途中長い中断を経て(^_^;)書き綴ってきた新婚旅行記もいよいよ最終回です。ギーンゲンからウルムへ戻り、さらにフランクフルトまで行って一泊。翌日ICEでアイゼナハへ向かいました。もう10年ほども前、私に洗礼を授けて下さった牧師が現在ドイツに留学中で、今回アイゼナハを案内して頂きました。
アイゼナハ中央駅のステンドグラス
駅から少し歩くとルター像に出会いました。昔社会の授業で習った知識がよみがえってくるようです
「バッハの家」近くのHotel am Bachhaus(ここに宿泊しました)で昼食後、バスでヴァルトブルク城へ。
麓でバスを降りて、お城までしばらく歩きました。ドイツ語のガイドツアーで内部を見学(聞いても数字くらいしかわかりませんでしたが)。ステンドグラスの写真は沢山撮ったので後程まとめてアップします。
↑の「祝宴の間」で解散の後、ルターが新約聖書をドイツ語に訳した小部屋へ。非常に質素な部屋で、当時のルターの苦労が偲ばれます。これからは聖書を手に取る度、ルターの偉業に感謝しなければなりませんね。
ちなみに聖書の翻訳中、ルターの邪魔をしたという悪魔。ルターはアタマにきてインク壺を投げつけたらしい
お城の中のカフェでひと休み。丁度イースター前でしたが、こういうイースターエッグの飾り方は多分初めて見ましたドイツではこうやって木に吊るして飾るのが一般的なのか、この後も街のあちこちで同じようにしているのを見かけました。今思えば、草月のお花にも応用できそうな飾り方ですね
この吊るす卵があまりにかわいいので、この後街中で陶器製の卵を購入しました。陶器と陶芸の作品を置いているお店でしたが、お店の女性の方が自ら絵付けをしていると話してくれました。飾ったところの写真を後程またご紹介したいと思います。
ヴァルトブルク城から見下ろした、アイゼナハの街並み。
やっぱりドイツは寒い。帰り道、池が凍っていたルターもこんな道を散歩していたのでしょうか。。。
この日はアイゼナハに宿泊し翌27日、マルクト広場の中央に建つ、ゲオルク教会へ。この教会で1521年にルターは説教をし、バッハは1685年に洗礼を受けています。
入ってすぐ、いかついバッハに遭遇。
修学旅行の高校生がぞろぞろ…聞けば、カナダから来たとか。アルルでも修学旅行らしき団体に出会いましたが、海外でも修学旅行ってあるんですね~。
かわいい(洗礼盤及び説教台の天使)
1498~1501年まで、学生時代のルターが住んだ「ルターの家」。中はルターの生涯を辿る展示になっています。家の前には「たとえ明日、世界が滅亡しようとも今日私はリンゴの木を植える」というルターの名言にちなんだリンゴの木があります
かつてバッハ一族が住んでいた「バッハの家」。内部は当時の様子を再現した部屋があるほか、様々なバッハの音楽を楽しめるスペースがあったり、チェンバロの生演奏を聴くこともできました。私も花巻に来てから月1ペースで主日礼拝の奏楽を担当するようになりました。楽器は高3までエレクトーンをやって以来すっかり自己流になってしまっていますが、それでもなるべく良い演奏ができるように、時間を見つけて練習に励みたいと思っています。
でもこんなバッハはいやだ!!!!!
この日のお昼ごはん。元々肉は大好きですが、こうも毎日続くとさすがにマズいと思うも、なかなか食べたいと思う魚料理に巡り合えず…もしかしたらこれがこの旅行で初めて食べた魚かも…(汗)
この2日間は今まで教科書や教会で得た知識でしかなかったプロテスタント教会の歴史を肌で感じることができ、大変有意義な2日間でした。案内して下さった先生と別れてフランクフルトへ戻り、いよいよ新婚旅行最後の夜。フランクフルト駅でおそうざいを買って、空港近くのホテルで乾杯翌28日朝フランクフルトを発ち、29日の朝成田に到着(いつ寝ていいのか困った)。そして着いたその日に引っ越しの荷物を送り、翌日花巻へ発ち、その翌日イースター礼拝…という超殺人的なスケジュールが待っていたのでした今思えば本当によく乗り越えたなとしかしこれから先、いつこんなに長い旅行ができるかわかりませんから、無理をしてでもこの時期に行っておいて良かったなと今でも思っています。夫も初めての海外でしたが、今後教会に仕えていく上で色々と有益な旅だったと思います。そしていつかまた(具体的には次のオーバーアマガウの受難劇の時など…)、ヨーロッパの地に降り立てたらと願っています。長らく旅行記を読んで下さった皆様、ありがとうございました!