荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

猛暑日の砂町銀座

2022年08月03日 | 散文

猛暑日の砂町銀座の午後3時です。何でこの暑い日にそんな日陰も無い場所に居るの?とお思いでしょうねえ。眩しい景色です。

 

お、自転車が行きます。少し人が居ます。

 

商店街の中央部分です。おでん種で有名な店です。冬には長い行列ができる店です。

 

よくテレビで紹介される店ですが、この暑い盛りのこの時間に、まさかお客さんが居るとはお思いませんでした(失礼)。

 

隣にはミストシャワーが設置されています。水滴が大きくて自転車が濡れています。店は休憩中でしょうか?ひょとしたら、隣のおでん種の店に、もうすぐ行列ができるのでしょうか?

 

郵便屋さんが、殆どシャッターが閉まった商店街を配達しています。見ていたら、殆どの店に配達しています。区役所か何か公的な郵便でしょうか?・・・大変な仕事ですねえ。

 

炎天下の商店街です。

 

人気の焼き鳥屋に客は居ません。

 

商店街の東口です。

 

振り返ります。暑そうでしょう?もうすぐこの通路の正面に、西日がギラギラ輝きます。

もう一直線で帰ります。冷蔵庫のスイカにかぶりつこうと思っています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鬼子母神の木もれ陽/真夏の静寂

2022年08月03日 | 散文

東京都天然記念物の銀杏を眺めます。木もれ陽が好い感じです。

 

 

武芳稲荷の拝殿に灯った灯明を物ともせず、真夏の太陽光が射します。

 

灯籠にも灯りが点っているのですが、圧倒する木もれ陽です。朱鳥居を潜ります。

 

銀杏に注ぐ木もれ陽です。

 

朱鳥居に注ぐ木もれ陽です。

 

真夏の静寂です。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上川口屋閉店風景

2022年08月02日 | 散文

前回の訪問は雨漏りした屋根の修理中でした。お婆ちゃんは店の周りの掃除をしていました。今日は暑い夏の話になるのでしょうか?木漏れ日の中の上川口屋です。好い風情です。・・・あれっ?!店頭の駄菓子の入れ物が仕舞われています。

 

ガタガタと雨戸を閉めています。

 

店じまいの手際が良いです。そういえば、前回訪問時に雨漏りを直していた屋根の修繕は無事終わったようです。トタン屋根の継ぎ目を塞いでいます。

 

ガラス戸も閉めようとしていました。ここで目が合います。「どうしたんですか?」「午後から用事で出かけるのよ。明日は空いているわよ」「さすがに今日の明日は来ません」苦笑いしながら、急いでいるのでしょう手が止まりません。

 

ガラス戸を閉めて奥に下がります。

 

新たな雨戸を持って来るのだと思います。

 

あっというまに閉店しました。

取り残された私です。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真夏の鬼子母神参道

2022年08月02日 | 散文

踏切の向こうにケヤキの繁りが見えます。青い空と白い雲の下を都電が来ました。空と同じカラーです。見た目涼しくはあります。

 

真夏の鬼子母神参道です。

 

ケヤキ並木です。

 

足を踏み入れます。

 

真夏の太陽光が繁ったケヤキ葉に遮られて薄暗くなった参道を行きます。左の大ケヤキに一条の光が射しています。

 

今日も見詰めます。

 

陽射しを追います。

 

静かな参道です。普段も人は少ないですが、この暑さでは用事も無いのに人は出歩きません。

 

風が渡ります。静かな参道をざわめかせます。

 

振り返ります。

真夏の鬼子母神参道です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「千成もなか」のかき氷

2022年08月01日 | 散文

大塚駅前停留場から向原停留場の間に在る都電が走る坂道です。サンモール大塚商店街に「千成もなか」が在ります。甘党じゃない私が利用するのは夏だけです。

 

かき氷が目当てです。

 

都電が往きます。

 

「かき氷下さい」と言ったら「シロップはどうしますか?」と返ってきたので店頭のシロップを見て「イチゴで」と応えると、「ご自分で掛けてもいいですよ」とのことです。「今年はそんなシステムなんですか?」めんどくさいなと思いながらも、面白そうだなと思いました。

 

出てきたのはこれです。「お好きなだけ掛けて下さい」とのことです。

 

一度食べたかった全シロップ掛けの「レインボー」にしようかな?と思いましたが、やっぱりイチゴにします。

 

これが私が作ったかき氷です。子供の頃、冷蔵庫の氷を家庭用かき氷機(上から氷を入れたら蓋をして、ガリガリとハンドルを横に回すやつ)で作って以来です。氷のお供はパンケーキです。この組み合わせはやっぱり美味しいです。

 

「パンケーキ下さい」「はい、大と小がございます」「小で、」「かしこまりました。10枚で300円(だったと思います)です」「えっ?!去年氷と一緒に食べたら美味しかったので、1枚でいいんですけど・・・」「じゃあサービスします。はいどうぞ」そう言えば昨年も貰ったな、と思い出しました。その時はパンケーキという商品が無くて、次の時にどら焼きと食べたら甘すぎたな、などと思い出しながら頂戴しました。

 

シロップが少なくなって味が薄くなりました。レインボーにしようかな?と又思いましたが、遠慮してレモンにしました。・・・味はイチゴと同じです。

 

都電が上ります。

 

この店の包装紙です。さっきまでパンケーキを載せていたものです。これも老舗の風情です。

 

さっきから「氷」の幟暖簾が風で揺れます。商店街の路地を風が抜けます。

 

よし、都電と撮ってやろう!と思ったら、風が幟暖簾を吹き上げました。

 

風は路地の奥に続く商店街へ抜けます。

 

ごちそうさまでした。店を後にします。「氷」が揺れます。氷でこめかみが痛いです。300円ですもの。高額店の「頭が痛くならない氷」ではありません。

次は思い切って、遠慮しないで、レインボーにしようと思っています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ジョイフル三ノ輪」は「新開地」の跡

2022年08月01日 | 散文

千住に「新開地」が在ったと同郷の読者さんが教えてくれました。いつもなら闇雲に行ってしまうのですが、なにぶん場所の見当が付きません。NETで検索したら、神戸の新開地の情報ばっかりです。「千住から神戸新開地へのアクセス」なんての迄有ります。「千住新開地」は殆ど情報がありませんでした。

 

手掛かりは、「ジョイフル三ノ輪」と「瑞光公園」です。両方ともよく知っています。よく自転車で通り抜ける商店街であり、時々トイレを使う公園です。

 

やって来ました公園です。背後が「ジョイフル三ノ輪」商店街のアーケードで、公園の左中央にトイレが在ります。

 

見回したら自転車置き場に案内板が有りました。

 

「石川屋敷跡」の説明です。その1行目に「新開地」の文字が有りました。・・・これだけです。でも、今立っている辺りがその場所のようです。

 

そこは、私にはお馴染みの商店街です。

 

公園の背後は「ジョイフル三の輪会館」です。時々福引抽せん会場になります。つまり、商店街の中心部です。・・・これ以上の情報はありません。全く普通の商店街です。

 

「新開地」とは、売春窟です。昔から多くの男子が集まった東京は、思っていた以上に各地に多くの売春地区がありました。ここだってすぐ近くに「吉原」が在るのに、あったのです。それらの多くは、もう名残りすら見つかりません。ここも同様です。知らなかったら気付く事もありません。散々調べてやっと次の方の情報が見つかりました。下町の歴史を探索している方です。僅か2つの情報です。たった数ヶ月で消滅したらしい幻の買春窟です。

 

作成者: kokontouzai

「江戸時代、この付近には、伊勢の亀山藩石川家の屋敷がありました。明治政府は、屋敷が取り払われた跡地を鴨取場としましたが、追剥ぎなどの犯罪が頻発する物騒な土地でした。そこで、政府は、大正6年、鴨取場を埋めて、「花柳界指定地」にして銘酒屋の営業を許可しました。銘酒屋とは酒類を売っているように見せかけ、密かに売春をしている店のことで、この銘酒屋街は「新開地」と呼ばれ、約500軒の銘酒屋が建っていました。ところが、この銘酒屋街は、開業数ヶ月後、建物だけを残して1軒残らずどこかへ行ってしまいました。土地の人はこれを「幻の銘酒屋街」と呼びました。」

「大正4~5年頃、新開地(現在のジョイフル三ノ輪)に、銘酒屋街が出現し、数ヶ月後に「花柳界指定地」が取り消され、銘酒屋は突然姿を消しましたが、その後に移ってきた一般の住人は、建物を住居型に改造してして住みました。Aさんの家は、商店街の中程を北へ折れてすぐの幅約3メートルの横丁を入った2階建て6軒長屋の3軒目でした。二間間口の家のガラス戸をあけると、広さ三畳か四畳の土間があり、銘酒屋が使っていたころはここは畳敷きで、抱え娼婦の生活の場であり、表に面した入口から通る客を呼び込んだり稼業の場でもあり、隣室は、抱え主の居住空間で、娼婦接客の場所は2階でした。」

 

商店街には「砂場」の東京総本店が今でも営業しています。

 

 

その向かいには、銭湯「大勝湯」が在ります。

 

 

 

懐かしい雰囲気の商店街です。

 

庶民の生活の場です。これらの前身がそうだったのでしょうか?

 

今は多くの商店が閉店して、アーケードの下に玄関を持った民家に変わっています。

 

都電荒川線東端の始発・終点停留場が在る商店街でもあります。

千住の「新開地」は今でもその名前を聞きますが、既にその存在は歴史の底に埋もれています。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする