ながらサボるか頑張るかを判断する生徒。隣のお友達に聞く生徒…。みんな個性の塊です。
そして全員の個性をできる限り把握して、適切なタイミングで指導する。簡単なようでとても難しいのです。私にはこれがきちんとできているのか、いつも自問自答です。
そして、この「子供たちを把握して教える」という裏には、もう一つの矜持があります。それは
頑張った先に見えるものをきちんと伝えること
今させられていることの意味をできるだけ伝えること
つまり、相手が何歳であろうと同じ一人の人間として尊重し向き合うこと
今させられていることの意味をできるだけ伝えること
つまり、相手が何歳であろうと同じ一人の人間として尊重し向き合うこと
「子供だから言ったってわからないだろう」とか「だまって意味が分からなくても、先生の言うことを聞いていればいい!」とは考えていないのです。それは生徒が年中さんであっても、高校生・大学生であっても変わることはありません。
そして、いつも指導している中身を自分自身で吟味しなおします。「ひとりよがりになってはいないか?」
だから、保護者の皆様との懇談会は非常に私にとっては意味があります。お叱りを受けることもありますし、お褒めの言葉をいただくこともあります。そして、常に批判の目にさらされながら、提供する中身をよりよくする。子供たちの将来をお預かりする立場の者であれば、当たり前のことです。
前回の「愚痴」に書きましたが、こんな当たり前のことがすっぽりと抜け落ちている教師がいます。そんな教師には早く教育現場から退場してほしいものです。だって矜持が「自分のプライド」であって、「子供たちを伸ばす」ではないんですから!
私は珠算教師と言う立場で、小学校のそろばん出前授業のボランティアに参加しています。いままで20名以上の校長先生とお話してきました。その中で特に印象深い先生がお二人おられます。
お一人は「校長の仕事は責任を取ること。だから先生方に極力任せます。でも任せることができない先生もたまにはいます。そんなときは自分の目で確かめます。そしてその先生を、私が任せることができる先生に育てていくこともまた、校長の務めなんですよ。校長は『先生の先生』である必要もあるんですよ。」と仰いました。
もうお一人は「このあと、前任校の生徒で気になる子がおるんで、会いに行くんですわ。不登校になってしまった生徒がいましてね。でも学校とのつながりを切りたくないんですわ。お前を心配してる人間がおるんやぞと。伝え続けなあかんのですわ。教師は『お前が俺にとって大切や』という気持ちを持ち続けなあきません。この気持ちがなくなったときは、教師を辞めるべきですわ」と仰いました。
今、子供たちに対して「自分の都合」で向き合っている教師の方、「上記のお二人の校長先生のもとでは働けない」と感じた教師の方は、可及的速やかに教育の現場から退場してください。そして、子供たちのことを常に考えることができる方だけが、教育の現場に立つようになってほしいと願います。