荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

世田山・笠松山の在る故郷の風景

2024年06月16日 | 散文

田圃に水が張られました。降水量が少ない地域なので、田植えをするのは梅雨に入ってからです。その前にこうして水を張って、漏れがないか確認するのです。水鏡が「世田山・笠松山」を映します。左が世田山で右が笠松山の連山で独立峰です。太平記に登場する「世田山合戦」の舞台です。楠木正成、新田義貞らの有力武将を失った南朝方がここから反撃に転じる作戦も敗戦し、北朝方の勝利が確定しました。室町幕府の誕生です。

田植え翌日です。苗を植えた状態を確認しています。機械植えなので田圃の端は時々植え漏れがあります。隙間に苗を手で植えます。

田植え後の田圃に初夏の風が渡ります。水鏡の山塊が消されます。

鎌倉時代から、今も変わらぬ山容です。

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柔らかいうどん/かねと食堂

2024年06月15日 | 散文

私のブログの読者から、今治に「柔らかいうどん」があると聞いていました。帰省したら絶対行こうと決めていました。腰の強いうどんが多い四国です。さて、立派な外観です。この外観を見て、高校生の頃にここで食べたのを思い出しました。

創業は明治25年頃だそうです。私が高校生のころから古い店でした。

入り口は2つ有ります。こちら裏口です。広小路から今治銀座へ行く道です。利便性を考えて作った入り口だと思います。

明かりが灯って「営業中」の札です。この景色好いです。

こちらが広小路に面した表口です。まだ11時半前ですが、けっこう客が入って行きます。

店頭のサンプルを見ます。この景色も好いです。

肉うどんが有名と聞きました。かつ丼もオムライスもカレーライスも鍋焼きうどんも何でもあります。そして、全て安いです!

暖簾を潜ります。

入った瞬間、懐かしい!店内も昔と変わりません。

これも懐かしいです。セルフサービスです。

さんざん迷いましたが、肉うどん「中」を頼みました。うどん1.5玉です。湯気が立ちます。啜った瞬間、イリコ出汁です。私は、魚臭いのが苦手ですが、2~3口で慣れました。熱々です。柔らかいです。美味しいです。懐かしいです!

店内の様子です。隣の席でもサラリーマンがオムライスの大盛りを注文しました。「ああ、次は絶対オムライスにしよう」と思いました。

完食です。出汁も飲み干しました。イリコ臭くありません。

美味しかったです。

紹介して頂いたハムさん、ありがとうございました。皆に紹介しようと思います。

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「伊予水軍」で昼食

2024年06月15日 | 散文

「大浜」で食べられなかった私たち兄妹です。すぐ近くの「伊予水軍」に行きました。

雨の中、しまなみ海道が煙ります。

大島も煙っています。

そして、雨の中で客が並んでいます。

待つ間退屈です。この料亭の歴史は古く、地元民だけでなく多くの人が知っています。社用族も接待で使います。

バスでも行けるんですね。昔はここにも「石風呂」が在ったようです。

高浜虚子の句が有ります。「春潮や倭寇の子孫汝と我」

こちらは、、、読めませんが、「倭寇」の文字が見えます。海賊の血統がこの店の誇りでしょうか?

結局40分くらい待ちました。客に地元の議員も居て賑わっていました。人が多くて喧しくて落ち着きません。やっぱり来年は「大浜」にします。

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お昼は「大浜」へ、

2024年06月14日 | 散文

妹2人と久しぶりに会って、昼食に行きます。昨年行って気に入った磯料理「大浜」です。

目の前が大浜漁港です。

この景色も好きです。

しまなみ海道が煙ります。梅雨入りした故郷です。

大島も煙ります。

入ろうとしたら予約で満席とのこと。来年は予約しようと思いました。強く反省!

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石風呂の保養所跡

2024年06月14日 | 散文

石風呂の保養所跡の一つです。

砂浜の木陰に、手作りの遊具が有ります。

多くの子供が遊んだと思います。遊ぶ子供の姿が声が、大人の癒しになったと思います。

予備のタイヤでしょうか?

軒下にも有ります。

大楠です。ここの歴史を眺めて来ました。何も語らず立っています。

子供の声が聞こえるようです。取り残された時代の景色です。

切通しを戻ります。タイムマシンの出入り口のようです。

さて、現世に戻りましょう。

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桜井石風呂再訪

2024年06月13日 | 散文

今年もやって来ました。初夏の木漏れ日が射す切通しの入り口です。

すぐに目的地です。

由緒下記はとても読み辛いです。石風呂とは、現在のサウナ風呂であること、古くは京の公家も訪れたこと等が記されています。

切通しの山の上には展望所が在ります。何にも変わらない景色です。

でも、もう数年前に閉鎖されたままです。この景色も変わりません。

すぐそこが海です。サウナで火照った体を冷ます海です。言わば石風呂の「プライベートビーチ」です。

白砂青松のビーチです。瀬戸内海国立公園の海です。

この海を見る為に造られた展望所です。今年はもう上がりません。だって、何にも変わらない景色だもの。

ここは保養所でした。長期療養の人も居ました。

農閑期の骨休めの場でもありました。

その施設が朽ちて残っています。

海に出ます。

企業の施設も在りました。

石風呂を振り返ります。

今は昔の風景です。

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相続土地国庫帰属制度

2024年06月13日 | 散文

アンパンマン列車が走ります。

線路脇の耕作放棄地です。帰省したら1番にやって来る場所です。

耕作はしなくても、隣近所の迷惑にならないよう草刈をしています。今回の帰省前に、シルバーさんに頼んで草刈りを終えています。

1年前、この土地を「相続土地国庫帰属」として申請していました。昨年4月に施行された法律です。境界を明らかにして、国に10年分の管理費用相当額を支払って、国に差し上げる?(お返しする?)制度です。

その費用は20万円と想定されています。お金を添えて国に帰属させることは、ご先祖様が「子孫の為に寸土でも残してやりたい」と遺してくれたことを思うと複雑な思いですが、この土地は何処にも出入りする道が在りません。周囲の土地のあぜ道または、田圃を通って出入りするしかありません。機械を入れる事もできません。隣の田圃が田植えをする前に田植えして、隣が稲刈りした後に稲刈りをする田圃でした。

そんなわけで昨年の帰省時に申請したものが、先日「提出書類に不備がある」との指摘を受けてやって来た次第です。「今頃言う?もう1年前の話だよ?」との思いはありますが、泣く子とお国には勝てません。境界を再度確定させに来ました。

今度こそ完了させたいです。

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JAの苗床風景

2024年06月12日 | 散文

帰省したら見たい景色が沢山あります。ここもその一つです。JAの苗育場です。かつて各農家が自分で苗を作っていたのを止めて、いつ頃からかJAがここで作って販売するようになりました。

その方が効率が良いです。今は誰も自分で作っていません。小さな長方形の集まりは、苗が入った一つ一つの箱です。そのまま田植え機に設置する大きさです。農家は買って帰って自分の機械に設置するだけで済みます。

その集大成がこの景色になります。パッチワークのような美しさです。現代の農村の風景です。

一部、手前の場所の苗の販売が始まっています。田植えが近いです。

苗育場の向こうは「霊仙山」です。あそこに城がありましたが、長曾我部元親の四国統一によって破壊されました。今は展望所となっています。4と9の付く日はお姫様の霊が現れるとの伝説があって、山の中腹の、お姫様が自刃した場所に供養のお堂が在ります。

今ではこの景色が、故郷の初夏の風物詩となっています。

霊仙山に登った記事はこちら

お姫堂の記事はこちら

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JR松山駅が変りつつある。

2024年06月12日 | 散文

JR松山駅です。私が乗る列車が停車しています。

いつもの「アンパンマン列車」ではありません。カラーリングが変りました!精悍な感じです。「いしづち・しおかぜ」の、従来の特急車両です。同じ特急にアンパンマン列車も使われていたので、アンパンマンは今でも走っていると思います。

「瀬戸大橋線 3億人」と書いています。

これですね!

瀬戸大橋を通って岡山と宇和島を結ぶ線です。それが乗客3億人を突破したようです。・・・当初計画より早かったのか?遅かったのか?

そして、隣りにあったこれ! 以前、予土線の黄色いトロッコ列車に乗りました。楽しかったです。

そして、新たなトロッコ列車の登場のようです。「藍よしのがわトロッコ」です!今度は藍色のトロッコです!土讃線だろうか?乗ってみたいです・・・。

ふと、列車の上を見ました。あそこに新しいホームができています。いよいよ松山駅が高架になるようです。

列車が駅を出てすぐ、隣で建設が進む高架線路です。

故郷は少しづつ変わっています。

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四国松山に到着

2024年06月11日 | 散文

今治の街です。四国5番目の人口の都市だそうです。

下方に「来島」が見えます。潮流の早い場所で、三流ある村上水軍の「来島村上」の本拠地です。その斜め左上は、代表的な造船所です。あちこちに在る造船所の最大級のものです。造船とタオルの生産が日本一の街です。

石油コンビナートも見えます。

「鹿島」です。晩年の渥美清さんの隠棲の場所でした。この辺から松山市になります。昔は「北条市」だったのが、「平成の大合併」で松山市に吸収されました。

繊維産業が盛んな町でした。昨夏の甲子園野球大会に出場した「聖カタリナ高校」はこの町に在ります。以前は女子高でした。時代の変遷を感じます。

松山の中心部が見えて来ました。

「興居島」です。ブランド蜜柑の産地です。日照時間が長いので甘い蜜柑ができます。蜜柑栽培が盛んな多島海です。

山頂まで蜜柑畑です。

空港を通り過ぎます。今日はいつもと着陸の方向が違います。いつもは海からですが、山側から着陸するようです。風向きの関係だと思います。

「重信川」です。松山市の西端を流れます。

翼が民家の屋根を引っかけそうです。

重信川の向こうに滑走路と海が見えて来ました。

着陸態勢に入りました。機体が水平になります。

着陸します。

空港の隣は化学工場です。

あそこは旧松山飛行場で、「紫電改」の基地でした。故郷は観光地でもあり、そんな場所でもあります。

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羽田空港を離陸して故郷へ

2024年06月11日 | 散文

羽田空港が混雑しています。既に出発時間を超過しています。

やっと滑走路へ向かいます。

東京湾です。

雲の上に出ました。

雲間からかろうじて見えた富士山です。

知多半島です。ブーメラン状の角の外側辺りが家内の生家が在った場所です。左に中部国際空港も見えます。

やがて大阪の街です。

淡路島です。左下に明石海峡大橋も見えます。

小豆島です。

多島海の瀬戸内海国立公園です。

瀬戸内海大橋です。

大橋の先には「讃岐富士」も見えます。

写真中央は「四阪島」だと思います。住友鉱山の銅の精錬所が在りました。1度だけ今治からの連絡船で行ったことがあります。今はもう、とっくの昔に無人島です。四国山脈に雲が掛かっています。

奥の島が「平市島」と「子兵市島」です。故郷の海岸からよく見える島です。小学校高学年の時まで人が住んで居ました。

手前は、長いのが「比岐島」、左が「魚島」(旧沖の島)です。太平記の「世田山合戦」で、落城した南朝方の武将篠塚伊賀守が脱出した先の島です。手前の陸地は「大島」です。山の間を「しまなみ海道」が走っています。

しまなみ海道「来島大橋」です。橋げたになっているのは「馬島」です。今治藩の軍馬の繁殖・育成地だったことからの命名です。

しまなみ海道が四国に上陸しました。

もうすぐ故郷での生活が始まります。

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回向院歴史エリア

2024年06月10日 | 散文

爽やかな5月です。

ここは処刑された人の墓地です。他所にも墓が在るので、ここは首を供養しているのではないでしょうか?

自ら腕を切り落としたやくざ者です。演劇などに取り上げられました。

鼠小僧です。

高橋お伝です。女性最後の断首刑者です。

2.26事件の首謀者・磯部浅一と妻・登美子の墓です。

前回訪問時には無かった墓です。

カールゴッチです。「プロセスの神様」と言われていました。どうしてここに居るのか、、不思議です。

なんて書いているのか分かりません。

大きな墓所が有ります。

橋本左内です。彼は安政の大獄で処刑されました。

そして吉田松陰です。

さすがは「歴史エリア」と言うだけのことがあります。

多くの歴史上の人物が葬られています。

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本妙寺/永代供養塔と当世墓事情

2024年06月10日 | 散文

永代供養塔へやって来ました。墓地は日陰が有りません。暑い日です。多くの墓にお参りしました。ここで終わりにしたいです。

帰り道に見た当世墓事情です。

こちらにも。

あちらにも。

背後にもいっぱい有ります。「寺務所までお願いします 當山」

永代供養塔を依頼していなくて、法事をしなくなった墓だと思います。樹木葬や海上散骨が行われる時代です。これらは墓仕舞いの対象なんでしょうね・・・。

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本妙寺/千葉周作・遠山金四郎・天野宗歩の墓

2024年06月10日 | 散文

本妙寺の墓地をお参りしています。先に「千葉周作」の墓にお参りします。

「千葉周作」の墓です。彼は江戸末期の剣豪で、「北辰一刀流」の流祖です。「赤胴鈴之助」のモデルになった人物だそうです。

その剣技は、坂本龍馬をはじめ幕末に活躍した多くの志士に受け継がれました。

この一角が千葉家の墓所です。

供物は「五穀の甘酒」に「鬼ごろし」に「鬼ころし」です。酒好きだったのでしょうか?

「遠山金四郎」の墓へ参ります。

「名奉行」と書かれています。

江戸時代に町奉行を務めました。「天保の改革」で庶民の暮らしを守るために活躍し、絶大な人気を誇ったと言われている実在の人物です。官位は従五位下左衛門尉です。

晩年は、現在の「墨田区菊川3丁目」に住んだそうです。その住居はかつて「長谷川平蔵」が住んで居たそうです。コンビニ傍に説明板が有ります。

自然石の立派な墓石です。隣は妻けいの墓だと思います。

供物を見ました。あれっ⁈ これって、千葉周作の墓に供えられていたものと一緒です。ええ~⁇

次は「天野宗歩」の墓です。

あっ、「棋聖」です!私の知らない人です。囲碁にも将棋にも疎いです。

墓所です。

将棋の駒です。なるほど!

あれっ⁈ ここの供物も、千葉周作と遠山金四郎の墓と同じ「五穀の甘酒」と「鬼ごろし」と「鬼ころし」です。

同じ人がお参りしたようです。自分が酒好きだったのですね。

この話、まだ続きます。

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本妙寺/明暦の大火供養塔と有名人の墓

2024年06月09日 | 散文

久しぶりにやって来ました。「徳栄山 本妙寺」です。真夏日の陽気です。

ここには「遠山金四郎影元」の墓が有ります。

沢山の有名人のお参り所があります。先ず「明暦の大火供養塔」へ参ります。

明暦の大火は1657年3月2日〜4日で江戸の大半を焼いた大火災です。江戸の3大火災と呼ばれていますが、その延焼面積及び死者共に江戸時代最大の火事です。天守閣を含む江戸城や多数の大名屋敷や市街地の大半を焼失しました。死者数は3万人~10万人と言われています。

「振袖火事」とも言われています。3人の娘が袖を通し、3人の娘が死んだ因縁の着物を焼却しようとしたら強風に舞い上げられ、寺の軒先に舞い落ちて火を移した。と伝わっています(諸説あり)。

「明暦3年」の文字が見えます。

続いて「森山多吉郎」の墓へ参ります。実は私、彼を知りません。

ああ、そうなんですね。

次は「本因坊」歴代の墓へ参ります。説明板が有ります。本因坊って、こんなに沢山居るんですね。

ここです。全体像が映せません。囲碁をやらないので、そのありがたさが分かりません(失礼)。

真剣にお参りしました。思いの外沢山の有名人のお墓が有ります。数回に渡っての報告になります。

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