キャラバン サライ

夢は大空へ、努力は足元で、世界に目を向けながら足元から子供たちを見直していきたいと思っています。

お金がヒトを変えたこと

2012年05月20日 | Weblog
録画しておいたNHKスペシャル『ヒューマン なぜ人間になれたのか』のシリーズ最終回を観た。
テーマはお金。
お金の登場がヒトをどのように変えたのか。
何とも興味深い。

番組の中で、カメルーンのバカ族(日本語でいうと抵抗のある名前だが)という民族が紹介される。
このバカ族は、これまでお金という概念を持っていなかった。
するとどうなるか。
狩で得た獲物や森で採れた木の実など、生活で必要なモノは全て村の人たちみんなに平等に分け与えられる。
農業を行わないバカ族には、蓄えておくことができる食料が少なく、言わばその日暮らしだ。
そんな非常に安定しない生活だからこそ、村の人たちみんなで助け合っていくというセーフティネットが不可欠だったのだ。
そこには、貧富の差はなく、皆が等しく助け合っている。
村の人曰く、もし誰かが獲物を独り占めしたら、彼は村のみんなから軽蔑される。
助け合わないと生きていけない不安定な生活だからこそ、周りから軽蔑されるというのは命取りとなるのだ。

一方で、カメルーンの幹線道路の近くに村を構えるバカ族は、最近になってお金を使い始めたという。
町から商人がやってきて、普段は手に入らないモノをお金と交換してくれるのだ。
番組では、なれないお金という概念に戸惑いながらも、着実に変化していくバカ族の考えかたを追っていた。
平等に村人に分けたいた木の実を、お金が欲しいがゆえに商人に売る人がいた。
お金を得るために畑を作って、これまで仲間だった村人を雇う人がいた。
お金の導入は、みんなで平等に分け与えるセーフティネットを崩し、雇い主と労働者という階級の差を生んだのだ。
ここから、貧富の差が生まれてくる。

なんだか、社会主義と資本主義の対立のようにも見える。
バカ族がずっとお金のない、皆で助け合う平等な社会でいて欲しいなんて、自分がバカ族の立場になって考えると、とても言えない。
お金を選び平等を諦めたことは、ヒトの文化が発展していくために避けては通れなかったことで、僕らの祖先が遠い昔に選択したことなのだから。

ストレッチの備忘録

2012年05月20日 | Weblog
今日もストレッチに行ったので、その備忘録。
前回、お尻と肩が特に硬いことが明らかになったが、その原因の一つとして下半身の硬さ、特にふくらはぎの硬さを指摘された。
前屈をしても、最初に痛くなるのがふくらはぎだ。
昔からここは苦手だった。
また、手の拇指級や肘のマッサージが疲れをとるのにいいそうだ。
ということで、これらも寝る前のルーチンにいれる事にしよう。
それにしても、僕は硬い。

インカ帝国の不思議

2012年05月20日 | Weblog
上野の国立科学博物館に嫁と母親とで行ってきた。
目的は、インカ帝国展。
母親も嫁も僕も、ペルーのマチュピチュに行ったことがある(しかも嫁は2回!)。
そんな3人だから、インカという言葉を聞いてはじっとしていられない。

今回の展示を見て、改めてインカ帝国の不思議さを感じた。

1) なぜ、文字を持たなかったのか
2) なぜ、鉄を使わなかったのか


今ちょうど読んでいるウィリアム・マクニールの世界史によれば、文字や鉄は文明が起こるたの重要な要素だ。
つまり…

<文字>
農耕が始まることで、富の蓄積が始まる。
富の蓄積は、貧富の差を生み、これが階級を作っていく。
ここで、支配者階級が被支配者階級に納めさせる税(作物)を記録するために文字が必要になる。
また、支配者階級のみが文字を操ることで、神とのやりとりを独占することができる。
この文字による階級社会の発達が、文明の必要条件である。

<鉄>
それまで使われていた青銅は、鉱物資源としては貴重で、農民が易々と手に入れられるものではなかった。
それに対して、精練は難しいが鉱物資源としては豊富な鉄が登場することで、農民はこれを犂の先端の刃に使った。
このことで、作物の収穫量が飛躍的に伸び、この作物の余剰分によって、農業に従事しなくてもよい、いわゆる職人や商人が登場した。
職人や商人の登場により、文明の成熟度は加速する。


これら文明を文明足らしめる文字と鉄は、紀元前数百年も前から、ユーラシア大陸の文明に登場したものだ。
それなのに、アメリカ大陸の文明は16世紀に入っても文字と鉄を持たず、それでもあれほど高度な文明を築いて来た。

インカの人々は、キープと呼ばれる縄の結び目を使って情報の伝達を行なっていた。
しかし、結び目の数だけでは伝えられる情報量に限界がある。
そんなとき、色々な形の記号を何かに刻み、それに意味を持たせようとすることは他のどんな文明でも行ってきたことなのに、なぜインカの人々はそれをしなかったのか。

鉄鉱石はアメリカ大陸にも豊富にあった。
あれほど見事な黄金細工を作り上げるほどの精錬技術もあった。
なのに、なぜ彼らは鉄を使おうとはしなかったのか。


ユーラアシアの文明と成り立ちが大きく違い、不思議であるとともに興味深い。

ただ、このように鉄のなかったインカ帝国は、スペインのピサロのような残虐な支配者が登場しなくても、その後の帝国主義吹き荒れる世界にあっては軍事的に欧米列強にかなうはずもなく、遅かれ早かれ植民地となってしまっていたに違いないと、少し寂しい想像をしてしまうのだった。

ストレッチの効用

2012年05月13日 | Weblog
昔からストレッチを軽んじていた。

小学校の部活から大学の部活に至るまで、ストレッチをするということは、怪我の予防にも、疲労回復を早めるためにも重要だと言われてきた。
それでも、どこかでストレッチが苦手な自分から目をそらしてきた。

全くストレッチをしなかったわけではない。
練習前や練習後には、人並みに、それなりに、時間をかけてやってきた。
ただし、それは怪我を予防するという目的がメインで、パフォーマンスを上げるだとか柔軟性をあげるという目的からは逃げていた。


もともと、股関節や臀部、肩の柔軟性が低かった。
何度か、発起して柔軟性を上げるためのストレッチを集中的に行ったことがあったが、結局長続きせずにやめてしまった。
やはり、痛いことは長続きしない。


最近になって、この柔軟性の低さがいろいろと体に悪い影響を与えていることが、実感としてわかってきた。
肌の荒れるところや、体がこる位置が、柔軟性の低いところと見事に一致するのだ。
自由ヶ丘にあるストレッチ専門の店でアドバイスを受け、これから毎日集中的にストレッチをしてみようと思う。

ターゲットは、臀部と肩(肩甲骨ではない)の筋肉。

嫁を被写体にしない縛り

2012年05月13日 | Weblog
同じモノを撮るなら、そこに中心となる人が入っていた方が絵になる。
その人が、自分の思うように写ってくれるならなおさらだ。
そんな考えから、最近はいつも一緒にいてくれる夕夏を風景の中に入れて撮ることが多くなっていた。
ある意味、甘えだ。

これではいかん。
夕夏なしでも風景を撮れるようにならなければ。

そういうことで、たまには嫁を被写体にしない、というルール。
友人の結婚式で福岡に行った、そのときがチャンスとばかりに、久々に夕夏なしの写真を撮って街を歩いた。

載せた写真はおばあちゃんカメラで。


25年間の重しをとるために

2012年05月06日 | Weblog
母が横浜に引っ越してくるので、名古屋の実家まで手伝いに行った。

名古屋の実家には、僕は3年間しか住まなかったが、母は13年間住んだ。
さらに、その前2人が12年間住んだ家から今の家に引っ越した時は、殆どのモノを持ってきたため、合計25年分のモノが溜まっていることになる。

これまでずっと日中は働いていた母なので、こまめに整理ができる環境になかったこともあり、部屋はモノで溢れていた。
それを今回の引っ越しで一気にきれいにしてしまおうというのが僕のコンセプト。

しかし、引越準備の最中は母との議論の繰り返しだった。
僕にとっては既に使い道のない捨てるべきモノでも、母にとっては今後も必要と判断するモノばかり。
僕が「いらない」と言えば、母は「いる」と突っぱねる。
その価値観の違いから、おおいに衝突した。

そもそも、身軽に自由に生きていくことを信条としていた母でも、これである。
年月というのは、本当に多くのものを溜め込み、人をどんどんと重たくしていくものだと、改めて感じた。

結局、多くのモノを捨てることになった。
どこからこんなにたくさん出てきたのかと驚くほどのモノが入口に並んだ。
まるで、そこだけを見たらゴミ屋敷だ。

こうして、過去の重しをそぎ取って、身軽な体と気持ちで、横浜に来てほしい。
これからの、母の新しいステージのために。

40℃の熱の中で

2012年05月06日 | Weblog
元々先週あたりから悪かった体調が、今週の火曜日の夜になって急に悪化した。

なんだか寒くなってきたなと思っていたら、急に体が震え始めた。
体を丸めてがくがくぶるぶる。
熱を測ってみると、40℃を越えていた。

とりあえずその日は厚着をして寝て、翌日の朝に病院へ行くことにした。

その夜は変な夢を見た。
具体的でない、物語もない、掴みどころのない観念的な夢だ。

赤く丸い小さな粒粒が、輝きながら真っ暗な空間にたくさん浮いている。
それらが集まって、太陽のように眩しく光っている。
あまりにたくさんの粒粒が集まっているために、どこが中心なのかわからない。
でも、何とかしてその巨大な粒粒の集合体の中心を探さないことには、先に進めない。
苦しくて、絶望的で、ずっともがき続けているような、そんな夢。

朝になり、病院で診察を受けた。
そのときのお医者さん曰く、大人が40℃の熱を出すと体のいろいろなところが大変なことになる。

確かに、あの夢は熱にうなされた脳が見せた、大変な気持ちだった。