駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

恩師の一喝

2020年06月20日 | 医療

            

 

 昔の教授は恐ろしかったらしい。私の頃はまだ怖かったが、足が震えるほどではなかった。

 今ではカルテの書き方も変わり、主治医の考えも書くようになったが、五十年前はカルテを一瞥して、なんだこれは病歴と所見がちゃんと書いてないじゃないか、主治医の鑑別診断考察にはお前の考えなど聞いてないと怒鳴られた。休むに似た研修医の考えなど要らないというわけだ。今では通用しない考えだが、どうもコロナの専門家とされる医師の中には恩師の一喝が必要な人物も混じっているように思われる。 

 医学は物理化学のように明快にはゆかないが、なんといっても科学的であるためにはデータ(所見、病歴、検査結果・・)が一番重要で、主治医の考えは主治医にもよるが最優先の要素ではない。

 感染症の専門家は手薄でしかも公衆衛生的な知見も必要とされる新型コロナ対策や解説の矢面に立たされると少ないデータで何か言わねばならずどうしても自分の考えや一般論が出てきてしまうのは分かる。特にマスコミが絡んでくると単純明快さが求められ大変だろうなと同情はする。

 しかしデータに基づいた考察というのは譲れないところで、専門家も診断検査普及感染者の経過分析など厚労省に推進と開示を希望するのには同意されるだろう。

 東京は検査対象を変えたので感染者数の解釈を変えると言っている。先にそれを説明しないで数だけ発表されては人心が惑わされてしまう。釈迦に説法かも知れないが新型コロナもやがて半年相当なデータが蓄積できているはず、データに基づいた解説解釈の重要性を強調させて頂きたい。

コメント
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