図書館で通読して気に入ったので取り寄せた
「フィロン入門」、それから「ロルカ詩集」来る。
ロルカ詩集は世界現代詩文庫のを買ったが
昔持っていたみすず書房のロルカ詩集にすればよかった。
みすず書房のはロルカの芸術的な流れる筆致の
スケッチが載っていた(記憶では)。これがいいのだ。
これからロルカの福武文庫の「ニューヨークの詩人」、
エイゼンシュタインの「メキシコ万歳」のDVDが郵送されてくる予定。
ほんとうはお金を全部クラシックCDに回したい位だが、
他にも文化に接する必要がある。
クラシック鑑賞ではカイルベルトから飯守泰次郎を聞き、
ブーレーズからジョナサン・ノットを聞いた。
最近朝起きるとイーヴ・ナットの月光などを聞いて過ごしている。
一日を充実して終えたいときはフルトヴェングラーの
ベートーヴェン・ライヴ全集を聞いている。メシアンのオルガン曲もいい。
日常からの私の解放弁は音楽である。読書も楽しいが時間的に焦る。
読書が進むとホッとする。
この限りないもやもやの、救いはあるだろうか。
日常の袋小路を抜け出して光のなかでメシアンを聞く
老舗中古CD店でルイ・ティリーのオルガン版平均律クラヴィーア見つける。
なかなか入手困難の逸品らしい。
小さなパイプ・オルガンを使っているらしく、かわいい音だが音域に幅がない。
だが聞き慣れるとなかなか鎮静的で心地よい。
ようやくメモ書き進んだ。どう考えてもこの夏に終わらない。
絶望のあるところ、救いもまたある。ヘルダーリン。
現代アフリカ詩選というのを910円+送料で注文する。
フランスで出た黒人詩集は原書しか見当たらない。
ゴールデン・メロドラムのブルックナー選集は音が悪いが手離したのは惜しい気もする。
メモリーズで似たようなクナの選集が売っている。
私が持っているのはミュージック&アート社のクナの選集。
最近聞き直しているのはオーマンディのブルックナー4&5番。
これは2枚組でお得である。オーマンディのブルックナー、聞くエステである。
7番は廃盤。8,9番は録音がない。
オーマンディで4&5番を聞いて、7・8・9をジュリーニ盤で聞くとよい。
ブルックナーの王道から言うと邪道である。
平均律クラヴィーアを10種類ぐらい聞いたが、クラシカル・レコード社の
フェインベルクのピアノの平均律クラヴィーアがいちばん深く瞑想的である。
アシュケナージもなかなか折り目正しくいい演奏である。
バレンボイムは楽興の赴くまま、自由なテンポで弾いていて個性的。
ロマンティックなのはリヒテルの平均律。
グールドは最近聞いてないが自由度高い。
グルダは意外と真面目に弾いているが適度にアレンジしている。
ニコラーエワはゆったりして緊張に効く。
だが、ルイ・ティリーのオルガン版も聞き慣れるといい感じだ。
町中の老舗中古の店で得た平均律の柔い鎮静
最近アルカナ盤のスコダのシューベルト・ピアノソナタ全集聞いた。
スコダ補筆の初期の曲など耳慣れない曲も多い。
昔のフォルテピアノで弾いていて趣きがあるが現代ピアノの重量感がない。
シューベルト好きは持っていても損しないマニア向きの全集である。
同じような内容の60年代録音のスコダの全集が3千円で発売される。
知っていれば、そちらを買ったのだが、1か月半も待てなかったので
80年代の朴訥なフォルテピアノの全集でよしとしよう。
シューベルトピアノソナタ集では現代ピアノのバレンボイムが
ゆっくりとかみしめるように弾くのでメロディのよさが十二分に味わえる。
久しぶりにビートルズを聞いてみたが感情移入できるのは
白盤と青盤である。エヴリバディ・ガット・サムシング~とかバースデイ
とかヤーブルースとか白盤は渋くてイケてる。
後期名曲集の青盤は確かに大人びたビートルズの到達点が聞ける。
ア・デイ・イン・ザ・ライフとか「愛こそは全て」がいいのは
当然だがレット・イット・ビーやザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード
で感動してしまう私は相当老け込んだようだ。
今はまたカール・シューリヒトのブルックナーを聞いている。
ヘンスラー社のSWRのカール・シューリヒト・コレクションⅠとⅡは
必携盤である。
どう考えてもメモ書きのスケジュールが間に合わない。
最近、幼稚脳を有効利用して哲学書を消化している自分の可笑しさに気づいた。
そういう不思議な脳の融通法もあり得る。
私の父を削ぎ落として残った純粋な部分が私だと言われた。
削ぎ落とした部分のほうが人気のあるところなのだが。面白いことを言われた。
お盆の後は全てを軌道に乗せたい。消耗しては復活する日々である。
故郷を遠く離れて梅雨空のお盆休みにまた深呼吸
重点的に休んでいる。
ここ数日慌ただしかった。
スコダのシューベルトきくつもり。
まずはスコダのベートーヴェン聞いている。
噛めば噛むほど味のある含蓄のある演奏。
シューベルトは2曲玩具のような打楽器が入っているが
そのような工夫は余計である。
スコダもデームスも吉田秀和評は芳しくない。
だがその地道なウィーン訛りの演奏が貴重。
私は老境のデームスのシューベルト演奏会に行ったことがある。
楽譜も見ないで飄々と弾きたいように
緩急強弱自在に弾いていた。
ウィーンの真髄に触れた気がする。
デームスはシューマン作品全集が偉業である。
スコダも90歳だという。
こんどオリジナルジャケットのシューベルトが
出る。60年代録音のもの。
少々値が張る。
中古店もそれが出るからアルカナ盤を売り切りたいのだろう。
今日はスコダのベートーヴェン30番台を聞いて
コンツェルトハウス四重奏団のシューベルトを聞いて
80円台のバーリアル・ノンアルコールを飲んで
憩うつもり。
こんにゃく米って美味しいのかちょっと気になる。
老境のウィーン訛りの演奏に日々の重みがほぐされてゆく
今日は紀伊国屋書店で叔父と待ち合わせる。
スペイン料理のトルティーラ・フラットという店で
私は黒生ビールSと魚介のスパゲッティ、
叔父は黒生ビールМとハンバーグライス抜き食べた。
加藤典洋『敗者の想像力』と言う新書を頂いた。
私はワシュテルの本と題が一緒なのに驚いた。
昔、父とワシュテルの話をしたのを思い出す。
一瞬、時空が飛んだ。
文学館の文芸誌の文章はよく書けている、話が上手く繋がっているとのこと。
親戚の話、私の近況、叔父さんの経験談などを話す。
今日もスケッチブックを持ち歩いているという。
演奏会とか展覧会でじっとしているのは苦手だと言う。
私のブログを読むとCDをよく聞き込んでいますね、
録音から演奏まで詳しく書いてあっていいねと仰っていた。
叔父さんは画材屋さんに寄ると言って雑踏に消えて行った。
人ごみは苦手だと言うのに、街中でお会いした。
私は仕事がひと段落して、やっと一息ついている。
珍しくビールを飲んで楽しい時間を過ごせた。
久々にビールを飲んで少しだけ赤ら顔して近況を話す