新聞記事に惹かれて散策しています。
小塚原回向院です。
徳川幕府の墓所です。
入り口に地蔵尊があります。子供の頃「吉展ちゃん誘拐事件」がありました。ここが菩提寺です。
新聞記事にあった「解体新書」に係わる説明板・記念碑です。
さて、歴史エリアへ行きます。
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小塚原回向院です。
徳川幕府の墓所です。
入り口に地蔵尊があります。子供の頃「吉展ちゃん誘拐事件」がありました。ここが菩提寺です。
新聞記事にあった「解体新書」に係わる説明板・記念碑です。
さて、歴史エリアへ行きます。
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先ずは首切り地蔵から。回向院の隣です。
首切り地蔵です。
高架上を日比谷線の電車が走っています。上京した当初、首切り地蔵がここに有り、ここが処刑場跡だと知らずに、あの電車で毎日通っていました。家と会社の往復生活だったので、東京に引っ越して来て、自転車で散策を始めてからやっと知ったのです。ショックでした。処刑場も、無知な自分も。
いつも静かにここに佇んで居ます。
東日本大震災で倒れかけて、檀家を初めとした寄付で修理した記録です。
題目塔です。
元禄11年(1698)2月15日に京都三条の商人、八幡屋谷口氏と法春比丘尼により造立された題目塔。17世紀後半、法華信者の谷口氏が全国の街道筋等に、一切衆生の救済のため造立した題目塔のひとつであり、品川の仕置場等、100基以上が確認されている。 19世紀前半には土中に埋もれていたが、慶應3年(1867)、江戸の法華信者らによって再設置された。その際に小塚原の市置場南端の日光街道中沿いに移設し、小塚原の首切地蔵へ区指定有形文化財と並んで安置された。明治29年(1896)、土浦線・隅田川線開通時に線路の南側から現在地に移動した。近代以降、小塚原の仕置場跡を象徴する石造物として紹介され、広く知られるようになった。
背後に電車が走ります。
好い表情です。
新聞記事に惹かれて散策しています。
山谷は労働者の街です。そこには安宿が沢山あります。
そして、私にとって山谷は、岡林信康が歌う「山谷ブルース」と「あしたのジョー」です。
泪橋には川も橋の在りません。
従って、掘っ立て小屋の「丹下団平ボクシングジム」も在りません。目の前で、男が警察官に食って掛かっています。派出所に連れていかれるな。
矢吹丈が喧嘩して連れられて行った交番が在ります。
初めて行った日の山谷の記事はこちら。
新聞記事に誘われて散策しています。
この存在はショクでした。
大通りにあるのに、いつも通っている場所なのに、今まで気付きませんでした。興味がなければこんなにサイケな看板でも目に入りません。
眺め倒しました。
強烈な印象が残りました。また見に来ると思います。
初夏の光溢れる大塚駅前です。なんと、チンドン屋が居ました。
賑々しく人を呼び込みます。
チラシを貰いました。
既に廃れた商売が、最近復活しているようですね。
千束を走っていたら、「龍泉 冨久の湯」に出逢いました。千束の龍泉ときたら、「樋口一葉」が暮らした街です。道路を渡ります。
ビルに有る銭湯です。
暖簾が涼しげです。まだ「準備中」の札が掛かっています。
夏祭りがあるようです。「千束神社」の祭りだと思います。
銭湯の規模を見ます。大きな銭湯です。陽射しの中で、自販機で水分を取りながら、開店を待つ老人が居ます。
振り返って眺めます。思った以上に大きいです。裏に回ります。
こんな牛乳屋が在りました。千束界隈は、まだ古い家に出逢えます。
戻りつつ銭湯を眺めます。湯船の窓が有って、あそこは銭湯と一体のアパートでしょうか?
「冨久の湯」の前の路地に入りました。料亭が在りました。黒塗りのハイヤーが停まっていました。
斜め前はもんじゃ焼き屋です。下町の風景です。
千束といえば、路地を抜けるとそこに「鷲神社」です。
「酉の市」で賑わいます。界隈は樋口一葉の「たけ比べ」の舞台です。
真夏日の陽射しに照らされて、空気が白っぽいです。
アフリカをイメージしたレストランです。
庭を見ながらカキフライ定食を食べています。いつもお米が美味しいです。農学部に在るレストランだからでしょうか?例によって食レポを忘れて、食べるのに夢中になっています。
時々風に乗って、雪のように白い綿毛が降って来ます。幻想的です。写って無いけど・・・。
食事を終えて外に出ました。これです。
あの大きな木です。雪虫みたいに飛んでいます。
写って無いけど・・・。何の木だろう?
東京大学農学部キャンパスに在ります。
この雰囲気が好いです。
この時期にまだ有りました。カキフライ定食にしました。今日の一番人気です。多くの人が注文していました。
「向ヶ丘ファカルティハウス」内にあるレストランです。
いつものように庭に下ります。
レストランの照明が好いです。
蔦の壁が好いです。
あの扉の向こうにドアフォンがあって、押せば扉を開けて貰えます。今日も6人連れが入って来ました。
さあ、カキフライ定食を食べに行きましょう。
東京大学農学部キャンパスです。ブルーシートが巡らされていて、立ち入り禁止の赤いコーンが置かれています。
何だろう?
椅子が置かれています。新しい休憩所でしょうか?
ハチ公と上野博士像の奥です。
木漏れ日の中から光のキャンパスを振り返ります。
緑が鮮やかな東京大学農学部キャンパスです。
初夏の木漏れ陽で薄暗くなった池畔を歩きます。
木漏れ陽を踏みます。
三四郎池を覗きます。殆どいつも濁っています。排水路が無い窪地の池です。
影絵のようです。
緑が濃いです。
緑の隙間から見上げる空は初夏の色です。
青紅葉が瑞々しく浮かびます。
ちょっと振り返ります。木漏れ陽の遊歩道です。
視界が開けます。
もうすぐ梅雨が来ます。
緑に覆われたような、東京大学三四郎池入り口です。
何処かへ連れ去られそうな空間です。
人が居ました!学生でしょうか?丁度昼休みです。
水が少ないです。
橋に向かいます。
木漏れ陽の橋です。
三四郎池です。緑を映します。
初夏の風情です。
青銀杏が今伸び盛りです。
東京大学の銀杏並木です。木陰が涼しげです。
工学部前の大銀杏へ向かいます。
青々と繁っています。
工学部前から振り返ります。黒々と影を落とします。
木陰です。
銀杏並木に戻って、正門方向を眺めます。
安田講堂方面です。
日陰が恋しい時刻です。
沢山の人が忙しく働いていました。
「江戸川区東小松川小学校」です。
もうすぐ完成のようです。
東京23区でも過疎化で小学校が閉鎖されています。
この界隈は人が増えているのでしょうか?
隣に新しい共同住宅でしょうか? いや違います。この形状は、たぶんこの工事で働く人たちの臨時の住居だと推察します。
こんなに多くの人が住み込んで働いています。他にも、通いの職人やトラックとかも居るでしょう。大工事です。
隣に「東小松川小学校」が在りました。この古くなった校舎を建て替えるようです。
新しい校舎が建っているあちらが今の校庭で、完成後は、こちらと背後のプレハブ建物の場所が校庭になるんでしょうね。
珍しい光景です。何かの理由で途中から登校する生徒のようです。今ではこうしてインターホンで呼び出して開けて貰うんですね。私の通った小中高大学校の校門は、常時開けっ放しでした。時代の変遷の光景です。
帰ろうとしたら、慌ただしくコンクリートミキサー車が現場に向かっていました。
生徒の皆んなは、新しい教室で勉強するのが楽しみだね。
時々「下町人情 キラキラ橘商店街」を通ります。「ハト屋パン」が廃業した後、現在の店主が引き継ぎました。
当初は土日だけの営業でした。他の仕事をしながらの営業でした。
当初から変わらない看板です。好いです。
パンを買っています。
コッペパンが有名でした。タレントが下町散策の番組で度々訪れていました。経営者が代わった当初、1度だけコッペパンを買いました。新しい経営者は、そのレピシを十分に引き継いでいないと言っていました。でも美味しかったです。
「じゃあどうして、1度しか買わないのか」って?
私、ここ10年くらいパン食を止めています。1度だけ、応援したくて買いました。
下町商店街に復活した名物店です。
頑張って欲しいです。
ずいぶん景色が変わりました。「呑んべ横丁」が在った場所です。
(こんな景色でした)茶色のマンションが工事フェンスに覆われて、手前の「呑んべ横丁」が無くなりました。
高架化工事が進んでいます。
その下では線路が敷かれて、仮設のホームが造られています。
東側です。仮設の線路ができました。一時的にここを通して、右の線路の上に、高架化工事を推進するようです。
高架の柱の向こうには現在の駅舎が見えます。
駅前の商店街の交差点です。工事フェンスの一部が透明になりました。
覗きます。・・・何にも在りません。こうなったら、ここに何が在ったか分かりません。
さっきの交差点を成していた、もう一つの商店街です。ここも覗けます。
この界隈は、娼館跡の呑み屋街でした。いつの間にか、猥雑な建物が消滅しました。
再開発って凄いですね。リセットボタンみたいです。