私が得ることがでいるコト・モノはとても大きいんです。当教場では希望される方と懇談会を行っています。基本的には2者懇談ですが、これまでの最大は6者:母・父・祖母・祖父・本人・そして私というのがありました。
「そろばん教室」として懇談会を日常的に開催している。これは私の教室の特徴の1つです。「子供たちをも守る大人の目は多いほどいい」というのが、私の持論です。様々な価値観を、様々な大人と触れ合うことで知って吸収する。これは子供たちが多様性を拡大し続ける社会を生き抜くために、子供時代に経験しておくべき必須事項だとすら思います。
さて、懇談をさせていく中でよく頂戴する感想が「こどものことを良く見ていただいていますね」というものなんです。
このテーマで書くたびに考えます。「よく見ることは当たり前じゃないの?」と。
ただし、「よく見ること」ができていても、子供たちにとって「良い先生であること」とイコールになるわけではありません。こちらの想いがうまく伝わらない場合もありますし、そもそも子供にとって私の想いが迷惑でしかない場合もあります。
私にとって目指すべき先が、子供たちにとって(もちろん保護者の皆様にとっても)同じ方向であれば、それほど問題は起こらないわけです。
私自身は、そろばん学習で「基礎的リテラシー(読み書きそろばん)」が身につけばいいと思っていますし、その過程で努力は結果に正直であることを身をもって経験してくれればいいと考えています。
教室に来ることで、ご挨拶をすることも身につけて欲しいし、鉛筆の持ち方や座る時の姿勢、下敷きの使い方や鉛筆を削ることなど基本的な学習習慣もまた身につけて欲しいのです。
すぐにデジタルデバイスに頼るのではなく、そろばんはもちろん、紙と鉛筆というアナログの極みで学習することもまた大切にしてほしいのです。
そして学習塾でお預かりすれば、学力向上についての私の考えをお話しすることになります。塾としては「学習時間を確保してください」というお話になることが普通だと思いますが、私はそう考えていません。もちろん「てっぺん」を目指すのであれば学習時間を確保しなければばりませんし、その時間をいかにして最大化するか、そしてその時間をどう有効的に使うかということに対して戦略も考えねばなりません。
でもそれ以上に「子供にとって学力(≒偏差値)を向上することが常に最適解なのか?」ということを考える必要があると思うのです。
私は、そろばんで小さいころからお子さまをお預かりしているところに大きな強みがあります。子供たちが「そろばん教室」で、「私とのかかわりの中」で、どういう成長を見せてくれているのかをきちんと説明できるのです。もちろん子供たちの成長においてはたった1つの側面でしかありません。でもその1つの側面を数年、生徒によっては10数年見ているわけですから「よく見ていて」当たり前なんですよね。
こんなことを懇談でよくお話させていただいています。ここ最近も懇談をさせていただきまして、いかにその生徒が(私の目から見ての独り善がりですが)いかに成長してきたかを、そしてその頑張りを、さらに今悩みにぶち当たっているけどとことんまで走らせてあげてほしいという私の想いをお伝えしたところです。私が恐縮してしまうほどのご賛同をいただきまして、方針の確認をさせていただいたところです。
こうして子供たちの成長を保護者の皆様と一緒にさせていただけること。この仕事をしていて本当にうれしく感じる瞬間です。
子供たちを見守る大人の目は多いほどいい。懇談を重ねるたびにこの想いはゆるぎないものになっていく。そんなお話でした。