荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

鉄ちゃんの聖地?「今村清之助」の墓

2024年02月12日 | 散文

時々霊園をフラフラと散策します。上京する前まで、霊園=墓地を散策するなんて考えられませんでした。陰気で怖い場所でした。肝試しの場所でもありました。  ところが、東京では霊園で花見をすると聞いて、腰が抜けるほど驚いたものです。霊園は憩い場所でもあるんです。今では私も、散策の場所になっています。谷中霊園には沢山の墓が有ります。その中から、有名人の墓を見つけるのも楽しいです。

ふと、墓標の真ん中に有るのはSLじゃないのか⁉

間違いありません。SLです。側の墓石には「今村清之助墓」とあります。誰?

「今村清之助(1849.03.03〜1902.09.26)    長野県下伊那の農家の二男16才の頃商人を志し横浜にて行商や露天商を経て明治11年日本で初めての株取引所を設立又明治17年から陸奥宗光と共に欧米先進国の経済文化を視察し外遊漫録を発刊、鉄道事業に思いを持ち明治19年両毛鉄道の設立に奔走し社長となり鉄道事業の第一歩を踏み出す。その後九州•関西山陽をはじめ多くの鉄道事業の発足に関与我が国の鉄道王と称せられた生涯であった。明治21年設立の今村銀行は鉄道王清之助の興行的役割をした。農家の一青年に過ぎなかった清之助が時代の変遷と共に超人的努力を惜しまず近代社会の礎作りに大きく貢献しここに眠る。長男繁三は英国留学より帰国後家督を継ぐと共に英国文化に傾注し多くの社会事業の発展に貢献した。成蹊学園(現成蹊大学)の創立もそのひとつである。」

この人の事は全然知りませんでした。鉄ちゃんの聖地とまで行かないかもしれませんが、鉄道ファンなら知っている人物だと思います。

こんな谷中霊園散策でした。


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