国語という科目がある。自分は古文は全然出来ないのだが、現代国語は全く勉強しないのに良く出来た。それは本を読むのが好きなせいだろうと勝手に思って居た。ところが孫娘は国語がとても良く出来るらしいが、全く本を読んでいる気配がない。画面を見ながらゲーム?をやっている。どうも好ましくないと思うのだが、越権?なので黙っている。親はゲームをやっていれば大人しいので、それが習慣になったらしい。
私の経験的な本を読むと自然に国語が出来るようになるという理論は破綻している、あるいは例外があるようだ。本を碌に読まないのに国語が出来るとはどういうことか?。ゲームにも本を読むのと同じような効果あるのだろうか?。
新井紀子さんの意味を読み解く読解力が大切という指摘をまさにその通りと支持しているのだが、それにしても新井紀子さんが指摘された読解力の重要さにどうしてもう少し注目が集まらないのか、文科省で取り上げ検討すべきだと思う。きちんと正面から反論するのではなく、半端な学者だなどというずれた悪口が多いのには呆れてしまう。
萩生田光一氏が文部科学大臣とは理解しにくい。仁王様が学問科学教育に適任とは思えない。別の意味があるのだろう。安倍首相の権力使いの巧みさに、今更ながら恐れ入る。衣の下の鎧が露わになり、昔の日本を取り戻す野望に向かいアクセルを踏み始めた。経済を第一にするのはそれによって支持を得て、維持できた権力によって自らの野望を実現する絡繰りなのだ。衣の下の鎧と対になるのはメッキが剥げつつある小泉環境大臣だ。言い負けない言葉を操る才能、中身をきちんと理解していないのに妙に力強く言い切って自信ありげに振る舞う才能が主体なのが透けてきた。改造内閣を読み解くと強面で丸め込む、演技で丸め込む、笑顔で丸め込む、理論武装で丸め込む布陣に見える。私の読解がどこまで当たっているか?。牽強付会の読解と云われてしまうかもしれない。
アイオワでウオーレンさんが民主党候補の一位になったようだ。バイデン氏より若い、賢い、女性、斬新で選ばれると良いと思っているが、トランプ氏からの振れ幅が大きいので米国内の亀裂が広がらないかと懸念もしている。