駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

関節リウマチ治療の進歩

2012年10月11日 | 診療

   

 私が研修医だった40年前は関節リウマチは慢性関節リウマチと呼ばれ、痛みを和らげることはできても関節の変形の進行を止めることのできない不治の病だった。それがこの十五年DMARDsと呼ばれる痛みだけでなく病気そのものを治療し得る薬剤の導入によって、治し得る病気になってきた。治らない病気と頭に叩き込まれてきた私は未だにどこか半信半疑であるが、関節リウマチの予後が改善したのは事実である。

 唯、だからと言って関節リウマチが扱いやすい病気になったわけではなく、、今も専門医による診断治療の指導が必要なのには変わりはない。というのは関節リウマチの進行を防ぐには早期診断早期治療が必要で、早期診断は必ずしも易しくないからだ(当院には専門医と遣り取り連携によって診療している患者が数名いる)。

 関節リウマチのような所謂膠原病にはきちんとした診断基準がありさまざまな検査があるのだが、その病気を診たことがない医師が使いこなすのは難しい。ここが臨床の難しいところで、教科書と文献だけでは診療はできない。勿論、犠牲者が出てもよいなら試行錯誤で自習も可能であるが、今の世の中では許されまい。

 残念ながらリウマチの専門医は少ない。リウマチの専門医が嘆くのは、リウマチを含めた膠原病を専門に選んでくれる研修医が少ないことだ。根底には面倒なこと難しいことを嫌う風潮があるらしい。この辺りに山中効果を期待したい。

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ずれるコスト感覚

2012年10月10日 | 医療

      

 街中で医業をしていると、患者さんの当然感覚に困惑することがある。医療費は自己負担部分と保険で支払われる部分に分けられているのだが、いづれも医療行為の対価として支払われている。

 毎月数人、薬の一部あるいは全部を失くしたと来られる患者さんが居る。失くした薬の再処方を要求されるが、多くの患者さんは自己負担部分を支払えばよいと思っている。無くした薬の分には保険が使えないのを理解しておられない。受付は困る。

 正直、数日分であれば・・・してしまうこともあるが、いずれの場合も受け付けであれこれ説明をしなければならない。

 医療費には保険負担分があること、普通の買い物とは違う診察検査投薬という構成があること、そして医療費が高いか安いか(適正かどうか)は素人にはわかりにくいことなどがあるので、コスト感覚がずれてしまうらしい。

 確かに医療費は研修医よりも熟達医の方が安かったりするから、感覚が狂うのはわからないでもないが。

 

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意義あるノーベル医学賞

2012年10月09日 | 医療

      

今年のノーベル医学賞を山中伸弥京大教授が受賞された。教授が創り出したips細胞は目に見える具体的な成果を医療にもたらすと期待され、これから多大な貢献恩恵が生まれるだろう。

 教授の研究を知って、最初に私が感じたのは、意外に簡単な操作で細胞の初期化が起きてしまうということへの驚きだ。もっと複雑な操作が必要だと考えていた。それは多分、私が持っていた命が不可知で尊いという感覚に由来すると思う。同じような感覚を持って居られる方も多いと推測する。こうして生命が操作できるようになったこと(この表現には議論があろう)には多少複雑な気持ちがある。

 人間は度しがたい生物で、原子力で躓いたように、ips細胞応用で勇み足のないように祈っている。人間の心は科学のようには進歩しないからだ。

 教授がいみじくも言われたように日本という国の受賞という部分があれば有り難く嬉しい。人類から日本へのメッセージとも受け取れる。

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天さい橋下、快挙錦織

2012年10月08日 | 世の中

    

 維新の会は橋下さんの個人商店のように見える。個人商店は大きくなると駄目になるとしたものだ。どこまで当初の品質が保持できるか、はなはだ疑問だ。既に支店で陰りがでている。

 それにしても橋下さんは言葉の天才的ボクサーで、ああ批判されればこう言い返してスリップダウンから直ぐ立ち上がるのは凄い。尤も、天才は天災のことがあるから要注意だ。

 マスコミのパンチはロウブロウが多く、反則気味なのは見苦しい。減点ですね。

 みんなの党や生活が第一党の方は口べたが揃っているようで、言葉のボクシングでは心許ないが、何となく怪しげな維新の会に負けず頑張っていただきたい。

 次の選挙では少数政党乱立の懸念があるが、それは成熟した二大潮流への過程と思う。失敗から学ばなければ成長は無いと歴史が教えている。

 錦織、テニスジャパンオープン優勝おめでとう。集中冷静蓄積の勝利だ。エアー圭の四大タイトルでの活躍を楽しみにしている。

 

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ゴミ箱の中身

2012年10月07日 | 世の中

       

 診察室には中くらいのゴミ箱が備えてある。それが二日で満杯になる。中身は99%紙類だ。その殆どが、製薬メーカーのMRが持参した宣伝用のパンフレットや作用副作用情報などの郵便物である。それらは多くが高級紙を用いた美しく厚手の物だ。一部役所や医師会の通達や連絡もあるが、これらは薄手の廉価な紙に印刷されている。

 MRが持参した場合は説明があれば簡単に聞いて、彼等が帰ったあとで捨てる。唯、置いていくだけの時は一瞥して捨てる。郵送された物も十秒ほど読んで捨てる。八割の医師はそうしているだろう。残りの医師は全く読まないと思う。ある程度時間を掛けて読む医師が居るかも知れないが、時間に余裕のある暇医師で希だろう。

 さすがに、立派なパンフレットを捨てるのは気が引けるので、要らないと押し返す事も多い。しかし、恐らく会社を出る時に、何十枚ものパンフレットを今日はこれだけ仕事をしろと送り出されるのか、そっと机の端において帰るMRも居る。

 情報というのは要る時に欲しいので、ノンビリしたい時や書類を書いている時に訪れて、今度の製品はとか当社の**はとても何とかと聞かされても、ああそうかねと浮き世の義理で聞いてあげるだけで、成る程そうかということは少ない。唯、何回も聞くと名前と効能は頭に残るので、必要な時にそれを思い出して調べる手がかりになる。恐らくそれが彼等の目的役割なのだろう。

 いずれにしても、製薬メーカーの宣伝用のパンフレットはその運命を考えると勿体ないと思う。殆ど読まれず捨てられても、元が取れるものだろうか。経費は薬価に跳ね返りメーカーとしてはさほど負担ではないとしても、結局は消費者である患者さん延いては保険者に及んでゆくのだ。勿論、費用が掛かりそれだけの雇用を生み出すので、そうした意味の効用はあるわけだが。

 無駄とか勿体ないというのはごく狭い範囲の感覚で、大きな流れの中では又別の意味合いが出てくるようだ。それが政治経済というものだろうが、個を対象とした仕事をする技能者の町医者の私には、ゴミ箱には勿体ないが詰まっているような気がする。

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