キャラバン サライ

夢は大空へ、努力は足元で、世界に目を向けながら足元から子供たちを見直していきたいと思っています。

安部談話 (三浦瑠麗のブログとあわせて)

2015年08月16日 | Weblog
最近注目をしている国際政治学者の三浦瑠麗さんが、戦後70年の安倍談話についてブログを書いていました。

http://lullymiura.hatenadiary.jp/entry/2015/08/15/103417

全体として安倍談話を評価しているため、三浦瑠麗さんのブログの中でもしこれを最初に読んだとすると拒否反応が出てしまうかもしれません。
ちょっとそこが心配です。

僕はこの人が自民党寄りだとは思っていません。
とは言っても、今の状況で安倍政権がすぐに倒れるとも考えられないので、三浦瑠麗さんは現実的に今の安倍政権の中でどのように進んでいくのが一番日本と日本国民のためにいいかのを中立の立場で考えているんだと思います。
だから、ブログの中でも以下のように表現しています。

(前略)
今般の談話は、総理自身にとっても自民党の保守的な勢力にとっても、偽りのない範囲のぎりぎりの線だったのではないでしょうか。
(中略)
日本国内における左右対立の存在が、歴史問題に外交カードとしての力を与えているからです。その意味で、国民の最大公約数が合意できるかもしれない歴史観が提示されるということは、戦争が終わり、冷戦が終わり、転換期を迎える国際社会で生きる日本にとって重要なことです
(引用終わり)

上記にもあるように今回の安部談話の最も重要なことは、村山談話や小泉談話よりも多くの人(本文で言うところの、最右翼を除く保守からマイルドなリベラル層)が共感できる内容を作り上げたことだと思います。
今回の談話に対して共感を持たない日本人はかなり少ないのではないでしょうか。

繰り返しになってしまいますが、三浦瑠麗という人は本当にリアリスティックな人だと思います。現実的ではない理想をあたかも可能かのように発信したり、危機感を煽ったりする専門家とは違うと思います。

半藤一利の『昭和史 1926-1945』

2015年08月03日 | Weblog
終戦から70年の今年は日中戦争、太平洋戦争前後の本を読んだり映画を観ることにしている。
もうすぐ家族を帯同するため妻には申し訳ないと思いながらも、単身で生活している今のうちにできる限りと。

半藤一利の『昭和史 1926-1945』、ここから感じた事や興味深い論点を箇条書き的に。



日中戦争へ至る事件はどこまでが不可避で、どこからは避けられたか。
1928年 張作霖爆殺事件(関東軍が満州の実力者張作霖を暗殺)
1931年 柳条湖事件(関東軍が満州鉄道を爆破)
1937年 盧溝橋事件(日本軍と中国軍が互いの演習中に偶発的に(?)衝突)
上記のいずれもが日本政府の意思とは別のところで発生し、それを政府が止められなかった。
また、太平洋戦争を回避しようとした日本人がいかに多かったか
知りたかったのは、そのような人たちの活動と、どのような動きがそれを実らせなかったか。


勝てる見込みがないと分かった時点で、なぜすぐに終わらせることができなかったか。
1944年7月 サイパン陥落でアメリカ軍の本土爆撃が可能に
1945年3月 硫黄島陥落でアメリカ軍の本土爆撃拠点がより日本に近づいた
アメリカが日本本土へ攻撃ができるようになった時点で負けは確定したのに、ソ連が仲介に入って少しでもいい条件での講和を結べるという希望に日本は縋りつきすぎていた。
当のソ連は北方領土を狙い、日本に早く宣戦布告をしたいと準備を続けていた。


原子力爆弾が使用されるに至った経緯にいかに政治判断があり、焦りがあり、ぎりぎりのタイミングだったか。
1945年7月16日 原爆の初めての実験がアメリカで成功
1945年7月24日 トルーマン大統領が日本への原爆投下命令にサイン
1945年7月26日 連合国からポツダム宣言(原爆投下命令を既に出した後!)
1945年8月6日 広島へ原爆投下
1945年8月9日午前0時 ソ連軍が中立条約を破り日本を攻撃
1945年8月9日午前10時半 日本の最高戦争指導会議にて降伏する方針が決まる
アメリカが原爆使用を急いだのは、ソ連が参戦してくる前に日本を降伏させたかったため。
また、ソ連は日本が降伏する前になんとか参戦して、戦後に北方領土などの利権を抑えたかった。
ソ連がぎりぎりの滑り込みで参戦したため、シベリア抑留のような悲劇も起こった。


アメリカの理想(ヒューマニズム、フェアプレイ)と現実との剥離について。
東京空襲、原爆の市街地への投下は国際法上禁止されている非戦闘員への無差別殺戮であるのは明らかだが、戦後の裁判では全く裁かれず。
日本人の中国や東南アジアでの非人道的な行いは東京裁判等で裁かれた。


天皇の影響力について。
少なくとも日中戦争については、天皇は反対だった。
また、降伏に当たっては大きな影響力(決断力)を政府、軍部に与えた。


中国の存在感(決して眠れる獅子ではなかった)


当時日本が支配し、徴用などを行っていた朝鮮半島、朝鮮人の話が本書にはほとんど出てこない。




はからずしも次の一時帰国が8月12日~22日で、終戦記念日に日本にいられる。
上記の論点も含め、興味深くテレビを見ていよう。