故郷での報告をちょっと一休み。
在庫の蔵出しをします。
「ニュージーランド大使館」
神山町での大使館の探索が続きます。
ニュージーランド大使館がありました。
ニュージーランドは、南西太平洋のオセアニアのポリネシアに位置する立憲君主制国家であり、ニュージーランド王国を構成する最大の主体です。
島国であり、二つの主要な島と、多くの小さな島々からなっており、北西に2,000km離れてオーストラリア大陸と対しています。
南方の南極大陸とは2,600km離れています。
北はトンガ、ニューカレドニア、フィジーがあります。
イギリス連邦加盟国であり、英連邦王国の一国です。
1769年、イギリス人ジェームズ・クックが、島全体および周辺の調査を行いました。
この調査の結果、ヨーロッパ人の捕鯨遠征が始まり、その後、イギリスを始めヨーロッパ各地からの移民流入が始まりました。
1830年代前半に、ロンドンに植民地会社が組織されると、移民はさらに増加しました。
1840年2月6日、イギリスは、先住民族マオリとの間にワイタンギ条約を締結し、イギリス直轄植民地としました。
1860年代には、入植者とマオリ族との間で土地所有をめぐり緊張が高まり、1843年と1872年の二度に渡って戦争が勃発したが鎮圧されました。
19世紀後半になると工業化が進み、1907年9月26日、イギリス連邦内の自治領となり、事実上独立しました。
(ウキィペディアより)
直ぐ近くに味わいのある家があります。
広い敷地を玄関先に回ると警備員が立っていました。
厚かましく誰の家か訊いてみました。
麻生副総理・財務・金融大臣の家とか・・・。
安倍総理の自宅も近くに在ります。
ここはそんな地区です。
散策は続きます。
「ブルガリア共和国大使館」
代々木公園の西側に来ました。
ユーロ旗と国旗がたなびいています。
郵便受けがありました。
ここがブルガリア共和国大使館です。
東ヨーロッパの共和制国家です。
バルカン半島に位置し、北にルーマニア、西にセルビア、マケドニア共和国、南にギリシャ、トルコと隣接し、東は黒海に面しており、首都はソフィアです。
学生の頃、五木寛之の海外放浪小説にあこがれて「ソフィアの秋」などを夢中で読みました。
7世紀までは東ローマ帝国領です。
5世紀以降、スラヴ人が侵入し、次いでテュルク系の遊牧民族ブルガール人が侵攻して征服しました。
スラヴ人を支配下に置き、680年頃東ローマ帝国に支配を認めさせて、ブルガリア(ブルガール人の国)を建国(第一次ブルガリア帝国)しました。
ブルガール人はスラヴ人より人数が圧倒的に少なかったために10世紀までにスラヴ人と混血・同化し、現在のブルガリア人が形作られました。
第一次ブルガリア帝国は、11世紀に東ローマ帝国に滅ぼされ、再び東ローマ帝国領となりますが、12世紀末に再び独立(第二次ブルガリア帝国)しました。
しかし、第二次ブルガリア帝国は1242年のモンゴル人の侵攻によって打撃を受けて衰退し、1393年にオスマン帝国に滅ぼされました。
以後、485年間もの長きにわたるオスマン帝国の支配下に置かれました。
この結果、現在に至るブルガリアの言語、風俗等に多大な影響を及ぼしています。
(ウキィペディアより)
大使館の裏の閑静な丘に大使公邸があります。
こちらの方が立派な建物で、警戒も厳重に見えます。
合わせて紹介します。
1908年、オスマン帝国で青年トルコ人革命が勃発したことに乗じて、ブルガリアは独立を宣言しました。
その後、1909年に国際的に完全な独立を承認され、ブルガリア王国が成立しました。
1915年、第一次世界大戦では中央同盟国側に参戦しました。
1941年、ナチス・ドイツと軍事同盟を締結します。
1944年にはソ連の侵攻を受け、王政が廃止され共和制が成立し、ソ連の衛星国家となります(ブルガリア人民共和国)。
1989年に共産党政権が崩壊し、2001年には元国王のシメオン・サクスコブルクゴツキが首相に就任しました。
2007年1月1日に欧州連合 (EU) に加盟しました。
しかし、加盟時にはEU最貧国であり、加盟後には若年労働者や知識層が高収入を求めて西欧へ流出することが危惧され、ブルガリアの国力低下と共に、低賃金労働力が流入する西欧諸国との軋轢が拡大することが懸念されています。
(ウキィペディアより)
大使館の玄関脇に胸像レリーフがあります。
「ヴァシル・レフスキ」と書かれています。
ブルガリアの英雄らしいのですが、ウキィペディアでも詳細は不明です。
次回に続きます。
在庫の蔵出しをします。
「ニュージーランド大使館」
神山町での大使館の探索が続きます。
ニュージーランド大使館がありました。
ニュージーランドは、南西太平洋のオセアニアのポリネシアに位置する立憲君主制国家であり、ニュージーランド王国を構成する最大の主体です。
島国であり、二つの主要な島と、多くの小さな島々からなっており、北西に2,000km離れてオーストラリア大陸と対しています。
南方の南極大陸とは2,600km離れています。
北はトンガ、ニューカレドニア、フィジーがあります。
イギリス連邦加盟国であり、英連邦王国の一国です。
1769年、イギリス人ジェームズ・クックが、島全体および周辺の調査を行いました。
この調査の結果、ヨーロッパ人の捕鯨遠征が始まり、その後、イギリスを始めヨーロッパ各地からの移民流入が始まりました。
1830年代前半に、ロンドンに植民地会社が組織されると、移民はさらに増加しました。
1840年2月6日、イギリスは、先住民族マオリとの間にワイタンギ条約を締結し、イギリス直轄植民地としました。
1860年代には、入植者とマオリ族との間で土地所有をめぐり緊張が高まり、1843年と1872年の二度に渡って戦争が勃発したが鎮圧されました。
19世紀後半になると工業化が進み、1907年9月26日、イギリス連邦内の自治領となり、事実上独立しました。
(ウキィペディアより)
直ぐ近くに味わいのある家があります。
広い敷地を玄関先に回ると警備員が立っていました。
厚かましく誰の家か訊いてみました。
麻生副総理・財務・金融大臣の家とか・・・。
安倍総理の自宅も近くに在ります。
ここはそんな地区です。
散策は続きます。
「ブルガリア共和国大使館」
代々木公園の西側に来ました。
ユーロ旗と国旗がたなびいています。
郵便受けがありました。
ここがブルガリア共和国大使館です。
東ヨーロッパの共和制国家です。
バルカン半島に位置し、北にルーマニア、西にセルビア、マケドニア共和国、南にギリシャ、トルコと隣接し、東は黒海に面しており、首都はソフィアです。
学生の頃、五木寛之の海外放浪小説にあこがれて「ソフィアの秋」などを夢中で読みました。
7世紀までは東ローマ帝国領です。
5世紀以降、スラヴ人が侵入し、次いでテュルク系の遊牧民族ブルガール人が侵攻して征服しました。
スラヴ人を支配下に置き、680年頃東ローマ帝国に支配を認めさせて、ブルガリア(ブルガール人の国)を建国(第一次ブルガリア帝国)しました。
ブルガール人はスラヴ人より人数が圧倒的に少なかったために10世紀までにスラヴ人と混血・同化し、現在のブルガリア人が形作られました。
第一次ブルガリア帝国は、11世紀に東ローマ帝国に滅ぼされ、再び東ローマ帝国領となりますが、12世紀末に再び独立(第二次ブルガリア帝国)しました。
しかし、第二次ブルガリア帝国は1242年のモンゴル人の侵攻によって打撃を受けて衰退し、1393年にオスマン帝国に滅ぼされました。
以後、485年間もの長きにわたるオスマン帝国の支配下に置かれました。
この結果、現在に至るブルガリアの言語、風俗等に多大な影響を及ぼしています。
(ウキィペディアより)
大使館の裏の閑静な丘に大使公邸があります。
こちらの方が立派な建物で、警戒も厳重に見えます。
合わせて紹介します。
1908年、オスマン帝国で青年トルコ人革命が勃発したことに乗じて、ブルガリアは独立を宣言しました。
その後、1909年に国際的に完全な独立を承認され、ブルガリア王国が成立しました。
1915年、第一次世界大戦では中央同盟国側に参戦しました。
1941年、ナチス・ドイツと軍事同盟を締結します。
1944年にはソ連の侵攻を受け、王政が廃止され共和制が成立し、ソ連の衛星国家となります(ブルガリア人民共和国)。
1989年に共産党政権が崩壊し、2001年には元国王のシメオン・サクスコブルクゴツキが首相に就任しました。
2007年1月1日に欧州連合 (EU) に加盟しました。
しかし、加盟時にはEU最貧国であり、加盟後には若年労働者や知識層が高収入を求めて西欧へ流出することが危惧され、ブルガリアの国力低下と共に、低賃金労働力が流入する西欧諸国との軋轢が拡大することが懸念されています。
(ウキィペディアより)
大使館の玄関脇に胸像レリーフがあります。
「ヴァシル・レフスキ」と書かれています。
ブルガリアの英雄らしいのですが、ウキィペディアでも詳細は不明です。
次回に続きます。