どこの城も同じ構造の急な階段を上がります。広い連立式天守なので、各所にこのような階段があります。平日なのに、外国人観光客も含めて賑わっています。順番待ちです。
廊下から庭を見ます。葵紋と細工格子が陽に透けて綺麗です。
時々窓を覗きながら移動します。
天守閣です。平成18年春にしゃちほこが81年振りに新しくなり、その際愛称を公募しました。「あ」のしゃちほこを「天丸」千葉県の石井さん、「うん」のしゃちほこを「まつ姫」東京、神奈川、千葉、愛媛、福岡の8人と決定したそうです。 あれはどちら?
あの門は? ・・・分かりません。そもそも方向音痴の私には、今何処に居るかが分かりません。
あれも何処だか不明ですが、お城らしい景色です。やって来た道ですが、角度が変わるともう分かりません。
これは分かります。本丸広場と太鼓櫓と、手前に入場券売り場です。
ここでふと、瓦に「民若」との文字があるのに気付きました。いや、「若民」かな? 生産者の屋号だと思います。
瓦の先端には釘穴があります。ずり落ちないようあそこで全体を固定しています。
パンフレットを紹介します。 「天守とは戦闘のときこそ、その存在価値がある。防衛の要として一大事のときだけ籠城。日ごろは城主やその側近らが足を踏み入れることもなく、生活の場ではないのでトイレも炊事場もない。床は板張りで天井板もないのが通例だ。
ところが松山城は一重、二重、三重とも天井板があり、畳の敷ける構造になっている。さらには床の間もしつらえられ、襖を入れるための敷居まである。これはなにを意味するのか。当時の城主、12代松平勝善はここを何の用途にしようとしたのか、定かではない。」
天守閣からの展望です。松山市の中心部、官庁街と本丸広場です。
中央のキャンパスは、数ヶ月前に実験室で覚醒剤を製造していた松山大学です。
繁華街と民家の向こうには瀬戸内海です。領主か上級武士にならないと見られない景色だったのですね。
帰り際に見上げる艮門東続櫓です。
帰りは、藩士が毎日登下城した坂道を下ります。けっこうきついです。
こうして友人は50超年振りに松山城に登城して下城しました。彼も私も、もう来ることはないと思います。年を取るって事は可能性が縮小していって、なんだか切ないなあ・・・
築城された全てのお城が残っていたらありがたいのに・・・
、ホテルから朝の散歩で松山城に出掛けます。
懐かしい記事有難うございます。
ニノッチさんって、都会っ子だったんですね。
横浜みなとみらいで、数年前から、クリスマス頃に、
「お城EXPO」が開催されますよ。
私は二度、行きました。
ほお、横浜みんとみらいで開催されますか!
天守閣に自販機がある城があったら・・・、行きますよね。