荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

糸瓜忌

2015年09月17日 | 散文
9月19日は正岡子規の命日です。
根岸の子規庵を訪問します。

「彼岸過ぎ水引草の花さきぬ」

玄関で靴を脱いで上がります。
これから先は、撮影禁止です。

「呉竹の根岸の里や松飾り」

庭の撮影はOKとのことで、子規の寝室前から糸瓜棚越しに庭を見ます。
白い萩が咲いていました。

「白萩のしきりに露をこぼしけり」
「首あげて折々見るや庭の萩」

子規の寝室の窓に庭が写ります。
寝たきりになった子規は、障子戸をガラス戸に替えました。
多くの友人がここを訪れました。

「漱石が来て虚子が来て大三十日」

庭から糸瓜棚越しに、子規の寝室を見ます。

「をととひのへちまの水も取らざりき」
「痰一斗糸瓜の水も間にあはず」
「糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな」

子規は赤い花が好きでした。
多くのスケッチが残っています。
こんな感じで鶏頭が植えられていたのでしょうか?

「朝顔や我に写生の心あり」
「鶏頭の十四五本もありぬべし」

色々な植物が植えられています。

「山吹も菜の花も咲く小庭哉」
「いちはつの花さきいでて我目には今年ばかりの春行かんとす」

この家(戦災により再現)に8年住み、35歳で亡くなりました。

「柿くふも今年ばかりと思ひけり」
「月照らす上野の森を見つつあれば家ゆるがして汽車行き返る」

母八重と妹律の献身的な看病抜きには語れない生涯でした。

「母と二人いもうとを待つ夜寒かな」
「冬ごもる病の床のガラス戸の曇りぬぐへば足袋干せる見ゆ」


コメント (2)
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