写真1 畑境界に茶垣が延びる。二つのニンジン畑を分けて作土飛散防止・防風
写真2 畑の両端に延びる茶垣 写真3の茶垣①と②に符合
写真3 落花生ボッチとサトイモを護る茶垣 写真2の茶垣①と②に符合
写真4 茶垣は伐られた 手前と奥に1本ずつ茶樹が残る
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八街(やちまた)の畑境には茶樹の垣根が多い(本文では茶垣と呼ぶ)
当地の開墾始まる明治初年(弊ブログ2014年10月30日)
重要輸出品の茶葉に着目して植えられた茶樹
明治期を代表する換金作物となった
しかし、大正期には下降線をたどった
養蚕が隆盛となり、桑に替わった畑が多い
そのなかで、防風と作土飛散防止の役割は残った
作物を強風から護る茶垣、作土嵐を防ぐ茶垣
時代は進み、1970年代からの農業機械化進展
畑を囲む茶垣は耕耘機、トラクターなどには邪魔
茶垣は幅を狭められ、除去された
その名残りを、今、我々は見る(写真1~写真4)
上記事情について当地の85歳高齢者は次のようにご教示
<向こうは茶ですよね、ずーと垣根みたな> えー
<あれは、ここでは何と呼んでるんですか> うーん、ふつーオチャノキですよね
<お茶の木、それだけ> うん
<たとえば、チャガキとか、茶の垣とか言わない> うーん、そんなこと言わないすね、あれはクネにするもんじゃなくね、
カザヨケにおいてあんですよね
<カザヨケに> えー、夏ばなっと風もすごくあるしね、冬ばもあるしね、そゆときに、あれがあると風よけっですよね、作物が
<昔は、畑を四方囲んでたんですか、あれが> えー、えー、えー
<今は少なくなったようですね> そうですねー、今は、もー、やっぱり、機械使うようなったから、ある程度邪魔なっちゃいますもんねー
<あすこも(写真4)、端と端に1本しか残ってないんだけど、この道沿い、あれはあったんでしょうね> うん、あれ両端にあったですよねー
<両端にあったんですか> うん、あったですよ
<今、2本しか残ってない> ま、みんな、トラクター使ったなんかすっでしょー、そっで邪魔なっから、みんな、もー、ね、取っちゃって
<クネまでにはいかないけど、夏と冬の風よけ、砂が飛ぶんですね> うーん、かなり飛ぶんですよね、八街は、なんと言いますか、
カラッカゼって言うほどねー、上州の方も風が強いとカラッカゼとか、なんとかって言いますよねー、あれと同じような、
もー相当真っ赤なるほどねー、砂が飛ぶ場合があっですよー
<冬だけでじゃなくて夏も> 夏もかなり、いろんなあれがねー、そんなには、今、夏の場合にはズーと作物がありますかんねー、
さほどじゃないけど、冬場の場合には作物がないでしょうー、ないごけ(?)、やっぱり盛り上っちゃってねー、
<畑ばっかりだから、そうなっちゃうんですね> そうですねー
<自分の家でお茶飲んだりもするんですか> 今はほとんどやんないですよ
<昔はやってたんですか> 昔はやってましたけどねー、
<四方を囲ってあったわけですね、畑の> うん、うん
引用・参考文献等:弊ブログ2013年02月25日・03月11日・12日
執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影日:写真1・写真3・写真4;2014年11月03日 写真2;10月10日 撮影地:千葉県八街市