2月1日(金)
【続き】
エーデルワイスで昼食後、もう少し「湯沢高原スキー場」で滑るつもりだった。
しかし、「GALA湯沢」への連絡ゴンドラは午後1時を最終とするアナウンスがあった。
これから、強風が予想されるからだという。
あわてて、ゴンドラ連絡へ滑り込む。ギリギリだった。ここで、三つのスキー場の配置図を。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/62/6fdd76184ba654c3d53dde3c3969f8a2.jpg)
クルマを停めたのは、真ん中の「GALA湯沢スキー場」。
そして、今左手側の「湯沢高原スキー場」へ移動していた。再度、今からGALA湯沢へ戻る。
そのあと、左端の「石打丸山スキー場」へ移動するつもりでいた。
私の購入したチケットは、3スキー場共通券で、どこにも行けるのだ。
GALAへ戻ると、今度はここのリフトは2時で止まるというアナウンスがあった。
ここでも、強風予想からだ。まだ、まったく風は吹いていないのに・・・。
しかし、止まるならしようがない。2時で、GALAから下山する気もないので、石打丸山へ急遽移動。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/de/28f9c499d51522701e0de2f2c59fb5d8.jpg)
▲ 石打丸山スキー場は、よかった。
こんな↑中級1枚バーンが、上から下まで多くて、滑り甲斐があった。
何度も何度も得意のコマネズミスタイルで滑った。
石打丸山は、ふもとの道路ギリギリまでコースが接近していた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/af/d5c61003cdc75b861bfd29639badeed4.jpg)
▲ それだけ、ふもとに近いわけで、上から下を見下ろすと、町並みの色合いが見えて、モノクロでない温かみのある風景に感じた。
スイスでもいいか(笑)。
珍しく、4時近くまで滑っていたよ。昼のステーキのおかげ?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/e0/ad8d22f7cb6c0dd0a7718abb58141eb5.jpg)
▲ スロウプを下から上を見やると、もう陽が落ちている。
スキーヤーが小さいシルエットになる。
さあ、3スキー場は一応制覇したから、帰ろうか。
石打丸山から、GALAへ戻るシャトルバスが出ていて4時発に飛び乗った。
*********************
駐車場へ戻る。まだ数台残っている。
さあ、何はともあれ、温泉へ行こう。 ここから歩いて、10分ほどのところにあるはずだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/5d/7504a9ea877c8a725846dcda14376c47.jpg)
▲ 共同湯「山の湯」だ。ここから、少し坂道を左に登っていく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/8f/ca03867dbddaf022d71d73f9ed8b2ecb.jpg)
▲ 先の高半旅館へ登っていく坂道の中途にある「山の湯」。
川端康成が「雪国」を高半で昭和10年に執筆した時にも既にあった、由緒ある共同温泉浴場だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/dd/640d00f17a2296797a7d923ffb6e4c89.jpg)
「雪を積もらせぬためであろう。湯槽(ゆぶね)から溢(あふ)れる湯を俄(にわか)づくりの溝(みぞ)で宿の壁沿いにめぐらせてあるが、玄関先では浅い泉水のように拡がっていた。黒く逞しい秋田県がそこの踏石に乗って、長いこと湯を舐めていた。物置から出して来たらしい、客用のスキイが干し並べてある、そのほのかな黴(かび)の匂いは、湯気で甘くなって、杉の枝から共同湯の屋根に落ちる雪の塊も、暖かいもののように形が崩れた。」
硫黄臭が少しある、こじんまりした浴場は5~6人でいっぱい。珍しくシャワーは付いておらず、熱い湯と水を手加減して、洗った。情緒もいっぱい。疲れた体をほぐした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/71/65899384e84f953812f17eb68be1dffa.jpg)
▲ お湯のあとは、また長靴で来た道をトボトボ、駐車場へ戻る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/06/b12329243d421d9d668051631155c1df.jpg)
▲ 戻ると、さすがに私のHarmony、1台だけ取り残されていた。
今晩は、ここで野営だ。
【続き】
エーデルワイスで昼食後、もう少し「湯沢高原スキー場」で滑るつもりだった。
しかし、「GALA湯沢」への連絡ゴンドラは午後1時を最終とするアナウンスがあった。
これから、強風が予想されるからだという。
あわてて、ゴンドラ連絡へ滑り込む。ギリギリだった。ここで、三つのスキー場の配置図を。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/62/6fdd76184ba654c3d53dde3c3969f8a2.jpg)
クルマを停めたのは、真ん中の「GALA湯沢スキー場」。
そして、今左手側の「湯沢高原スキー場」へ移動していた。再度、今からGALA湯沢へ戻る。
そのあと、左端の「石打丸山スキー場」へ移動するつもりでいた。
私の購入したチケットは、3スキー場共通券で、どこにも行けるのだ。
GALAへ戻ると、今度はここのリフトは2時で止まるというアナウンスがあった。
ここでも、強風予想からだ。まだ、まったく風は吹いていないのに・・・。
しかし、止まるならしようがない。2時で、GALAから下山する気もないので、石打丸山へ急遽移動。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/de/28f9c499d51522701e0de2f2c59fb5d8.jpg)
▲ 石打丸山スキー場は、よかった。
こんな↑中級1枚バーンが、上から下まで多くて、滑り甲斐があった。
何度も何度も得意のコマネズミスタイルで滑った。
石打丸山は、ふもとの道路ギリギリまでコースが接近していた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/af/d5c61003cdc75b861bfd29639badeed4.jpg)
▲ それだけ、ふもとに近いわけで、上から下を見下ろすと、町並みの色合いが見えて、モノクロでない温かみのある風景に感じた。
スイスでもいいか(笑)。
珍しく、4時近くまで滑っていたよ。昼のステーキのおかげ?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/e0/ad8d22f7cb6c0dd0a7718abb58141eb5.jpg)
▲ スロウプを下から上を見やると、もう陽が落ちている。
スキーヤーが小さいシルエットになる。
さあ、3スキー場は一応制覇したから、帰ろうか。
石打丸山から、GALAへ戻るシャトルバスが出ていて4時発に飛び乗った。
*********************
駐車場へ戻る。まだ数台残っている。
さあ、何はともあれ、温泉へ行こう。 ここから歩いて、10分ほどのところにあるはずだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/5d/7504a9ea877c8a725846dcda14376c47.jpg)
▲ 共同湯「山の湯」だ。ここから、少し坂道を左に登っていく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/8f/ca03867dbddaf022d71d73f9ed8b2ecb.jpg)
▲ 先の高半旅館へ登っていく坂道の中途にある「山の湯」。
川端康成が「雪国」を高半で昭和10年に執筆した時にも既にあった、由緒ある共同温泉浴場だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/dd/640d00f17a2296797a7d923ffb6e4c89.jpg)
「雪を積もらせぬためであろう。湯槽(ゆぶね)から溢(あふ)れる湯を俄(にわか)づくりの溝(みぞ)で宿の壁沿いにめぐらせてあるが、玄関先では浅い泉水のように拡がっていた。黒く逞しい秋田県がそこの踏石に乗って、長いこと湯を舐めていた。物置から出して来たらしい、客用のスキイが干し並べてある、そのほのかな黴(かび)の匂いは、湯気で甘くなって、杉の枝から共同湯の屋根に落ちる雪の塊も、暖かいもののように形が崩れた。」
硫黄臭が少しある、こじんまりした浴場は5~6人でいっぱい。珍しくシャワーは付いておらず、熱い湯と水を手加減して、洗った。情緒もいっぱい。疲れた体をほぐした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/71/65899384e84f953812f17eb68be1dffa.jpg)
▲ お湯のあとは、また長靴で来た道をトボトボ、駐車場へ戻る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/06/b12329243d421d9d668051631155c1df.jpg)
▲ 戻ると、さすがに私のHarmony、1台だけ取り残されていた。
今晩は、ここで野営だ。