キャラバン サライ

夢は大空へ、努力は足元で、世界に目を向けながら足元から子供たちを見直していきたいと思っています。

コクリコ坂から

2011年07月26日 | Weblog
『コクリコ坂から』を観た。

やっぱりジブリ映画は好きだ。
ジブリというだけでわくわくするのは、かなりのブランド力。

個人的には最近のジブリではポニョと同じくらい楽しめた。

大人が忘れてしまった、理屈では説明できない作業に、真剣に、夢中になること。
利益でも効率でもない何かに向かって、ひっちゃかめっちゃかに突き進んでいくこと。

宮崎吾朗監督の前作『ゲド戦記』よりも随分まとまって、丁寧に作ってある印象。
そして、ひとのわさわさ感や背景がやっぱりいい!

1960年代の横浜が舞台なため、よく通る場所や電車が50年前はこんな風だったのかという発見もおもしろかった。

東北ボランティア -13- 日和山から見た石巻

2011年07月24日 | Weblog
石巻ボランティア二日目のお昼は、黄金浜の公民館で菓子パンや被災者への炊き出しの余りがふるまわれた。
結局、横浜から持ってきたα米やカロリーメイトの類の食物は殆ど食べずじまいになりそうだ。
一緒に来た高校生たちは若さを爆発させて、大盛りのおかわりを連発させていた。

このお昼時間にちょっとした提案と議論があり、僕たちだけは午後からの作業を中止して日和山というところに行かせてもらうことになった。

日和山は石巻でも最も被害の大きかった地域を一望する小さな山だ。
黄金浜のリーダーや団体のメンバーは、ここでの泥のかき出しも大切だが、せっかく県外から来てもらった人たちに石巻の被害を実際に見てもらいたいとの気持ちを持っていた。
そのために、わざわざ車を二台もアレンジしていただき、詳しく被害状況を説明していただける方まで派遣していただいた。
本当に頭が下がる思いと同時に、それだけ自分たちの状況を知ってほしいという気持ちと、外から来た人たちへの期待を感じた。
ともすれば、被災地をわざわざ見に行くことは、被災者の心理を考慮して遠慮してしまうところだが、こうして貴重な人手まで派遣して見に行かせてもらえることは、この団体と縁を持てたことへ感謝し、真剣にその意味を考えるべきことだと思う。

日和山から見た石巻は、説明をしてくれた方が繰り返していたように、まるで空襲の跡のようだった。
ぽつん、ぽつんとしか建物が残っておらず、全てが流され、そこに多くの家々が立ち並び、そこでそれよりも多くの人々が住んでいたということが想像できない状態だった。
すぐ先には海が広がり、あの日、あそこから津波が襲い掛かり、突然のことで逃げることすらできずに流されていった人々が今も多く目の前の風景に眠っている。



ここは将来、公園になる予定です、と説明を受けた。

地盤沈下で、この辺りには満潮時に海水が入ってくるという。
事実、雨も降っていないのに、そこここに大きな水たまりができている。
なんとか逃げ延びた人たちも再びここに住むことは許されないのだ。

日和山から降り、石巻駅まで送っていただいた。
そこからバスで仙台駅まで。
そこで高校生たちは一路愛知県へ。
僕と夕夏は仙台駅前の屋台で牛タンとビールをいただいた。
そこでは東京と変わらない、お洒落に着飾った男女が楽しそうに歩いていた。
石巻ではめったに見られなかった風景で、なんだか目に眩しかった。

東北ボランティア -12- ボランティア活動への期待

2011年07月23日 | Weblog
黄金浜での作業は、津波によって道路の側溝を埋め尽くした泥のかき出し。
側溝という側溝が全て泥によって埋められ、現在の作業は目下この側溝を復活させることにあるようだ。

側溝を甦らせることで、町の復興を進める。
小さな一歩かもしれないが、確実に必要なことをしている。
この日は特に日差しの強い、暑い日だった。
汗がとめどなく滴る中、夢中で泥をかき出し、土嚢につめた。
頻繁にいれてくれる休憩時間に飲むスポーツ飲料や、仲間との会話がうれしい。




一緒に来た高校生たちも汗を流す。


流行りのドラッガーによれば、長寿命化が進み、会社をリタイアした老人たちが増える昨今、彼らたちによってボランティア人口が急激に増えるだろうという過去の予測があったそうだ。
しかし、今のところその予測ははずれている。
予想したよりもずっとボランティアに従事する老人は少ないのだ。
その理由をドラッガーはこう分析する。
現役時代にボランティ活動を経験してこなかった人々は、リタイアしたのちもボランティアへは参加しないものだと。
彼らには、ボランティアとして社会をつながり、自己実現をしようという発想はないということだそう。

一方では、リタイアした老人たちが社会から孤立していくという問題が今後より深刻化してくる。
その一つの、そしてかなり有力な解決手段がNPOやボランティアセンターを通じたボランティア活動であることは疑いようがない。

今回の震災で初めてボランティアに参加したという人は、僕も含めてものすごい数になるだろう。
阪神大震災の年をボランティア元年と呼ぶそうだが、今回のインパクトはそれを越える。
これが、社会と個人をつなげる、また、会社ではできなかった自己実現の手段という意味でのボランティア活動に対する、日本全体の意識変化になることを期待している。

ただ、もう少し言うならば、その際のボランティアの形式は、黄金浜のようなトップダウン型ではなく、非効率かもしれないがボランティアセンターのようなチーム型がいいのではないかと思っている(効率優先の緊急時では黄金浜型の方が適しているかもしれないが)。

東北ボランティア -11- 黄金浜での活動

2011年07月20日 | Weblog
石巻のボランティア二日目。
前夜に知り合った黄金浜地区を復興させようとしている団体参加させてもらうことにした。

黄金浜は名前の通り海に面した地域。
海沿いの通りは、一階部分がまるごとえぐりとられている建物ばかりが並んでいる。
これまでボランティアとして入ったお宅は、津波の被害にはあったが、少なくとも泥をかき出して修理をすればもう一度住めるという希望があった。
しかし、黄金浜の家々には到底そんな希望は見えない。
これから長く険しい復興への道のりが待っていることは、他の地区と比較してもひしひしと感じる。
そんな地域にあって、自分の土地は自分たちの責任で復興を、と立ち上がった若者たち。
年は僕とほとんど変わらない。

彼らの作業方法はボランティアセンターのそれと大きく異なる。
ボランティアセンターでは依頼のあったお宅へボランティア数名を派遣し、その中でリーダーを一人決める。
その日の作業方法や範囲、進捗度合いや休憩のタイミングなど、基本的なことはリーダーやボランティア本人たちの自主性に任せている。
このため、ボランティアたちはそれぞれの意見を作業に反映させることができ、また、リーダーとなれば一つのチームをマネージする経験をもてるというメリットがある半面、明確な指針がなく、意見の対立が生まれたり、リーダーによって作業方法や範囲などでむらがあったりする。

一方、黄金浜でのやり方はリーダーを含めて作業を行う組織編成が最初から決まっている。
リーダー以外の人は混乱を避けるために指示をしないようにしてください、ともはっきり言っている。
その代り、リーダーからの指示は明確で的確だ。
作業指示から休憩をとるタイミング、メンバーへの声掛けまで。
進むべき方向性がしっかりしているから、また、リーダーへの信頼感があるから、作業はその方向へ効率よく突き進んでいく。


ボランティアの目的という面から賛否はあるだろうが、何よりも復興を優先させる緊急の時期においては、この方法がいいのかもしれない。


写真は、その日黄金浜で活動したメンバー。
右前のおじいさんは70歳にも関わらず、誰よりも暑い中積極的に力作業をしていた。



東北ボランティア -10- ボランティアを支えるボランティア

2011年07月19日 | Weblog
石巻専修大学での夕方、テント村に泊まるボランティアたちのために、温泉のお湯が配られた。

これは宮城県の鳴子温泉のお湯をタンカーに積んで地元の人たちが持ってきてくれたもの。
かなり熱めの温泉にひーひー言いながら足や手を洗った。
中には頭や体を洗う人たちも。
確かに一日働いた僕らはよくても、数日お風呂なしで働いている人たちにとっては正に命の水のようなありがたさだろう。



すると今度はテント村で炊き出しが始まった。

たった一人のおじさんが善意でテント村のボランティアたちのために夕食を作ってきてくれたのだ。
メニューは牛丼とサラダ。
おじさん一人で始めた炊き出しだが、私も手伝うというボランティアに囲まれ、すぐにそこは賑やかなコミュニケーションの場に。
夕夏も漬物を添える係として、また炊き出しをみんなに宣伝する係として手伝った。



その炊き出しを宣伝していた夕夏が偶然にも、あるボランティアのグループに出会った。
彼らは石巻の黄金浜地区出身者を中心に構成されており、自分たちの地区の復興は自分たちのもとで行うという考えのもとで、ボランティアセンターとは別の団体として活動をしている。
せっかくできた縁ということで、二日目はこの黄金浜で活動することにした。
一期一会の機会を新しいことに繋げる夕夏はすごい。

今、日本中、世界中からこの地域に人々が集まってきている。
彼らは、無償での労働、食事、その他サービスの提供するために集まった。
そして自分たちも何かしらを得ようとしている。

一緒に活動をしていると、ほんとにとても変わった人もいるし、普段の生活ではまず話しかけることがないような人もいる。
性格も、年齢も、バックボーンも様々。
なのに、あるところで僕らは共通の何かを探している。

テント村での夜、ふと夜中に目が覚めてテントの外に出た。
満天の星空を期待したが、空は煙っていて、しかし辺りは異様に明るかった。
そういえば今日は満月だ。

夜白く、満月(みつき)に驚く、テント村



東北ボランティア -9- 再び石巻

2011年07月19日 | Weblog
3連休を利用して石巻へボランティアへ行ってきた。

今回は縁があって愛知県の高校生二人も一緒。

ボランティアに興味はあるけれど一歩がなかなか踏み出せない、たぶんいま日本中にそんな人がたくさいんいる。
そんな人が少しでも安心して東北へ行けるようにお手伝いできたら、それはそれでニーズにあった一つのボランティアだと思う。
さらにそれが高校生であればなおのこと、大人よりもずっと大きな経験として心に残るだろう。
そんな思いもこもった今回のボランティア。

一日目は床下に泥がたまった家の泥出し作業。
4月に来たときには泥はまだ水分を含みひどい臭いを放っていたが、今では乾いて臭いはそれほどきつくはない。
その代り、ハエの数が多くなっていた。

もう一つ感じたことは、参加者のボランティア経験が増えていること。

前回石巻に来たときは、僕も含めたグループの半数以上がボランティア初体験者だった。
右も左もわからぬまま、いろいろなことに驚き興奮していたように思う。
それが、今回いろんな背景を持ってやってきているみなさんだったが、それぞれが複数回既に東北でのボランティアを経験していた。
震災から時が流れているので当然といえばそうだが、初めて参加してくる人たちは減り、リピーターとして何度も参加する人たちに今のボランティア活動は支えられているんだ。
月に二回ほど車を走らせてやってくるおじさんや、大学の単位取得のために参加している学生など、さまざまだったが。

作業後は石巻専修大学の芝生にテントを張って泊まる。



テント村になっている目の前が陸上グランドになっていて、2レーンのタータンだった。
午前中は専修大学生が練習をしていたが、午後になると近隣の小・中・高校生たちが練習をさせてもらっているようで、なんだか試合の時の練習用サブトラックを連想させる風景だった。
そんな彼らの練習を見ていると、自分があの中にいた時を思い出し胸がキュンとなる。
そうかと思えば彼の走りはどうとか、もっと考えながら走らなきゃ、なんて指導的なことをあれこれ考えている。
できることならあの中に混ざって走りたいと思ったが、部外者がその目的でもないのにここに来ているという条件の中では、練習をしている皆さんにも、グランドにも失礼だなと思い遠慮した。


200mを泳いだ!

2011年07月10日 | Weblog
トライアスロンの練習として、苦手な水泳を練習している。
その3回目の練習で突然200mを泳ぎ切ることができた。
その前日行った練習では、100mが限界だったのに。

課題は、どうしても息継ぎのときに水が口に入ってしまい、それがのどに詰まり苦しくなってしまうことだった。
夕夏の指導の下、息継ぎについていろいろと検討してみた。
しかし、なかなかうまくいかず。

ところが、全然違うことを考えて泳いでいたとき、急に口に水が入っきていないことに気付いた。

原因は、息を吸うときの口の形にあった。
これまでは、より多くの空気を吸おうとして口を目いっぱい広げて「ハァー!」という具合に吸っていた。
これだと、水が口の周りからがぽがぽ入ってくる。
それを、口を魚のようにすぼめて「スゥー!」と吸ってみた。
こうすると水がほとんど口に入ってこない。

初めてこの口の形で息継ぎをしてみてから、そのまま200mを泳ぎ切ってしまった(25mごとにプールサイドで立ってはいるが)。
僕にしては快挙である。

ブレイクスルーなんて、どんな簡単なところに潜んでいるかわからない。

とはいっても、タイムはまだまだ話にならないくらい遅い。
トライアスロンまで残り3週間。
少しでも泳げるようになるよう、練習しよう。

蟹工船

2011年07月10日 | Weblog
小林多喜二の『蟹工船』を読んだ。

物語は、オホーツク海での蟹工船で過酷な労働環境の中働かされる労働者たちが最後は立ち上がり、反乱を起こすというもの。
なんとも強い共産主義のメッセージを感じる作品だが、それよりなにより、蟹工船での労働環境の描写がすさまじい。
これほど真に迫る、目を背けたくなる、それでも想像せずにはいられない、過酷や地獄といった言葉では表現できない苦しい描写は初めて。
それもこれも、この状況があの時代には、本当に繰り返されてきたという事実があるからだろう。

ドラッカーは、マルクス主義が各国で失敗した理由は労働者階級の中での知識労働者の割合が増え、待遇が良くなった(ブルジョワとなった)ことにあると言う。
しかし、果たして皆が皆、知識労働者たりえるのだろうか。
将来において、肉体労働者がいなくなることはあるのだろうか。

今後、社会主義革命が起こるということは考えられなくとも、そのような革命が本当に現実として考えられていた時代があったこと、そしてその背景となっていた労働者たちのことを、僕たちは知っているべきだと思った。

プロフェッショナルの条件

2011年07月10日 | Weblog
『もしドラ』が流行っている昨今、あれを買うことが何か悔しくて、でもドラッカーの本は本当にいいといくつかの方面で薦められたため、『プロフェッショナルの条件』という本を読んでみた。
これを選んだ理由は、ユニクロの社長がこれはいい本だということで社員全員に配ったというエピソードから。

ドラッカーの初期に書かれた本は、内容や目的は興味深いものばかりだけど、少し読んでみるとかなり難解。
難しい単語がずらずらっと出てきて、これはただ文字を追うだけになってしまうなと思った。
でも、この『プロフェッショナルの条件』は、2000年という割と最近に出たもので、翻訳もわかりやすくなっている。

本の主旨としては、これまでにドラッカーが世に出した本の中で、個人がいかにして成果をあげ、成長するのかに言及した部分を抜き出し、一冊にまとめたもの。
しかし、ただの寄せ集め的なダイジェストというわけでもなく(編集にはドラッカー自身も加わっている)、系統立てて歴史の中での現在の位置づけから、知識労働者の社会とはどんなものか、その中で成果をあげるためにはどうすべきか(それは自分自身にとどまらず、部下や上司にいかにして成果を上げさせるかにまで及ぶ)というところまで進む。

面白いのは、現在のIT革命(日本で言うここ10年くらいのIT革命ではなく、コンピューターが進化を始めた1940年以降のこと)をイギリスで始まった産業革命や15世紀のグーテンベルグによる印刷革命に準えて検討していること。
こうした歴史から学んだことを現代に生かすという考えは興味深い。

ユニクロの社長は社員全員にこの本を配った。
そのように、組織の構成員全員が考え方の柱を共有するというのはとても意味のあることじゃないだろうか。
マネジメントがそれぞれ自分たちの考えでばらばらの方を向いて進んでいては、いくらそれぞれが優秀でも、成果は望めない。
ぜひ、自分の上司にも読んでもらいたいと思う(既に読んでいるかもしれないが)。

「イチローの成功習慣」に学ぶ

2011年07月10日 | Weblog
『「イチローの成功習慣」に学ぶ』(児玉光雄著)を読んだ。

きっかけは、NHKの番組でイチローへのロングインタビューをしていて、その受け答えの一つ一つが目の覚めるような鋭い切れで、意外性があり、そしてものすごく含蓄があっていて、イチローのプレイだけでなく、その考え方にも興味を持ったため。

以下、自分のメモとして、印象に残った言葉、考え方を記す。




「『がんばれ、がんばれ』と言う人がいるより、僕は『できないでいてくれ』と言う人がいるほうが熱くなれる」


一流と呼ばれる人、彼らはその当りまえのことを当りまえに行うのです。


肝心なのは、調子がいい悪いにかかわらず、あるいは、やる気があろうがなかろうが、やれること、やるべきことをいつものようにこなせるかどうか。


楽しくもなく、おもしろくもないことでも、それが「しなければならないこと」であれば人一倍ていねいにきちんとこなす…プロとは、そのことをよく承知していて、かつ、それを過不足なく行える人のことを言います。
だから、プロは仕事を、したい、したくないでは判断しません。しなければならないことかそうでないかで判断します。


夢を描くことは大切ですが、夢を見るのに忙しくて、肝心の今日しなければならないことをおざなりにしている人が多いのです。
夢はやるべきことを先送りする格好の言い訳になりやすいのです。
だから、過去を悔いることも、未来に夢を見ることも、いったん自分に禁じて、ただ、いまだけに全力投球してみるべきです。


パーソナルベスト…それがイチローにとって最重要な課題です。それに比べれば、他人より秀でた記録を残すことのプライオリティはずっと低いのです。
本当のライバルは自分の外には存在しません。それは「もう一人のベストの自分」なのです。


基本をマスターしたら応用へ向かう。
これは成長の必然的プロセスであり、成長とは教科書を離れることにほかなりません。
学んだ後、身につけた型を崩したり、破ったりしながら自分流のやり方…個性やオリジナリティを身につけていくのです。


「気持ちも、尊敬している人になりきる。いつも、だれかになりきっていました」


人間は「できるかどうか」と疑問に思っているうちは結局何もできないし、やらないものです。
「『できなくてもしょうがない』は、終わってから思うことであって、途中にそれを思ったら絶対に達成できません」


私たちには、低い目標設定を「苦しい努力」から逃れる方便として使っている面がないでしょうか。
目標設定の目標を目標達成だけに絞らないことです。
目標設定の最大の目的を達成には置かず、自分のモチベーションを最高レベルにまで引き上げてくれる要因だと考えればいい。
限界までの努力を可能にしてくれる動力として目標を設定すればいいのです。


「要するに、”準備”というのは、言い訳の材料となりうるものを排除していく、そのために考えうるすべてのことをこなしてく、ということですね」


「ぼくは一試合、一試合、振り返っています。まとめて振り返ることはしません」
一日を一生のようにとらえて、その「一生」を完全燃焼する。


「思うようにいかないときに、どう仕事をこなすかが大事です」



ツイッターとミクシィののっぴきならない関係

2011年07月06日 | Weblog
ツイッターが流行るようになって絶対にミクシィへのアクセス件数が減ったと思う。

思えば大学の頃、研究室の先輩に誘われて入ったミクシィ。そのころは部活の後輩たちもミクシィの虜になっていたように思う。

SNSが世に定着し、社会現象にまでなり、コミュニケーションの形がまた変わったとさえ言われた。

あれから6年。

ツイッターの流行によりミクシィへの日記投稿は減った。
ミクシィだけでなくブログの形式をとる投稿そのものが減ったんじゃないか。

気になるのは、ツイッターでつぶやいたことは後に残りにくいということ。
それこそ、つぶやきが風とともに消え去っていくように。

ブログが登場したとき、誰でも手軽に自分の気持ちを発信できるということが大いに歓迎された。
そして、皆が人に向けての文を書くようになった。
文は、その時、その人の一部として蓄積される。

しかし、ブログの究極の発展形であるツイッターでは、いくらいい言葉をつぶやいても、いくらそのときの自分をそこに残しても、すぐに消えていってしまう。
なんて皮肉で、なんてもったいない。

ちなみに、
携帯メール→ブログ→ミクシィ→ツイッター
という変化の流れは、大体5~7年ごとに新しいコミュニケーションツールが登場することを暗示している。

さて、あと数年後にはどんな方法で僕は外とコミュニケーションしているだろう。

少なくとも、その時々の自分を蓄積できるツールがいいな。

ルーブルで最も美しい女性

2011年07月01日 | Weblog
あこがれていたルーブル美術館に行くことができた。
絵画に詳しくはないけど、やっぱりミーハーなんだなと自分でも思う。

さて、下の写真は一番印象に残った作品。

これほど、親子の愛を感じた聖母子像はない。

それと、この作品。

何かの神話がもとになっているのだろうが、それを知らなくても涙が出そうになるくらい心を打たれる。

そして、楽しみにしていた作品の一つ、『サモトラケのニケ』







特に好きなのは↑のアングル。
女性の像だけど、男性的なかっこよさもあって、展示の仕方も相まって神々しい。

それに比べて『ミロのビーナス』や『モナリザ』は、本などで見る写真以上の感動はなかった。
まず、あまりにも人だかりが多過ぎて作品に近づけない。
そして観客の多くが、なんとしてでもその作品を写真に収めようと、豆粒みたいなモナリザを必死に撮っていたりする。
その豆粒を撮る心意は?


この二つの作品に関してだけは、例外として写真撮影を禁止にしてはどうだろう。
すると、観客に残るこの作品たちの印象もずいぶん違ってくるのではないかと思う。


最後に、ルーブル美術館で最も美しい女性は誰だろうかと考えた。
美しい女性は、それこそ星の数ほど描かれている。
しかし、昔の西洋の文化として、女性の魅力はそのふくよかな肉体、言い換えればぽっちゃり体系が美しいという認識があるので(昔の日本人がおたふく顔を美しいと認識していたのと同じようなもの?)、なかなかこれという女性が見つからない。
そればかりではなく、例え美しい女性が描かれていても、どうもそこに登場人物としての弱さを感じてしまう。
ありがちなのは、神話の世界で強くてかっこいい若者に助けられる女性だとか。

そんな中、心から美しいと思った女性が下の作品。


この絵はローマ建国直後の物語を描いたもの。
当時ローマには男性の比率が大きかったため、ローマ建国に父ロムロスは隣国の女性を大量にさらってローマの男性と無理やり結婚させた。
それに怒った隣国の男性たちがローマに攻め入り、血みどろの戦いをしているとき、さらわれた女性たちが間に入り、戦いをやめさせたという。
女性たちは無理やりとは言え、結婚をした夫や生まれた子供に愛情を持ち、また生まれ故郷である隣国への愛もあり、両者が戦うことに耐えられなかったのだ。
この絵の真ん中で両手を広げて、身を挺して戦いを止めようとしているのがロムロスの妻。
右の男性がロムロスだそうだ。
ううむ、守るもののために戦う女性は美しい、と思った。

パリの写真

2011年07月01日 | Weblog
コルシカ島での結婚式の翌日、パリを観光した。
そのときの写真をいくつか。

エッフェル塔。
名古屋のテレビ塔を見慣れて育った僕にとって、東京タワーはかなり美しいタワーだと思っている。
でも、エッフェル塔はそれを越える。
まず、美しくみせることを前提に作られているみたい。
これが1800年代に作られたなんて信じられない。





やはり、この塔の醍醐味はこの4本の脚とシルエット。
脚フェチではないけど、見とれてしまった。





凱旋門から。


サマータイムを導入しているせいもあって、フランスの夜は長い。
この写真を撮ったのは21時半。
夕焼けの凱旋門。