私はとても大切にしています。たとえばそろばんの授業は絶対に襟のあるカッターシャツに長ズボンです。
私は奈良教育大学出身です。大学の裏手には付属小学校が併設されています。小学校の教育実習は基本的に付属小学校で行われますが、同級生の多くは体操服のような格好で教育実習に参加していました。
私はこれが不思議で仕方なかったんです。その服装で登校する実習生も、その服装での登校を許す付属小学校側も。どちらもがおかしいと思っていたので、当時付属小学校の校長先生をしていた担当の教授(私の担当教授でもありました)に、この想いをぶつけてみました。
「うん、その感覚はまともですね。ただ、小学生相手だと、登校途中でも児童たちはじゃれあってきます。そのときに服を汚されてしまうこともありえるので、学校側としては強くは言えないんですよ。でも君の感覚は至極まともだから大切にしなさい。」なんてお返事をいただきました。
だから、私は卒業論文の発表時も、修士論文の発表時も、スーツにネクタイを締めて挑みました。でも大半の学生は白衣を着ていました。そこでも不思議は消えませんでした。
私は自分の都合で大学院を中間修了(半期分留年した形です)したので、自身の修士論文の発表会はたった一人のものでした。そこでも同じようにスーツを着て、発表原稿を持たずに自分のしてきた研究を発表しました。そして、自分の発表・質疑応答を終えた後、逆に教授陣に質問しました。「先生方の前で発表するときに白衣は失礼にはあたりませんか? 先生方のお考えをお聞かせください」と。
すると、当時の理科講座の重鎮の先生が一言「理系の発表は白衣でいいんじゃないの?」と。これが「学校の常識は社会の非常識」と考えるようになった決定的な出来事でした。
人前に立つときに身なりをきちんとすることは私は当たり前だと思っています。そして言い換えれば「相手に不快感を与えない」ものであれば問題はないと思っています。
そして「言葉遣い」もまた同様に考えています。子供たちを教え導く存在である私たち指導者は、居住まいはもちろんのこと、その言葉遣いまでもが子供たちに影響することを知っていねばなりません。
私の耳にいやなことが入ってきました。確かにその学校のその学年は全体的にできはよくないですがね。「お前らこんなことも分からんの・死ねばいいねん」なんて言葉を子供たちの前で平気で吐いてしまう指導者がいるようです。そしてその塾に通うそろばんの卒業生から「こういうことを言う先生の授業を聞くのがすごく苦痛やねん」というSOSが来ました。
え~と、礼儀以前の問題ですね。そして生徒にそんな苦痛を味わわせる指導者が「私たちの指導はこんなに素晴らしいんですよ。私たちのやり方でないとこんな風にだめになってしまいます!」なんてね。自分に都合のいい生徒だけを大切にし、自分のやり方に合わない生徒は切り捨てる。はあ~、この人たちの情熱はどちらを向いているのでしょうかね。
私ですか? 一応身なりと言葉遣いについては考えていません。っていうか考える時点でそれは「着飾っている」状態ですよね。考える時点でそれは「よそ行き」だと思うんですよ。私の基本的な考え方は冒頭に書いております。日々粛々と「子供たちのためになることは何か?」と考えながら日々生徒と向き合っております。後は私の教室に通う生徒の保護者様にお聞きくださればご判断いただけると思います。
また題名と大幅にずれる着地をしましたが、「礼儀すらわきまえることができない残念な指導者にお子様を預けるとろくなことにならない」と、無理やり題名に着地しなおしたところで、本日のご挨拶に代えさせていただきます。ご清聴ありがとうございました。
私は奈良教育大学出身です。大学の裏手には付属小学校が併設されています。小学校の教育実習は基本的に付属小学校で行われますが、同級生の多くは体操服のような格好で教育実習に参加していました。
私はこれが不思議で仕方なかったんです。その服装で登校する実習生も、その服装での登校を許す付属小学校側も。どちらもがおかしいと思っていたので、当時付属小学校の校長先生をしていた担当の教授(私の担当教授でもありました)に、この想いをぶつけてみました。
「うん、その感覚はまともですね。ただ、小学生相手だと、登校途中でも児童たちはじゃれあってきます。そのときに服を汚されてしまうこともありえるので、学校側としては強くは言えないんですよ。でも君の感覚は至極まともだから大切にしなさい。」なんてお返事をいただきました。
だから、私は卒業論文の発表時も、修士論文の発表時も、スーツにネクタイを締めて挑みました。でも大半の学生は白衣を着ていました。そこでも不思議は消えませんでした。
私は自分の都合で大学院を中間修了(半期分留年した形です)したので、自身の修士論文の発表会はたった一人のものでした。そこでも同じようにスーツを着て、発表原稿を持たずに自分のしてきた研究を発表しました。そして、自分の発表・質疑応答を終えた後、逆に教授陣に質問しました。「先生方の前で発表するときに白衣は失礼にはあたりませんか? 先生方のお考えをお聞かせください」と。
すると、当時の理科講座の重鎮の先生が一言「理系の発表は白衣でいいんじゃないの?」と。これが「学校の常識は社会の非常識」と考えるようになった決定的な出来事でした。
人前に立つときに身なりをきちんとすることは私は当たり前だと思っています。そして言い換えれば「相手に不快感を与えない」ものであれば問題はないと思っています。
そして「言葉遣い」もまた同様に考えています。子供たちを教え導く存在である私たち指導者は、居住まいはもちろんのこと、その言葉遣いまでもが子供たちに影響することを知っていねばなりません。
私の耳にいやなことが入ってきました。確かにその学校のその学年は全体的にできはよくないですがね。「お前らこんなことも分からんの・死ねばいいねん」なんて言葉を子供たちの前で平気で吐いてしまう指導者がいるようです。そしてその塾に通うそろばんの卒業生から「こういうことを言う先生の授業を聞くのがすごく苦痛やねん」というSOSが来ました。
え~と、礼儀以前の問題ですね。そして生徒にそんな苦痛を味わわせる指導者が「私たちの指導はこんなに素晴らしいんですよ。私たちのやり方でないとこんな風にだめになってしまいます!」なんてね。自分に都合のいい生徒だけを大切にし、自分のやり方に合わない生徒は切り捨てる。はあ~、この人たちの情熱はどちらを向いているのでしょうかね。
私ですか? 一応身なりと言葉遣いについては考えていません。っていうか考える時点でそれは「着飾っている」状態ですよね。考える時点でそれは「よそ行き」だと思うんですよ。私の基本的な考え方は冒頭に書いております。日々粛々と「子供たちのためになることは何か?」と考えながら日々生徒と向き合っております。後は私の教室に通う生徒の保護者様にお聞きくださればご判断いただけると思います。
また題名と大幅にずれる着地をしましたが、「礼儀すらわきまえることができない残念な指導者にお子様を預けるとろくなことにならない」と、無理やり題名に着地しなおしたところで、本日のご挨拶に代えさせていただきます。ご清聴ありがとうございました。
難しい点もあるのでしょうが、子どもたちのためにもその塾が(というより先生ですよね)なくなればいいのにと思います。
私達親にも席を見る目が必要なんですね。困ったときはそろばんの先生に懇談お申し込みさせていただきます。
どこの塾かすごく気になります❗
という先生のお考えに同意です
身なりと言葉遣いって大切だと思います♪