荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

大使館を訪ねてー41(パプアニューギニア、タイ)

2017年02月13日 | 散文
「パプアニューギニア大使館」

目黒区と品川区に跨る「林試の森公園」の北側の下目黒にあります。

南太平洋にあるニューギニア島の東半分及び周辺の島々からなる立憲君主制国家です。
東南アジア諸国連合(ASEAN)の特別オブザーバーですが、地理的にはオセアニアに属しています。
オーストラリアの北、ソロモン諸島の西、インドネシアの東、ミクロネシア連邦の南に位置するイギリス連邦加盟国であり、英連邦王国の一国です。

パプアニューギニアは、元々あったパプアとニューギニアが合併してできた国です。

パプアニューギニアの南側は、旧イギリス領(のちにオーストラリア領)で、メラネシア人の縮れ毛を指すマレー語の言葉から、パプア(オーストラリア領パプア準州)と呼ばれました。
一方、北側は、旧ドイツ領(のちにオーストラリア委任統治領)で、メラネシア人がアフリカのギニア人に似ているところから、スペイン人の探検家がニューギニアと名付けました。

ニューギニア島はオーストラリア大陸と共にゴンドワナ超大陸を構成していましたが、白亜紀に始まった大陸分裂で、オーストラリア大陸と南極大陸は45百万年前に分離し、ヒマラヤ山脈と同じ頃にニューギニア中央山脈も形成されました。

氷河期にはニューギニアとオーストラリアは地続きで、サフル(英語: Sahul、あるいはMeganesia - メガネシア)と呼ばれる一つの陸地でした。

この地域において、約6万年前の東南アジア方面から来たと思われる人類の痕跡が見つかっています。

約5000年前、ニューブリテン島中央部のタラセアにおいて、貝の貨幣「シェルマネー」が作られました。
これが最古の貝貨とされています。
(ウィキペディアより)


「タイ王国大使館」

品川区上大崎に居ます。
門前のデザインが「タイ」と言われて頷きます。
大使館らしい偉容でもあります。


東南アジアに位置する立憲君主制国家で東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟国で、通貨はバーツ、人口6,718万人、首都はバンコクです。
国土は、インドシナ半島中央部とマレー半島北部を占め、南はマレーシア、東はカンボジア、北はラオス、西はミャンマーと国境を接し、マレー半島北部の西はアンダマン海、東はタイランド湾に面しています。


2014年にプラユット将軍率いる国軍が軍事クーデターを起こし、憲法と議会を廃止し実権掌握以降、軍事独裁政権が継続しています。
2016年10月13日、プーミポン・アドゥンラヤデート(プミポン)国王が崩御し、ワチラーロンコーンが国王に即位しました。


軍事独裁政権らしく大使館は武官事務所を兼ねています。

タイの民族国家成立以前、中国華南に住んでいたタイ民族は、インドシナ半島を南下して現在のタイの位置に定住するようになりました。
当時、タイには、モン族、クメール人が先住していました。
小タイ族による最初の国家とされるスコータイ王朝(1238年 - 1350年)は、インタラーティット王がモン族やアンコール王朝の支配を退け成立しました。

タイ語のアルファベットであるタイ文字が完成したのは、3代目ラームカムヘーン大王の時代であると言われています。
(ウィキペディアより)

この話、まだ続きます。
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道後温泉から伊予鉄駅

2017年02月13日 | 散文
日本列島は今季1番の寒気の中です。

道後温泉本館から駅に向かいます。

路地を入ってみました。

寒いせいもあってか、人通りは少ないです。

えっ!?
射的屋がありました。


懐かしいです。


店内に客が居ました!
これだけでも驚きです。


温泉街らしい風景です、って言う前に、他所でも射的屋は健在なんでしょうか?

振り返りながら駅に向かいます。

駅頭に置かれているのは「坊ちゃん列車」の機関車です。




プラットホームに立ちます。




ホームと駅舎にはひと気がありません。


少し待つと電車が来ました。


乗客は少ないです。
観光客は風呂に入って夕食を楽しみにしている時間です。


飲み会の会場へ急ぐ私を乗せて、列車はゆっくり動きます。


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好きな商店街ー11

2017年02月12日 | 散文
「柴又親商会」
「寅さん」で有名な柴又ですが、帝釈天と柴又駅からちょっと離れると、あの賑わいとはまるで別天地の商店街があります。
商店街の突き当たりを右折すると柴又駅があり、帝釈天の参道に続きます。


「柴又中央会」
手前に左右に走る道路は「柴又街道」です。
左に100mほどで「柴又帝釈天前」の信号です。
たったこれだけの距離で、客足が全然違います。

観光客は帝釈天と柴又駅を往復するだけです。
正面左のラーメン屋さんは流行っているように見えます。

「日暮里銀座交友会」
鶯谷へ向かう道路を走っています。
尾竹橋通りの冬景色です。


近くには「藤島部屋」があります。
元大関武双山が師匠です。
まだ関取は居ません。


「西小岩通り会」
非常にインパクトのある商店街看板です。
西小岩駅に通じる道かと思いました。


賑やかな商店街を行くと、


JR総部本線の高架にぶつかりました。
「西小岩ステーション」かと思ったら、「西小岩ストリート」でした。


哀愁が漂います。


「小松通り会」
新小岩駅南口のすぐ近くにあります。

近辺は「小松菜」発祥の地です。
そこからのネーミングだと推測します。

入ってすぐに石材店が有ったりする珍しい商店街です。

清潔感があります。

この石材店の敷地にある高圧電線鉄塔が目に付きます。


商店街頑張れ!
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冬の夕方の道後温泉

2017年02月12日 | 散文
全国的に雪の日本列島ですが、故郷の雪はチラチラ舞って、朝薄っすら積もっている程度です。
それでも普段暖かい当地は、特に応えます。

道後温泉駅前にやって来ました。


いつものように商店街を通って行きます。
客足は少ないです。




明かりの灯る道後温泉本館です。












人力車に客はいません。




浴衣姿の観光客がいました。


湯上がりなのでしょうか?
寒がっていません。
楽しんでいます。


暖かそうな光に誘われます。


寒い時はお風呂が一番ですね。




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大使館を訪ねてー40(アゼルバイジャン、ガボン)

2017年02月11日 | 散文
「アゼルバイジャン共和国大使館」

大使館巡りを再開しました。

目黒区東が丘に来ました。
西に「駒沢オリンピック公園」と「東京医療センター」があります。
閑静で落ち着いた、古くからの住宅街のように見えます。
その環境に馴染んだ、一般住宅のような大使館です。


南コーカサスに位置する共和制国家で、東ヨーロッパに含められることもあります。

北はロシア、北西はジョージア(グルジア)、西はアルメニア、南はイランと国境を接し、東はカスピ海に面しています。
アルメニアをまたいで西南方に飛地のナヒチェヴァン自治共和国があり、アルメニア、イランおよびトルコと接していて、首都はバクーです。
アルメニア人が多数居住する西部のナゴルノ・カラバフ地方は、事実上独立した状態となっています。

紀元前後には、アゼルバイジャン人の祖先と見られるアルバニア人の国家(カフカス・アルバニア王国)が作られていました。

歴史的には、イランの東アーザルバーイジャーン州、西アーザルバーイジャーン州とともにイラン高原を支配する政権の統治下にあることが多く、もともとはイラン系の人々が住んでおり、南のイラン高原側と同じくゾロアスター教の拝火壇などの宗教施設が多数建立されていました。

17世紀にこの地方を拠点にサファヴィー朝が起こり、カスピ海南西岸地域一帯の多くのテュルクメン系の人々がシーア派へ改宗した結果、アゼルバイジャン人(アゼリー人)と呼ばれる民族が形成されていきました。

アラス川以北の現アゼルバイジャン共和国領は、元来イラン高原に属しウルーミーエ湖周辺のタブリーズやマラーゲを中心とするアーザルバーイジャーン地方とは別個の地域であって、アゼルバイジャンとは呼ばれていませんでしたが、南の東西アーザルバーイジャーン州との民族的共通性から次第にアゼルバイジャンという地名で呼ばれるようになりました。
(ウィキペディアより)

それにしても、民家と変わらない大使館です。


「ガボン大使館」
引き続き、同じ東が丘の住宅地です。
一般住宅が軒を並べる通りに国旗が見えました。
壁にある紋章と掲げられている国旗が無ければ民家となんら変わりません。


中部アフリカに位置する共和制国家です。
北西に赤道ギニア、北にカメルーン、南と東にコンゴ共和国と国境を接し、西は大西洋のギニア湾に面していて、首都はリーブルヴィルです。


正式名称はフランス語で République Gabonaise (レピュブリック・ガボネーズ)、通称 Gabon(ガボン)です。
国名の由来はポルトガル語の Gabão(水夫用外套の意)から来ています。

理由として、この国を流れるオゴウェ川の河口にある小高い丘の形状が水夫用外套のフードを広げたような形であったことから、大航海時代のポルトガル人がそれを指して叫んだことに因るものとする説があります。

15世紀末にポルトガル人が渡来し、奴隷貿易を行いました。
ついで、オランダ、イギリス、フランスが進出し、この地は奴隷貿易と象牙の集散地として栄えました。
1885年にこの地域をフランスが占領しました。
1910年にフランス領赤道アフリカの一部となり、この状態は1959年まで続きました。
1960年8月17日にガボン共和国として独立しました。

なお、アルベルト・シュヴァイツァーがランバレネで医療・伝道活動を行っていたのは、このフランス領赤道アフリカ成立直後のことです。
(ウィキペディアより)

国力の大小によって、随分と大使館の立地・規模・敷地の広さ・建物の造り等々に差が生じます。
この一般的民家(我が家より遥かに立派ですが)様の大使館を見ると、国力の差を現実として理解できます。

この話、復活して続きます。

コメント (2)
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また京成立石駅前仲見世に来ました(2017年2月)ー2

2017年02月11日 | 散文
仲見世の散策が続きます。

いつも気になるもつ屋です。
前回訪問時は2時半からの開店でした。
今日はもう営業してしまいます。

あれ?
こちらは出口ですか。
じゃあ、入り口は何処?
・・・後ほど分かりました。

立ち食い蕎麦も開店しています。


飲食店が集まっている一角を過ぎると出口近くになります。
京成立石駅から見れば、入り口になります。
一般的な商店街の顔が見えます。
総菜屋が集まります。










この屋号は愛知県の出身でしょうか?


行列があります。




寿司屋のようです。


えっ!?
立ち食い?

凄い人気店です。
よし!今度並んでみよう。

ここにも行列があります。

ここが先ほど見たもつ屋の入り口でした。

ここにももつ屋があります。

もつが好きな町人のようです。

仲見世に戻ります。





ここ、また来ると思います。


余談。
またこの蕎麦屋に来てしまいました。
蕎麦打ち教室もやっていて、プロ志望の人もビルの3階の宿舎に泊まって修行しているそうです。
大きなビルは、元家具屋だったとか。

美味しいです。
気に入っています。

玄関を入った所にあった意味不明?

この店は山葵を使いません。
薬味の大根のこと?

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安倍さんお先に、

2017年02月10日 | 散文
雨の羽田空港です。
窓の水滴でよく見えない空港に、鮮やかな日の丸が目に飛び込んで来ました。


これは、あの、政府専用機ではないでしょうか?
安倍さんがトランプさんに会いに行く飛行機です。
こちらが20-1102号機で向こう側が、20-1101号機です。

テロ等の危機管理の為、2機同時に飛ばせます。
安倍さんはどちらに乗るのでしょうか?
日米関係が今日のような嵐に向かう事態にならないよう祈るばかりです。
そして、日本が世界の笑い者にならないよう・・・。


さて、安倍さんより早く離陸した一般人専用機は雲に突っ込んで行きます。

ちょっと揺れます。

雲の上に出て安定飛行に入りました。
雲海の変化を楽しみます。








ほんの少し下界が見えます。
あれはどこでしょう?
こちらは雨が降っていないようです。


高度を下げて行きます。






下界がはっきり見えてきました。
見覚えのある景色です。






空港を通り過ぎます。
今日の着陸は、いつもと違って山側からのようです。


急旋回します。


まるで、日本を爆撃する米軍機のようです。




翼の向こうに「天使の階段」が現れました。

日本に希望あれ!
安倍さん頑張れ、と帰省しました。

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また京成立石駅前仲見世に来ました(2017年2月)ー1

2017年02月10日 | 散文
又来てしまいました。

けっこう凝り性の私です。
気に入ったら暫くは集中します。

既報の通り、廃業した店舗が多い商店街です。

シャッターに立て掛けられた板切れには「売り店舗、商権付き」との記載があります。
商権って、営業権と違って、そもそも法的にそんな権利はありません。
「今まで維持してきた客付きで売るよ」って言いたいのでしょうが、もう固定客は居ません。

今日はそんな中で頑張っている店を見たくてやって来ました。
では、仲見世を行きます。
総菜屋です。
作ったばかりの総菜から湯気が立っています。

美味しそう!

枝道にある美容院。


蕎麦屋が在りました。
今まで、シャッターが閉まっていたように思います。

今日はもう、すぐ近くの蕎麦屋で食べたばかりです。
今度食べます。

この商店街に沢山あるのが洋品店です。
代表してここ。

品揃えは他店とほとんど変わりません。

中華そば店です。
この色合いは昭和カラーです。


今日は開いていました餃子屋さんです。


いつ来ても好い匂いのおでん屋。


居酒屋です。
飲み物の取り込み中です。

この時間(12時ちょっと過ぎ)からやっています。
私はこの営業方針、賛同します。

見た目洋風居酒屋ですが、中華そば店です。


コーヒーショップでしょうか?
客はオヤジだけです。

年金暮らしで、暇で、下戸が集まっているのでしょうか?

ここも居酒屋です。

一般の商店街らしくなく、飲み屋ばっかりです。

と思っていたら、商店街唯一声を上げて商売している、商店街唯一の八百屋です。


斜め前には魚屋です。


その隣は和菓子屋があります。

この一角は普通の商店街の風景です。

更に散策が続きます。
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豊島区駒込の「亀の湯」

2017年02月09日 | 散文
見事な煙突が立っています。

全面道路は本郷通りです。
左に行くと六義園に、右に行くと古河庭園に行く賑わった街道です。

近隣は豊島区の駒込の一角にある古い街です。
いつもこんな所に銭湯の需要があるのかと訝りながら通り過ぎるのですが、今日は自転車を停めてみました。


店頭を見に行きます。


反対側からも見ます。

まだ開店前です。

ここがボイラー口のようです。
歩道から覗けます。


亀の湯に向かって左手に道があります。




この道を入ったすぐの所に「女子栄養大学」があります。
亀の湯の隣です。






その坂道を上がって行きます。


坂の上から振り返ります。
左手は女子栄養大学の校舎です。

この坂を下りた所に「亀の湯」があります。

突き当たりには「中央聖書神学校」があります。




学校の左手は公園ですので、その道を右折します。
アパートのようです。

学生の街でもあるようです。

進むに連れて、段々道が狭くなります。




なるほど、銭湯の需要がありそうな街です。




小さな石段もある坂の街です。

探索したくなる街です。
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「東京ゲーテ記念館」に行き当たる。

2017年02月09日 | 散文
西ヶ原から本郷通りへ向かう坂道です。
瀟洒な西洋館がありました。




ガードレールには「ゲーテの小路」との記載があります。


歩道からはこんな絵になっています。


建物に行ってみます。






玄関前に建物の名称が書かれています。

へ~!こんなものがあるんだ!?
正直な気持ちです。

道路の反対側に小さな公園があります。

行ってみます。



折角の説明板ですが、ゴミ置場になっているようです。


日本文学以上にドイツ文学に疎いです。


「ギョッ、ギョッ、ギョエテかシルレルか」
でしたっけ?

「み~んな悩んで大きくなった!俺もお前も大物だ~!」
野坂昭如の、何かのCMを思い出しました。

そして思います。
外国の文学にこうして敬意を払った昔の日本は懐が深かったと。
「自分が良ければ他人を泣かせても良い」との世界的風潮をゲーテはどう表現するでしょう・・・。
母国の子孫、メルケル頑張れ!!
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寒い東京大学

2017年02月08日 | 散文
この季節に訪問するのは珍しいです。
入学試験も終わって静寂を取り戻した東京大学です。







キャンパスを行きます。


寒いです。


歩いているのは殆ど学生です。


冬のピークです。


名物銀杏もこのとおり。


寒い景色になっています。

暫く訪問しないと思います。
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不忍池の蓮刈り

2017年02月08日 | 散文
不忍池で作業をしている小父さんがいました。


質問します。
「蓮根掘りですか?」


「草刈りだよ」

言いながら竿で筏を漕いで(?)行きます。

ピンと来ません。
暫く行くと、分かりました!


枯れた蓮を刈り取っているのです。


この量が小父さんの仕事の成果です。


凄い量です。


これも小父さんの仕事の成果です。



こうやって池を綺麗にしていたんですね。
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亀戸餃子へ行く。

2017年02月07日 | 散文
餃子を食べたくなって久し振りに亀戸に来ました。




暫く店頭風景を見ます。
相変わらず人気店です。










店の左側は、「大阪名物 串かつどて焼きの店」です。


斜め前はニューハーフパブです。

カルーセル麻紀やデビ夫人、香取慎吾と辰吉丈一郎等の写真があります。
こういう商法は好きではありませんが、下町らしい。

先程からお腹が鳴っています。


食べましょう!

一人2皿マストの店です。
一皿5個250円です。
男性は4皿食べる人が多いです。
店内の壁一面に有名人と取材に来たアナウンサ-のサインと写真があります。
コテコテの下町が楽しめます。
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間垣親方(元時天空)の葬儀に行き当たる。

2017年02月07日 | 散文
昨日の事です。

両国の交差点の向こうに、この寒空に浴衣1枚で、相撲取りが自転車で信号待ちをしています。


相撲取りは元気だなあ、と思って見ている回向院の門前に、葬儀の看板が出ています。


回向院はお寺なので、生業として、時々葬儀を遂行しています。


信号を渡りながらよく見ると、間垣親方(元小結時天空)の葬儀でした。


回向院は勧進相撲発祥の地であり、彼が居た時津風部屋がすぐ近くにあるので部屋の菩提寺でもあるという縁での葬儀でしょう。
相撲取りの葬儀に相応しいお寺だと思います。


改めて門前に近づきます。
葬儀の看板に梅が咲き始めています。


モンゴルからやって来て、日本人でも辛い相撲界で頑張って、努力して親方になってこれからという時に、僅か37歳で、本人も家族も関係者もさぞかし残念でしょう。


彼が部屋付き親方として若手の育成を夢見ていた時津風部屋に行ってみました。
関脇正代が居る部屋です。

最近は時天空のような、冠に「時」を持つ力士が居なくなりました。

いつもと変わりない静かな玄関前風景です。



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両国駅へ行く。

2017年02月06日 | 散文
国技館や相撲部屋へはよく行きますが、両国駅へ行った事がありません。
国技館のすぐ傍なのに・・・。
改めて駅へ行ってみました。
総武線が頭上を走ります。





線路の上は首都高速向島線です。
その向こうに見える半円形は隅田川に架かる鉄橋です。


頭の上を走って電車が駅に到着しました。




駅前の風景です。
隣に国技館が見えます。


レトロ感がある駅舎です。


駅前には普通に相撲取りが居ます。


駅構内は国技館の雰囲気です。
「満員御礼」の垂れ幕はいつも準備しているのでしょうか?

昨日も出したのでしょうか?

国技館へ行きます。
昨日ここで、稀勢の里が始めて土俵入りをして、大相撲トーナメントでも初優勝しました。


テレビで見ていましたが、本場所と違って、怪我しないように土俵際で厳しく攻めない、負ける方も踏ん張らないように見えます。

稀勢の里が優勝して、賞金1千数百万円を手にしました。
まあ、横綱昇進のご祝儀ですね。

帰りに伊勢ケ濱部屋に立ち寄ったら、玄関に貼り紙がありました。


三越バスツアーがあるとの事です。

三越百貨店の「お得意様限定イベント」でしょうか?
ちょっと前に本場所が終わって、巡業に行って、トーナメントを戦って、団体見学ですか。
稽古の後はチャンコ鍋の接待役を務めるのでしょうね。
相撲取りも大変です。


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