荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

笠松山に登る-2

2015年11月12日 | 散文
ここが頂上です。

よく分からない説明板にあった観音堂です。





景色を見ます。
生家地区と平地島が見えます。


しまなみ海道が霞んでいます。


朝倉地区です。
母の生家が良くみえます。

祖母の生家はもっと山奥です。

一休みして汗も引いたので、世田山方面から帰ります。


あれが世田山です。

南朝方の武将はこの尾根を走って、連携を取って北朝方と戦ったのです。

朝倉側は、山火事の傷跡が生々しいです。


世田山へ通じる尾根を歩きます。

途中、2人の小父さんと2人連れの女性に逢いました。
ハイキングコースとして親しまれているそうです。

帰るとなったら、元気な老幼馴染です。

基本、体力があります。
晴耕雨読じゃないけど、彼の1週間は「畑、ゴルフ、畑、畑、ゴルフ、ゴルフ、畑」です。
平日ゴルファーです。

帰り道と世田山の分岐点に出ました。
「おい、どうする?」と聞こうとしたら、老幼馴染はスタコラサッサと帰り道を下りていました。

ちょっと世田山に寄り道したかった。あと500mなのに・・・。

帰り道は九十九折の急坂です。

ここは、子供の頃は展望が良く利いた山道でしたが、植林された杉の木で全く下界が見えません。

途中、古墳らしきものやイノシシの掘り返した跡を見ながら下ります。


世田山側の登山口に到着しました。
笠松山を縦走しました。

これで世田山・笠松山を登りました。
宿題を片付けたような安堵感があります。


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笠松山に登る-1

2015年11月12日 | 散文
さて、6月に帰省後意識し、常に気になっている「太平記の舞台/世田山・笠松山」に登る決心をしましいた。
「水大師さん」のある、野々瀬口から出発します。
午後の出発ですので、逆光が眩しくて撮影条件が悪いです。


約50年振りの訪問です。
恐らくもう登ることはありません。

歩いていると、足下でバリバリ殻が割れる感触があります。

ドングリがびっしり敷き詰められた林道です。

太平記によると「敵味方の死体が折り重なって地面が見えない」と書かれているそう(この件を読んでいません)ですが、この辺りでしょか?

すぐに直射日光の下に出ます。
日差しが強いです。

以後ずっと日陰はありません。

あの頂上を目指します。


この山は数年前に山火事が発生し、大被害を受けました。
その後が生々しく残っています。

遠くに朝倉の集落が見えます。

あの頂上を目指します。

約50年前に登った時は、林の木陰を進んだ記憶があります。
山火事のせいで、林が消滅しています。

その代わりと言っては何ですが、展望が利きます。
山の向こうが今治市の市街と瀬戸内海で、山の手前から左が朝倉の集落です。


老幼馴染と休憩します。
今日は一人ではありません。無理やり突き合わさせました。

向こうはまだ頂上ではありません。

瀬戸内海には平地島が眺望できます。


途中で拾った枝を杖にして登ります。


あそこが頂上です。まだまだ先です。

こちらの海側は風のせいでしょうか、火事が及んでいません。

朝倉側は、木が焼き尽くされています。

前回、世田山に登った時は殆ど林の中で眺望が利かず心細い思いをしましたが、今回の笠松山は頂上を見ながら進むので、残りの距離の目安が立ちます。

あそこが頂上です。

向こうに世田山が見えてきました。

頂上下の広場に到着しました。

遠足で来た事もあります。

景色を眺めながら案内板を読みます。
「笠松山357m 今治市朝倉の笠松山は国立公園のひとつであり昔、名木傘形の松があったが現在は枯れてない。
わたくしにふる雨しのぐかさまつの 竜水木のあらんかぎりは 河野為世 詠
年代は明らかではないが河野四郎為世の隠居城があったといわれ、南北朝の忠臣篠塚伊賀守の居城があったがあった笠松山観音堂は伊賀守が城を落ちのびる際、兜の内側に秘めていた一寸八分の黄金観音像を笠松山頂に安置して去ったものを戦いの後、村人がこの地に小祠をたてて祀り、その後たびたび改築されて現在に至っている。
(3013年今治市)」

何を言いたいのか?分かり難い説明だこと・・・。

広場の奥の石段を上って頂上へ向かいます。

次回に続きます。


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