七十を過ぎるとその日暮らしになる。幸いさほど惚けてはいないので世の中のことはあれこれ考えるけれども、自分の明日は今日の続きでしかなく、これから結婚するとか新たな研究をするとか新規事業を始めるとかはなく、精々何時辞めるかくらいで、遠大な個人計画というものはもうないのだ。
医師は一生研鑽だからまだ少しは勉強するのだけれども、一時間以上医学雑誌や教科書を読む根気はなくなった。毎月送られてくる医学雑誌や学会誌を拾い読みしているだけだ。診察の基本は変わらないけれども、医学の進歩は凄いもので、そんなことが出来るようになったかと愕くことが数多い。唯、人間は科学の進歩に追いつけないので、そうした人間そのものを診る診察法にはさほどの変化はなく、今までの経験を生かすことが出来るので大変ではない。一日三時間の診療二十人までであれば、むしろ楽しいかも知れない。
伊藤整が教えてくれたいつかは決して来ないを肝に銘じて生きて来たが、実は絶対のいつかは必ず来るわけで、あれもこれもは減っては来たが、親父の言っていた平生往生を思いだしながら、日曜の朝刊に目を通している。