荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

町屋1丁目の一本松

2021年09月24日 | 散文

「一本松の渡し」説明板に記載されていた「庚申塚の上に立つ一本松」を探しに来ました。これのようです。ここ記憶があります。この近所に鉛筆工場跡を探しに来ました。昔は隅田川の水運を利用して木材の搬入が盛んでした。この界隈に鉛筆工場が沢山在りました。

 

西日が反射して見づらいですが、「一本松グリーンスポット」との記載が有ります。平成6年に造られたようです。

 

公園に入って見ます。後ろ側が先ほどの「一本松の渡し跡」ですが、ちょっと遠いです。300m程離れていますが、小さな丘の上に立っていたので、渡しへ行く良い目印になっていたのだと思います。右手の道を行くと渡し場です。

 

説明板です。

 

文字が読めませんが、庚申塔のようです。

 

庚申塔と現在の一本松の正面には母子像「愛」です。この先が「一本松の渡し」です。

 

母子像から一本松を見ます。

なかなか往時の面影を偲べません。

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「一本松の渡し」跡に出くわした。

2021年09月24日 | 散文

こんな説明板に出くわしました。たったこれだけの記載ですが、対岸の千住緑町には寂れた商店街が今でも残っています。往時は賑わったのでしょうね。

「町屋1丁目の庚申塚の上に立つ一本松」に興味あります。後で探します。

 

案内板は団地の前に立っています。

 

正面には「土地区割整理記念」碑が立っています。昭和10年に完成したようです。「暴れ川」と言われた隅田川が、大正15年に荒川放水路が完成したお陰で落ち着いて、護岸が完成して土地の流失の心配が無くなって区割りができたものと思います。

揮毫は、候爵「西郷従徳」です。おそらく、西郷隆盛の弟従道の子孫だと思います。

 

自転車を停めて裏を覗きます。区割りに尽力した町役員の名前です。最近はこうして名前を残す手段が無いです。神社やお寺に寄付するとかしか方法がありません。氏神も菩提寺も遠い東京に住んでいると、そんな機会もありません。別に名を残したいとは思いませんが、、、

 

斜め前は「荒川病院」です。町の重要ポイントですね。

 

で、「東へ60mほど行った」あそこが渡し場だったようです。行ってみます。

 

隅田川の土手につき当たりました。柵に鍵が掛かっていて土手には上がれません。周囲を見回しましたが、説明板のようなものは有りません。あの説明版に出くわさないと、そんな歴史に気付かないまま行き当たって、戸惑ってしまいます。

「矢切の渡し」は歌になり今でも営業しているので有名ですが、時々こうして渡しの記録に出くわします。でも、名残りも記録も残っていない渡し場が沢山有ったのでしょうね。

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