尾久橋通りと尾竹橋通りが合流した三差路角が工事中です。
広い土地です。
やっぱりマンションが建つようです。
警備員のあの人に聞いてみました。「ここは『笹乃雪』が在った場所ですよね?」 「そうです」 「あの名店はどうしたんですか?」 「この土地を売ったようです。コロナ禍の影響もあったのじゃないですか?」 「あの宮様が名付けた豆腐はどうするんですか?」 「そうして聞いてくる人が何人かいます。どこかに店を出すように聞いていますが、まだ場所は決まっていないようです。このような大きな店はもう持てないでしょう。そんな空地は無いですよ」 こんな話です。諸行無常は世の常と言いますが、やっぱり残念です。
徳川幕府に変わった時に、上野寛永寺の住職として赴任された天皇の弟君(徳川家が天皇家から人質を取って(?)、自分ちの供養をさせ、以後幕末までの15代、天皇家の縁者が住職を務めた)が京都から連れてきた豆腐屋が始めた店です。 2度行ったことがあります。1度は家内と昼食で、もう1度は会社人時代に同僚と飲み会で。立派な大きな店でした。よく行っておいたものです。そして、皆さんよく付き合ってくれたものです。記憶に残っています。
<在りし日の笹乃雪です>
「笹乃雪」の店名は、宮さまがその豆腐の白さを「笹に積もった雪のようだ」とおっしゃったことからです。なお宮様は餡かけ豆腐がお気に召されて「以後2椀供せよ」と申され、以来ここの膳には餡かけ豆腐が2椀付いていました。
店頭には正岡子規の句碑がありました。「水無月や根岸涼しき笹乃雪」 子規もここの豆腐が好きだったようで、他にも詠んでいます。「朝顔に朝商ひす篠の雪」
あの句碑はどうしたのだろう? 「羽二重だんご」の句碑のように再会できるのだろうか?