荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

北千住「宿場町通り」の横山家住宅

2018年11月15日 | 散文
「宿場町通り」も外れ迄来ると随分と寂しくなります。


そこで古くて大きな民家に遭遇しました。


説明板がありました。
見にくいですが。


説明板によると、「伝馬屋敷の面影を今に伝える商家」です。
以下、説明板に沿って報告します。
「伝馬屋敷は、街道に面して間口が広く、奥行きが深い」
「戸口は一段下げて造るのが特徴である。それは、お客様をお迎えする心掛けの現れ」


「敷地は、間口が十三間、奥行きが五十六間で鰻の寝床のように長い」
「現在の母屋は、江戸時代後期の建物であるが、昭和11年に改修が行われている。間口が九間、奥行きが十五間あり、大きくてどっしりとした桟瓦葺の二階建て」










「広い土間、商家の書院造りといわれる帳場二階の大きな格子窓などに、一種独特の風格を感じる」




「上野の戦いで、敗退する彰義隊切り付けた玄関の柱の傷痕や、戦時中に焼夷弾貫いた屋根など、風雪に耐えてきた百数十年の歴史を語る住居である」


横山家は、屋号を「松屋」といい、江戸時代から続く商家で、戦前までは手広く地漉き紙問屋を営んでいたそうです。
こんな散策でした。
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北千住「宿場町通り」を往く。

2018年11月15日 | 散文
北千住は松尾芭蕉が奥の細道への旅立ちの場所「矢立始め」の地です。
芭蕉が歩いた旧日光街道は現在商店街になっています。


また千住は宿場町として栄えました。


その名残の「宿場町通り」を、芭蕉とは逆に、江戸に向かって往きます。
寂れた商店街です。


古い家屋が残る街道です。


見上げると、「奥州街道 福島宿 千住より六十九里」との記載がありました。
地図もあります。
旧街道がウリの商店街のようです。


商店街自体は他と似たようなもんだろうろと、上を向いて往きます。
「日光街道 奥州街道 宇都宮宿 千住より二十四里半 両街道の分岐点」との表示です。
地理の勉強にもなります。


次は、「水戸街道 水戸宿 千住より二十八里 黄門様と偕楽園」との記載で、その土地の有名人と観光名所の紹介までしています。


ここの看板結構楽しいと思ったら、宿場通りの終点(江戸側の起点)に来てしまいました。
振り返った「宿場通り」です。


広い北千住駅前通りを挟んだ向こうは「千住ほんちょう商店街」です。
以前報告した「やっちゃば」へ通じる賑やかな商店街です。


ここには「宿場通り」の様な旧街道宿の案内看板はありません。


もっと早く気付けば良かった・・・。
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