千住に「新開地」が在ったと同郷の読者さんが教えてくれました。いつもなら闇雲に行ってしまうのですが、なにぶん場所の見当が付きません。NETで検索したら、神戸の新開地の情報ばっかりです。「千住から神戸新開地へのアクセス」なんての迄有ります。「千住新開地」は殆ど情報がありませんでした。
手掛かりは、「ジョイフル三ノ輪」と「瑞光公園」です。両方ともよく知っています。よく自転車で通り抜ける商店街であり、時々トイレを使う公園です。
やって来ました公園です。背後が「ジョイフル三ノ輪」商店街のアーケードで、公園の左中央にトイレが在ります。
見回したら自転車置き場に案内板が有りました。
「石川屋敷跡」の説明です。その1行目に「新開地」の文字が有りました。・・・これだけです。でも、今立っている辺りがその場所のようです。
そこは、私にはお馴染みの商店街です。
公園の背後は「ジョイフル三の輪会館」です。時々福引抽せん会場になります。つまり、商店街の中心部です。・・・これ以上の情報はありません。全く普通の商店街です。
「新開地」とは、売春窟です。昔から多くの男子が集まった東京は、思っていた以上に各地に多くの売春地区がありました。ここだってすぐ近くに「吉原」が在るのに、あったのです。それらの多くは、もう名残りすら見つかりません。ここも同様です。知らなかったら気付く事もありません。散々調べてやっと次の方の情報が見つかりました。下町の歴史を探索している方です。僅か2つの情報です。たった数ヶ月で消滅したらしい幻の買春窟です。
作成者: kokontouzai
「江戸時代、この付近には、伊勢の亀山藩石川家の屋敷がありました。明治政府は、屋敷が取り払われた跡地を鴨取場としましたが、追剥ぎなどの犯罪が頻発する物騒な土地でした。そこで、政府は、大正6年、鴨取場を埋めて、「花柳界指定地」にして銘酒屋の営業を許可しました。銘酒屋とは酒類を売っているように見せかけ、密かに売春をしている店のことで、この銘酒屋街は「新開地」と呼ばれ、約500軒の銘酒屋が建っていました。ところが、この銘酒屋街は、開業数ヶ月後、建物だけを残して1軒残らずどこかへ行ってしまいました。土地の人はこれを「幻の銘酒屋街」と呼びました。」
「大正4~5年頃、新開地(現在のジョイフル三ノ輪)に、銘酒屋街が出現し、数ヶ月後に「花柳界指定地」が取り消され、銘酒屋は突然姿を消しましたが、その後に移ってきた一般の住人は、建物を住居型に改造してして住みました。Aさんの家は、商店街の中程を北へ折れてすぐの幅約3メートルの横丁を入った2階建て6軒長屋の3軒目でした。二間間口の家のガラス戸をあけると、広さ三畳か四畳の土間があり、銘酒屋が使っていたころはここは畳敷きで、抱え娼婦の生活の場であり、表に面した入口から通る客を呼び込んだり稼業の場でもあり、隣室は、抱え主の居住空間で、娼婦接客の場所は2階でした。」
商店街には「砂場」の東京総本店が今でも営業しています。
その向かいには、銭湯「大勝湯」が在ります。
懐かしい雰囲気の商店街です。
庶民の生活の場です。これらの前身がそうだったのでしょうか?
今は多くの商店が閉店して、アーケードの下に玄関を持った民家に変わっています。
都電荒川線東端の始発・終点停留場が在る商店街でもあります。
千住の「新開地」は今でもその名前を聞きますが、既にその存在は歴史の底に埋もれています。
すみません。
そのドラマを観ていませんので分かりません。
新開地って、各所にあったのではないでしょうか?
当時の東京の街並み風景があちこちにあり
当時のロケ地が現在のどの辺りか検索して
楽しかったんでいます。
その中で 夜明けの刑事67話に聞き込みの
シーンでアーケードの無い商店街の通りの入り口に新開地と大きな看板があります
現在のどの辺りなのか見当のつく建物が
シーン中になくてわかりませんが
誰かわかったら見て欲しいです
たった数か月で無くなった「新開地」の名前が今でも記憶にあるのは、強く印象に残る街だったのでしょうね。
少ーし、訂正いたします。今は洒落た名前の「ジョイフル三ノ輪」の事を(場所を)新開地と呼んでいました。商店街の老舗の人達はその名称を覚えているかもしれませんよ?? 紛らわしいコメントで失礼いたしました。