東大阪でそろばん教室を運営しているの先生のブログ 関西珠算瓢箪山教場・石切教場

子供たちから教えられたこと、感じたことを想いのままに綴ります。

責任は誰が取るべきか?

2015-12-25 09:57:43 | 日記
 最近のニュースでこういうものがありました。

 学校の校庭でサッカーボールを蹴って遊んでいたら、サッカーボールが校庭外へ飛び出してしまい、偶然バイクで通りかかったお年寄りがよけきれず転倒。それが原因で認知症を発症し、お亡くなりになりました。

 この件に関して、親の責任を問う民事訴訟があり、一審・二審はともに親に一定の責任を認めましたが、最高裁は「社会通念上、常識的な躾が行われており、このことが原因で人命を奪う事態が発生すると予見することは著しく困難であり、保護者の責任は問えない」として、保護者の責任を否定する判決が出されました。

 この判決はすこぶる納得いくものです。ところが、人命が奪われ原因もはっきりしているのに誰も責任を問われない(問うことができない)のです。遺族の方々の心情を考えると、納得はできるのですが釈然としません。

 いろいろな記事を見ると「運転するということは、常に危険のリスクを負う。今回のような事態を想定して走り、とっさの場合は停止しよけることができる能力がない者が、そもそもバイクに乗るべきではない」という意見が多かったようです。

 でも、こうした事故に遭遇することは誰でもあるのです。誰も法に違反せず、だれにも落ち度がないにも関わらず、偶然が重なっただけで命を落としてしまった現実がそこにあります。このような時に救済してくれるのが、本来は国ではないのでしょうか?。犯罪被害者の救済制度(通り魔に襲われたような場合)は一応あるようですが、それでも大したものではありません。法を守り、道徳を守り、至極真っ当に生きてきたのに、不幸な偶然で命を落とした方に対して国は何もしてくれません。そして裁判所は誰も責任を取らなくていいと判決を出しました。理屈は分かります。でもやりきれない想いがあるのは私だけでしょうか?

 そういえば、国会議員を除名した方がいました。申し訳ないとは頭を下げておられましたが、選挙当時「こういう感覚の持ち主が必要です!」と威勢よく持ち上げていたのはあなたではないですか?。あなたは任命責任は取らないのですか?
 教育改革を断行していただくのは構いません。でも現場の先生方は振り回され、子供たちは毎年のように変わるルールに四苦八苦しています。教育改革は、ほかの政治課題のように失敗したら辞任して済む問題ではありません。失敗のツケはその教育を受けたすべての子供たちの一生を左右します。教育の失敗は責任の取りようがないんです。性急にことを急ぐのではなく、事実と論を積み上げて、今までの教育を検証して、少しずつ悪い部分を手直ししていく。これが理想だと思います。

 取ることのできない責任があります。今回の事故の責任は誰も取らないことになりました。これには書いた通り釈然とはしませんが納得は行きます。しかしながら、自分が推薦した議員さんの不始末を、その当人をバッサリ切ってごめんなさいするだけで、責任を取らないリーダーが、もし教育改革が失敗であったとき「私のせいではない、現場の力量が低かったのだ。私の改革の考えは正しかった」と自分を正当化するだけになるんだろうな。責任を取る姿が想像できないんです。

 昔、大津のいじめ自殺事件の時にも書きましたが「上に立つ者の仕事は責任を取ること」だと思います。責任を取る気がない人には、上に立ってほしくないなあと考えさせられた事件でした。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 教師を目指したきっかけ~再... | トップ | ダメなものは大人でも子供で... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

日記」カテゴリの最新記事