3月6日(火)
朝、温泉「ゆぴあ」から道の駅天童温泉へ移動しました。道の駅で、シリアルと
フランスパンで朝食。
さて、今日向かう先は宝珠山立石寺(ほうじゅざんりっしゃくじ)、通称山寺
(やまでら)と呼ばれるところです。
山寺は860年に慈覚大師が創建した天台宗の名刹。高い山の上にあるお寺として、
旅番組でよく紹介されますね。
冬の雪景色の中で山寺を見てみたいと、かねてから思っていました。
道の駅から20分ほど行った山あいの地でした。
山寺の門前町の通りですが、参拝客はいないですね。
参道入り口ではなくて「登山口」の看板があるところから参道は始まります。
山門です。ここから長い石段1015段が山の中へ続いていきます。
看板には「一段二段と登ることにより私達の煩悩が消滅すると信仰されています」
と書いてありました。
いちだん、にだん。。
この石段はたいへん。雪が凍って、テカテカ、つるつるです。
煩悩が消えるどころか、滑らないかで、頭がいっぱいになります。
「せみ塚」にきました。松尾芭蕉が詠んだ句をしたためた直筆の短冊がここに
埋められたとか。「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」のアレですよ。
私の傘が立っているのはジョークです。
職員さんが、さすがに階段の一部の氷を割る作業をしていました。
足腰の弱い方は階段の多さよりも、手摺に両手でつかまりながら、滑らぬように
体を引き上げていくことができないかもしれません。
登山の鎖り場、あれと同じです。ま、冬場だけの問題でしょうが。
汗をしたらせながら、ここにやっときました。
左から、雪を被った納経堂、開山堂、五大堂が見えます。
納経堂です。山寺最古の建造物ということです。
五大堂まで来ました。境内随一の展望台として観光客が賑わうところです。
冬場、誰もいませんが。どんな景色がみえるかな。
右側から下を見ると
中央から下を見下ろすと、模型のような家並みが見えます。
左側は、向こうに奥羽の山並みが見えるはずですが、霧がかかって見えず。
カラーで撮っているのですが、もう白黒の世界ですね~。
1015段を登り切ったところにある奥の院です。煩悩消えたかな。
さあ、降りよう。
降りる時のほうがむずかしいかもしれません。滑りそうになり、傘で突いたら
あれえ傘が曲がってしまいました。私の旅の供だったのに。。
下から見上げた山寺のある山。どこがどこだか、この写真では判りませんね。
近くの山寺芭蕉記念館へ行きました。
この記念館では芭蕉の「奥の細道」に関する資料を中心に展示していました。
発見ひとつ。奥の細道での従者として芭蕉に同行した弟子の名前は、曽良(そら)。
曽良=Sora なのです。
芭蕉と曽良は江戸から平泉まで上ったあと、天童まで南下、そして西へ鶴岡、酒田と
日本海側へ出ます。
生涯、旅を栖(すみか)とした芭蕉先生、私を待っててください。
私Soraもさきほど山形道をつたって、天童から鶴岡まで移動しました。
今宵(こよい)は、鶴岡市内にある「道の駅荘内みかわ」で野宿します。
(もう、なりきっているね)
(続きはここクリック)
私の関連日記 : 「雪の山寺と銀山温泉をたどる」2015.2.12
朝、温泉「ゆぴあ」から道の駅天童温泉へ移動しました。道の駅で、シリアルと
フランスパンで朝食。
さて、今日向かう先は宝珠山立石寺(ほうじゅざんりっしゃくじ)、通称山寺
(やまでら)と呼ばれるところです。
山寺は860年に慈覚大師が創建した天台宗の名刹。高い山の上にあるお寺として、
旅番組でよく紹介されますね。
冬の雪景色の中で山寺を見てみたいと、かねてから思っていました。
道の駅から20分ほど行った山あいの地でした。
山寺の門前町の通りですが、参拝客はいないですね。
参道入り口ではなくて「登山口」の看板があるところから参道は始まります。
山門です。ここから長い石段1015段が山の中へ続いていきます。
看板には「一段二段と登ることにより私達の煩悩が消滅すると信仰されています」
と書いてありました。
いちだん、にだん。。
この石段はたいへん。雪が凍って、テカテカ、つるつるです。
煩悩が消えるどころか、滑らないかで、頭がいっぱいになります。
「せみ塚」にきました。松尾芭蕉が詠んだ句をしたためた直筆の短冊がここに
埋められたとか。「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」のアレですよ。
私の傘が立っているのはジョークです。
職員さんが、さすがに階段の一部の氷を割る作業をしていました。
足腰の弱い方は階段の多さよりも、手摺に両手でつかまりながら、滑らぬように
体を引き上げていくことができないかもしれません。
登山の鎖り場、あれと同じです。ま、冬場だけの問題でしょうが。
汗をしたらせながら、ここにやっときました。
左から、雪を被った納経堂、開山堂、五大堂が見えます。
納経堂です。山寺最古の建造物ということです。
五大堂まで来ました。境内随一の展望台として観光客が賑わうところです。
冬場、誰もいませんが。どんな景色がみえるかな。
右側から下を見ると
中央から下を見下ろすと、模型のような家並みが見えます。
左側は、向こうに奥羽の山並みが見えるはずですが、霧がかかって見えず。
カラーで撮っているのですが、もう白黒の世界ですね~。
1015段を登り切ったところにある奥の院です。煩悩消えたかな。
さあ、降りよう。
降りる時のほうがむずかしいかもしれません。滑りそうになり、傘で突いたら
あれえ傘が曲がってしまいました。私の旅の供だったのに。。
下から見上げた山寺のある山。どこがどこだか、この写真では判りませんね。
近くの山寺芭蕉記念館へ行きました。
この記念館では芭蕉の「奥の細道」に関する資料を中心に展示していました。
発見ひとつ。奥の細道での従者として芭蕉に同行した弟子の名前は、曽良(そら)。
曽良=Sora なのです。
芭蕉と曽良は江戸から平泉まで上ったあと、天童まで南下、そして西へ鶴岡、酒田と
日本海側へ出ます。
生涯、旅を栖(すみか)とした芭蕉先生、私を待っててください。
私Soraもさきほど山形道をつたって、天童から鶴岡まで移動しました。
今宵(こよい)は、鶴岡市内にある「道の駅荘内みかわ」で野宿します。
(もう、なりきっているね)
(続きはここクリック)
私の関連日記 : 「雪の山寺と銀山温泉をたどる」2015.2.12