吉田裁判和解解決について弁護団から報告いただきました
アイシン機工吉田裁判の結果について
弁護士 中谷雄二
1 吉田さんの労災認定裁判、会社との損害賠償裁判が勝利的に和解解決した。結果は、労災について一審段階での右手について労災を認め、左手について労災を認めないという判決を引き継ぎ、高裁でも同様の判決であった。ただ、一審判決後、労使双方が控訴をせず、本来であれば一審判決段階で決着していた事件を会社側の補助参加による控訴申立により、ここまで延びていただけと見ることもできる。会社側の補助参加、控訴の狙いは、行政訴訟の確定により労災という判断が法律上確定することを阻止することにあったことは明らかである。会社が気にしていたことは、社会的な世論、社内の労働者の感じ方、それを前提にした親会社の意向にあったと思われる。
2 この事件は、吉田さんの両手首の怪我を私傷病だとする会社が休職期間の満了による退職としようとするのに抗し、すでに復職可能であること、休職原因は労災であり、療養期間中の解雇は許されないとの理由で地位保全の仮処分を申し立てた。審尋の過程で復職を前提とした和解の話が進んでいたところ、労働組合の紹介で受診した広島の宇土医師から、そのままの復職したのでは怪我が一層悪化すると告げられたため、復職和解を中止し、休職期間満了により退職となることを覚悟して、労災の療養中であることを理由に本訴で争うと会社に通告して仮処分を取り下げた。
3 仮処分取下後、一つは労災を認めなかった労働基準監督署の処分の取り消しを求める行政訴訟と労災を前提に会社に損害賠償を求める民事訴訟の二つの裁判を提起した。裁判では、国は私傷病であるとし、会社はそれに加えて、仮処分の時点で原告は、すでに復職可能であると主張していたのに、訴訟時点でも療養中だとの原告の主張とは矛盾すると争ってきた。
吉田裁判では、国の専門家意見書や医師の証人を論破し、行政訴訟で一部を労災と認定させた。これがその後の損害賠償訴訟の解決を始め、最終解決へとつながる大きな力となった。その原因として、宇土医師の実験と意見書、証言という力強い協力、労働組合の尽力と実験への協力や当事者本人を支える様々な支援を挙げることができる。いつも満杯の法廷での傍聴により裁判所に緊張感を持たせたこと、ビラ配布等の宣伝活動により社内の労働者の関心を集め、協力者が絶えなかったことは、裁判の主張・立証上も裁判結果につながった。なにより職場労働者との交流・関係を重視し、つきあい続けた原告吉田さんの姿勢によるものである。
4 会社との和解内容は、最終的に原告側が要求した金額を飲んだ和解であり、金銭解決の水準としては満足すべきものである。ただ、吉田さんが最初から望んでいた職場復帰を果たせなかったことが残念であるが、和解条項において、今後の職場の労働環境への配慮や労働者の健康配慮を約束させたことも含めて大きな成果を勝ち取ったものと評価できる。
5 解決をどの時点で計るのか、和解か判決かは裁判闘争全体の流れの中で到達点と彼我の力関係を勘案して決めるべきことである。裁判闘争が当事者にとって人生を懸けた闘いであるだけに、主観的願望だけで突き進むことはできない。この時点での和解解決は、原告吉田さんとそれを支えた家族にとっての最善の選択であると考え、和解することを勧めた。
6 原告の吉田さんの闘う姿勢は、原則的で最初から最後まで揺るがなかった。毎回の裁判に九州から駆けつけ、それを支えた続けた家族の方の力も大きい。その姿勢は支援する人たちになんとか良い結果を勝ち取らせたいと感じさせるのに十分なものであった。
今回の吉田裁判は、復職目前で、一旦、休職期間満了による自然退職という困難な状況を選択し、そこから本訴を起こすという極めて難しい出発点であったが、問題点を克服して、満足すべき結果を勝ち取った。この闘いの過程は、今後に続く労働者に大きな教訓を残したものと考える。
アイシン機工吉田裁判の結果について
弁護士 中谷雄二
1 吉田さんの労災認定裁判、会社との損害賠償裁判が勝利的に和解解決した。結果は、労災について一審段階での右手について労災を認め、左手について労災を認めないという判決を引き継ぎ、高裁でも同様の判決であった。ただ、一審判決後、労使双方が控訴をせず、本来であれば一審判決段階で決着していた事件を会社側の補助参加による控訴申立により、ここまで延びていただけと見ることもできる。会社側の補助参加、控訴の狙いは、行政訴訟の確定により労災という判断が法律上確定することを阻止することにあったことは明らかである。会社が気にしていたことは、社会的な世論、社内の労働者の感じ方、それを前提にした親会社の意向にあったと思われる。
2 この事件は、吉田さんの両手首の怪我を私傷病だとする会社が休職期間の満了による退職としようとするのに抗し、すでに復職可能であること、休職原因は労災であり、療養期間中の解雇は許されないとの理由で地位保全の仮処分を申し立てた。審尋の過程で復職を前提とした和解の話が進んでいたところ、労働組合の紹介で受診した広島の宇土医師から、そのままの復職したのでは怪我が一層悪化すると告げられたため、復職和解を中止し、休職期間満了により退職となることを覚悟して、労災の療養中であることを理由に本訴で争うと会社に通告して仮処分を取り下げた。
3 仮処分取下後、一つは労災を認めなかった労働基準監督署の処分の取り消しを求める行政訴訟と労災を前提に会社に損害賠償を求める民事訴訟の二つの裁判を提起した。裁判では、国は私傷病であるとし、会社はそれに加えて、仮処分の時点で原告は、すでに復職可能であると主張していたのに、訴訟時点でも療養中だとの原告の主張とは矛盾すると争ってきた。
吉田裁判では、国の専門家意見書や医師の証人を論破し、行政訴訟で一部を労災と認定させた。これがその後の損害賠償訴訟の解決を始め、最終解決へとつながる大きな力となった。その原因として、宇土医師の実験と意見書、証言という力強い協力、労働組合の尽力と実験への協力や当事者本人を支える様々な支援を挙げることができる。いつも満杯の法廷での傍聴により裁判所に緊張感を持たせたこと、ビラ配布等の宣伝活動により社内の労働者の関心を集め、協力者が絶えなかったことは、裁判の主張・立証上も裁判結果につながった。なにより職場労働者との交流・関係を重視し、つきあい続けた原告吉田さんの姿勢によるものである。
4 会社との和解内容は、最終的に原告側が要求した金額を飲んだ和解であり、金銭解決の水準としては満足すべきものである。ただ、吉田さんが最初から望んでいた職場復帰を果たせなかったことが残念であるが、和解条項において、今後の職場の労働環境への配慮や労働者の健康配慮を約束させたことも含めて大きな成果を勝ち取ったものと評価できる。
5 解決をどの時点で計るのか、和解か判決かは裁判闘争全体の流れの中で到達点と彼我の力関係を勘案して決めるべきことである。裁判闘争が当事者にとって人生を懸けた闘いであるだけに、主観的願望だけで突き進むことはできない。この時点での和解解決は、原告吉田さんとそれを支えた家族にとっての最善の選択であると考え、和解することを勧めた。
6 原告の吉田さんの闘う姿勢は、原則的で最初から最後まで揺るがなかった。毎回の裁判に九州から駆けつけ、それを支えた続けた家族の方の力も大きい。その姿勢は支援する人たちになんとか良い結果を勝ち取らせたいと感じさせるのに十分なものであった。
今回の吉田裁判は、復職目前で、一旦、休職期間満了による自然退職という困難な状況を選択し、そこから本訴を起こすという極めて難しい出発点であったが、問題点を克服して、満足すべき結果を勝ち取った。この闘いの過程は、今後に続く労働者に大きな教訓を残したものと考える。