第30回はオーネット・コールマンの「ストックホルムでのライブ・アルバム」です。
オーネット・コールマン(Ornette Coleman) 1930年3月9日 - テキサス州フォートワース生まれ
彼が鮮烈なデビューを飾ったのは1950年代後半で、当時ロサンジェルスで活動していましたが、大半の評論家や聴衆の反応は好ましいものではなく、調子っぱずれの音楽として敬遠されていました。
ミュージシャンの間でも賛否両論があるなかで、ロスのクラブで演奏していたオーネットの才能を、いち早く認めたのがMJQのリーダーであったジョン・ルイスで、彼の演奏を高く評価し、西海岸のコンテンポラリー・レーベルに推薦したことで、そこで2枚のアルバムを残しています。
その後、同じくジョン・ルイスによりニューヨークに招かれ、クラブでの演奏や、MJQが所属していたアトランティック・レーベルへの吹き込みも行われましたが、コマーシャルな成功が次第に重荷となり、1962年12月21日のタウン・ホールでのコンサートの後、ジャズの表舞台から姿を消すことになりました。
その後暫らくは、潰瘍の治療や、トランペット、ヴァイオリンの習得にも取り組んだとされています。
オーネットの復帰は65年に入ってからで、自ら書き下ろした映画音楽「チャパカ組曲」の録音を終え、ロンドン、北欧へのツアーに出た際、スエーデンのストックホルムのクラブに出演したところで、ライブ録音されたのが本アルバムです。
レコード(ジャケット)はモノラル盤ですが、右側にステレオ盤のジャケットも掲載しました。
この録音が行われたブルーノート・レーベルは、それまでハード・バップの名門レーベルとされていましたが、60年代の新主流派ジャズと合わせて、ソウル、ファンクと共にアヴァンギャルド・ジャズ(すなわちフリー・ジャズ)も積極的に録音するようになり、セシル・テイラーやドン・チェリーなどの演奏も記録されることになりました。
「THE ORNETTE COLEMAN TRIO AT THE “GOLDEN CIRCLE” STOCKHOLM」
VOL.1 BLUE NOTE BLP 4224 (Stereo BST 84224)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/13/a4/b745d9d2a598047b8f4cb09bf662aae3_s.jpg)
1. INTRO
2. FACES AND PLACES
3. EUROPEAN ECHOES
4. DEE DEE
5. DAWN
ORNETTE COLEMAN(as) DAVID IZENZON(b) CHARLES MOFFETT(ds)
録音 1965年12月3日 4日
VOL.2 BLUE NOTE BLP 4225 (Stereo BST 84225)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/0d/87/d0e18787e44706c506eba74daccea675_s.jpg)
1. SNOWFLAKES AND SUNSHINE
2. MONING SONG
3. THE RIDDLE
4. ANTIQUES
ORNETTE COLEMAN(as,vln,tp) DAVID IZENZON(b) CHARLES MOFFETT(ds)
録音 1965年12月3日 4日
第2集では、アルト・サックスの他、ヴァイオリンやトランペットも演奏していますが、アルト1本で勝負している第1集の方を好んで聴いていました。
当時としてはセンセーショナルな演奏だったかもしれませんが、3人が触発されながら音楽を継ぐんでいく様は、現在では全くオーソドックスな内容として聴くことが出来る名盤です。
フランシス・ウルフのフォトと、リード・マイルスのジャケット・デザイン、それにヴァンゲルダーの録音もグッドです。
なお当時の演奏記録は、この2枚のLPの他にアルバム1枚分の録音が残されており、別テイクを含め、6曲が追加された2枚のCDも登場しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/3f/3a/68dd9da0778a910cc537b4c92c994378_s.jpg)
この第1集の発売は、オーネットのカムバック・アルバムでもあり、大きな評判を呼んだとされています。
また、2枚のアルバムはレコード番号が続いていますが、2枚目のリリースが第1集の1年後であったことと、オーネットのトランペットとヴァイオリンの演奏が初めて登場したことで、これも大きな話題となったようです。
後期のオーネットは、エレクトリック・ジャズの領域にも手を染め、フリー・ファンクとも呼ばれるファンキーなアルバムを制作したり、「ハーモロディクス理論」という独自の理論を考案しています。
オーネット・コールマン(Ornette Coleman) 1930年3月9日 - テキサス州フォートワース生まれ
彼が鮮烈なデビューを飾ったのは1950年代後半で、当時ロサンジェルスで活動していましたが、大半の評論家や聴衆の反応は好ましいものではなく、調子っぱずれの音楽として敬遠されていました。
ミュージシャンの間でも賛否両論があるなかで、ロスのクラブで演奏していたオーネットの才能を、いち早く認めたのがMJQのリーダーであったジョン・ルイスで、彼の演奏を高く評価し、西海岸のコンテンポラリー・レーベルに推薦したことで、そこで2枚のアルバムを残しています。
その後、同じくジョン・ルイスによりニューヨークに招かれ、クラブでの演奏や、MJQが所属していたアトランティック・レーベルへの吹き込みも行われましたが、コマーシャルな成功が次第に重荷となり、1962年12月21日のタウン・ホールでのコンサートの後、ジャズの表舞台から姿を消すことになりました。
その後暫らくは、潰瘍の治療や、トランペット、ヴァイオリンの習得にも取り組んだとされています。
オーネットの復帰は65年に入ってからで、自ら書き下ろした映画音楽「チャパカ組曲」の録音を終え、ロンドン、北欧へのツアーに出た際、スエーデンのストックホルムのクラブに出演したところで、ライブ録音されたのが本アルバムです。
レコード(ジャケット)はモノラル盤ですが、右側にステレオ盤のジャケットも掲載しました。
この録音が行われたブルーノート・レーベルは、それまでハード・バップの名門レーベルとされていましたが、60年代の新主流派ジャズと合わせて、ソウル、ファンクと共にアヴァンギャルド・ジャズ(すなわちフリー・ジャズ)も積極的に録音するようになり、セシル・テイラーやドン・チェリーなどの演奏も記録されることになりました。
「THE ORNETTE COLEMAN TRIO AT THE “GOLDEN CIRCLE” STOCKHOLM」
VOL.1 BLUE NOTE BLP 4224 (Stereo BST 84224)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/40/c4/c57b1395b80aca552e9fcf67af0d4d0e_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/7b/c1/6143e7cb024c569c45766736c459ad2a_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/21/43/b0fd69866835361abd825cabd7350b05_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/13/a4/b745d9d2a598047b8f4cb09bf662aae3_s.jpg)
1. INTRO
2. FACES AND PLACES
3. EUROPEAN ECHOES
4. DEE DEE
5. DAWN
ORNETTE COLEMAN(as) DAVID IZENZON(b) CHARLES MOFFETT(ds)
録音 1965年12月3日 4日
VOL.2 BLUE NOTE BLP 4225 (Stereo BST 84225)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/79/9e/fa09b618cab9383c8a545adc9d31cdd2_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/7f/9e/7cc55fd122d9dc595f102446eb5dbc8d_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/64/11/0d70cb5553d5803e593f559e49effa41_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/0d/87/d0e18787e44706c506eba74daccea675_s.jpg)
1. SNOWFLAKES AND SUNSHINE
2. MONING SONG
3. THE RIDDLE
4. ANTIQUES
ORNETTE COLEMAN(as,vln,tp) DAVID IZENZON(b) CHARLES MOFFETT(ds)
録音 1965年12月3日 4日
第2集では、アルト・サックスの他、ヴァイオリンやトランペットも演奏していますが、アルト1本で勝負している第1集の方を好んで聴いていました。
当時としてはセンセーショナルな演奏だったかもしれませんが、3人が触発されながら音楽を継ぐんでいく様は、現在では全くオーソドックスな内容として聴くことが出来る名盤です。
フランシス・ウルフのフォトと、リード・マイルスのジャケット・デザイン、それにヴァンゲルダーの録音もグッドです。
なお当時の演奏記録は、この2枚のLPの他にアルバム1枚分の録音が残されており、別テイクを含め、6曲が追加された2枚のCDも登場しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/21/f1/4975e3e46ca40762b3964d0c94b7ad8a_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/3f/3a/68dd9da0778a910cc537b4c92c994378_s.jpg)
この第1集の発売は、オーネットのカムバック・アルバムでもあり、大きな評判を呼んだとされています。
また、2枚のアルバムはレコード番号が続いていますが、2枚目のリリースが第1集の1年後であったことと、オーネットのトランペットとヴァイオリンの演奏が初めて登場したことで、これも大きな話題となったようです。
後期のオーネットは、エレクトリック・ジャズの領域にも手を染め、フリー・ファンクとも呼ばれるファンキーなアルバムを制作したり、「ハーモロディクス理論」という独自の理論を考案しています。