録画しておいたNHKスペシャル『ヒューマン なぜ人間になれたのか』のシリーズ最終回を観た。
テーマはお金。
お金の登場がヒトをどのように変えたのか。
何とも興味深い。
番組の中で、カメルーンのバカ族(日本語でいうと抵抗のある名前だが)という民族が紹介される。
このバカ族は、これまでお金という概念を持っていなかった。
するとどうなるか。
狩で得た獲物や森で採れた木の実など、生活で必要なモノは全て村の人たちみんなに平等に分け与えられる。
農業を行わないバカ族には、蓄えておくことができる食料が少なく、言わばその日暮らしだ。
そんな非常に安定しない生活だからこそ、村の人たちみんなで助け合っていくというセーフティネットが不可欠だったのだ。
そこには、貧富の差はなく、皆が等しく助け合っている。
村の人曰く、もし誰かが獲物を独り占めしたら、彼は村のみんなから軽蔑される。
助け合わないと生きていけない不安定な生活だからこそ、周りから軽蔑されるというのは命取りとなるのだ。
一方で、カメルーンの幹線道路の近くに村を構えるバカ族は、最近になってお金を使い始めたという。
町から商人がやってきて、普段は手に入らないモノをお金と交換してくれるのだ。
番組では、なれないお金という概念に戸惑いながらも、着実に変化していくバカ族の考えかたを追っていた。
平等に村人に分けたいた木の実を、お金が欲しいがゆえに商人に売る人がいた。
お金を得るために畑を作って、これまで仲間だった村人を雇う人がいた。
お金の導入は、みんなで平等に分け与えるセーフティネットを崩し、雇い主と労働者という階級の差を生んだのだ。
ここから、貧富の差が生まれてくる。
なんだか、社会主義と資本主義の対立のようにも見える。
バカ族がずっとお金のない、皆で助け合う平等な社会でいて欲しいなんて、自分がバカ族の立場になって考えると、とても言えない。
お金を選び平等を諦めたことは、ヒトの文化が発展していくために避けては通れなかったことで、僕らの祖先が遠い昔に選択したことなのだから。
テーマはお金。
お金の登場がヒトをどのように変えたのか。
何とも興味深い。
番組の中で、カメルーンのバカ族(日本語でいうと抵抗のある名前だが)という民族が紹介される。
このバカ族は、これまでお金という概念を持っていなかった。
するとどうなるか。
狩で得た獲物や森で採れた木の実など、生活で必要なモノは全て村の人たちみんなに平等に分け与えられる。
農業を行わないバカ族には、蓄えておくことができる食料が少なく、言わばその日暮らしだ。
そんな非常に安定しない生活だからこそ、村の人たちみんなで助け合っていくというセーフティネットが不可欠だったのだ。
そこには、貧富の差はなく、皆が等しく助け合っている。
村の人曰く、もし誰かが獲物を独り占めしたら、彼は村のみんなから軽蔑される。
助け合わないと生きていけない不安定な生活だからこそ、周りから軽蔑されるというのは命取りとなるのだ。
一方で、カメルーンの幹線道路の近くに村を構えるバカ族は、最近になってお金を使い始めたという。
町から商人がやってきて、普段は手に入らないモノをお金と交換してくれるのだ。
番組では、なれないお金という概念に戸惑いながらも、着実に変化していくバカ族の考えかたを追っていた。
平等に村人に分けたいた木の実を、お金が欲しいがゆえに商人に売る人がいた。
お金を得るために畑を作って、これまで仲間だった村人を雇う人がいた。
お金の導入は、みんなで平等に分け与えるセーフティネットを崩し、雇い主と労働者という階級の差を生んだのだ。
ここから、貧富の差が生まれてくる。
なんだか、社会主義と資本主義の対立のようにも見える。
バカ族がずっとお金のない、皆で助け合う平等な社会でいて欲しいなんて、自分がバカ族の立場になって考えると、とても言えない。
お金を選び平等を諦めたことは、ヒトの文化が発展していくために避けては通れなかったことで、僕らの祖先が遠い昔に選択したことなのだから。