菊地武男靴工房の道を行きます。周囲はお洒落な高級住宅街です。石畳の道は、自転車は走りにくいけど、好い雰囲気です。ちょっとレトロな建物が在りました。北区役所です。
石畳の正面に鳥居と杜が見えます。
王子神社です。行ってみます。
王子神社は「東京十社」の一社らしいです。境内にその旨の記載が有りました。
信心深く無いけど、寺社仏閣には、出合えば行くことにしています。
お参りします。祭壇奥に大きな鏡があって、私の姿が映っています。
振り向くと、残暑の町です。
菊地武男靴工房の道を行きます。周囲はお洒落な高級住宅街です。石畳の道は、自転車は走りにくいけど、好い雰囲気です。ちょっとレトロな建物が在りました。北区役所です。
石畳の正面に鳥居と杜が見えます。
王子神社です。行ってみます。
王子神社は「東京十社」の一社らしいです。境内にその旨の記載が有りました。
信心深く無いけど、寺社仏閣には、出合えば行くことにしています。
お参りします。祭壇奥に大きな鏡があって、私の姿が映っています。
振り向くと、残暑の町です。
分かれ道が在って石碑が立っていました。
「音無渓谷」の説明板です。「石神井川は、東京都小金井市花小金井南町付近を源とし北区内で隅田川に合流するまでの延長25.2kmの河川です。 一般には、石神井川の水源としては、石神井公園内の三宝寺ヶ池が有名ですが、周辺の市街化により涌水が減少したため水源は、一般家庭からの排水も少なくありません。 石神井川は大部分を台地上を流れているため、ゆるやかな流れの区間が多いのですが、板橋区加賀から下流になると渓谷状となり、水流もかなり急になります。そのため、昔はこの一帯の石神井川は滝野川とその名を変えて呼ばれ、飛鳥山のあたりでは、この地を愛した徳川吉宗のふるさとにちなみ、音無川とさらに名を変えて呼ばれていました。 ごうごうとと音をたて、流れる川を音無川と呼んだところに、この地と将軍吉宗との深い関係が読み取れます。 吉宗は『春は花、秋は紅葉』の例えにならい、飛鳥山に桜を植えさせる一方で、石神井川の両岸に紅葉を植えさせました。 文化文政の頃には、滝野川の紅葉は江戸中に知られ、江戸名所図絵にも『楓樹の名所として其の名遠近に高し』と述べられています。
この紅葉は維新のころ、薪にして売られるところでしたが、羽鳥了浦という人がたまたま来あわせ、これを惜しんで残らず買い取り、そのまま保存することになり、明治大正にかけても滝野川の地は東京市民の避暑の地として賑わいました。 現在でも、この音無さくら緑地では、当時の音無渓谷の姿をかいま見ることができます。 この場所に緑の吊橋が初めて掛けられたのは、昭和29年のことでした。その後台風で崩壊し、昭和55年に新橋に変わりましたが、平成6年には緑地と調和した現在の吊橋となりました。」
なるほど、行ってみます。・・・この橋、けっこう揺れます!
橋から、揺られながら見る音無渓谷の入り口です。今日は行きません。案内板に従うわけではありませんが、紅葉の季節に再来しましょう。
後ろは石神井川の土手です。
石神井川に上がりました。説明板のとおりけっこうな渓谷です。両岸は、現在は桜の名所です。徳川吉宗の名残は、先ほどの音無渓谷に残っています。
あれ!? よく見ると、あそこに「菊地武男の靴」と書いています! 行ってみます。
紅葉橋を渡ってやって来ました。石畳の道です。
好い感じの店です。靴と一緒で好い感じです。
私、靴好きです。菊地武男はよく知っているし、持ってもいます。
ここが、靴工房でしたか! 石神井川の傍に在ったとは驚きです。
ああ、好いなあ!
店内を覗いてみようとしたら、生憎今日は定休日でした。
今日は残念だけど、場所が分かったのでまた来られます。でもねえ、こういった靴を履く機会がめっきり減っています。更に、コロナ禍で人に会わないし・・・。
でも欲しいなあ!