キャラバン サライ

夢は大空へ、努力は足元で、世界に目を向けながら足元から子供たちを見直していきたいと思っています。

子供の興味

2005年06月28日 | Weblog
さっき、生協で母子を見た。
子供はまだようやく立てるようになったくらいの年、
母親はサングラスをかけていたがまだ若い。

子供がレジ近くのライターに興味をもち、座り込んでそれを触ろうとした。
そのとき、母親は子供をぶち、「いい加減にしなさい」といって泣く子供を外へ連れ出していった。

僕が外に出ると、さっきの子供が出口のところに座り込み、地面のゴミに興味を持っていた。
母親はヒステリックな声を出して
「次にやったら首に紐をつけるよ」
といって子供を抱きかかえ早足で去っていった。

陸上選手は痛みに敏感だ

2005年06月28日 | Weblog
陸上選手は痛みに敏感だ。
ほんの少しでも身体のどこかに違和感があると一大事のように心配になる。
それは、0.01秒や1cmを競っているからで、ちょっとしたことが記録に影響しそうに思えるからだ。
それにしても敏感すぎるというのは日常生活に支障をきたす。

体育でがんがん運動をして、次の日に筋肉痛になる。または、小指を家の柱にぶつける。
そんな些細な痛みよりももっともっと小さな痛み。
痛みともいえないような、普通に生活していれば気づかないくらいの違和感。
そんなものが気になって仕方がない。

特に大事な試合が近いときはよりシビアだ。
ほんの少しの違和感のせいで心配になって、その日のテンションが下がり、
行動が制限され、患部をかばったりアイシングしたりととにかく良くない。

小さな痛みが身体以上に心を大きく傷つけていく。
身体を鍛えているのに、より小さな痛みにも弱くなるなんて、陸上選手はおかしなものだ。


子供VS大人

2005年06月22日 | Weblog
僕は子供がことのほか好きだ。
というよりとても興味がある。
どんなことを考えているのか、それによってどんな行動をするのか。
思考が単純で、純粋。
僕ら大人のように物事を複雑に考えない。
そんな子供がうらやましくもあり、だからこそもっと知りたくなる。

だから、純粋な子供に不純な考えを押し付ける大人(親)が嫌いだ。
考えを複雑化させて、子供を自分の思考に近づけようとする。
たとえば、子供が路の途中で何か面白いものを見つけて座り込んだとき、
親が「汚い」「時間がない」「人目が気になる」「待ちたくない」といった理由で、
無理やり子供の手を引く状況。

そのくせ、子供の思考が発達(複雑化)して親の思考に近づき、
親の行動に意見を言うようになると
「これは大人の問題だから子供には分からない」
といって逃げる。

子供と付き合うとき、大人は思考や行動を複雑化せず、
できるだけ単純にしたほうがいいと思う。これが持論。
基本的に聞かれなければ何も教えない(考えを押し付けない)。
聞かれたら一緒に考える。
悪いことをしたら叱るが、自分に過ちがあるときはしっかり謝る。
そんな理想が僕にはある。だから、子供が欲しいと思う。

金平糖

2005年06月13日 | Weblog
ようやく少し暇になった。
正確には心にゆとりができた。
あと3日くらいはゆっくりできそう。
それから一週間くらいはまた缶詰かな。

最近、本屋へ行ってもインターネットを見ていても、
ついバイク関連の情報を探してしまう。
自分のバイクと最近のバイクをいろんな面で比べたり、
ビッグスクーターなど、新しい分野にも興味を持ったりしている。

2ヶ月くらい前はカメラだった。
それが、車になったり、本になったり、変なところではフィギュアなどを調べたときもある。
波があって、その波が過ぎれば暫くは興味をなくす。
でも、興味の対象は次から次へと沸いてきて飽きない。

調べるということは楽しい。
今ではバイクならバイク、カメラならカメラと、その専門の雑誌がたくさんある。
インターネットでも手軽に調べられる。

多くのものは一過性で終わってしまうが、
中には10年くらい続いているものもある。
例えばカメラ。
金平糖のごとく、小さな山がたくさんある中に、大きくて高い山が時々ある。
それが楽しい人生の必要条件じゃないかなあと思う。

写真はベトナムの列車から撮った踏み切り。踏切を待つ人たちの顔が素の生活感あふれていていい。
踏み切りの写真にも興味を持っていたときがあった。今も踏切を見ると気になってしまう。