キャラバン サライ

夢は大空へ、努力は足元で、世界に目を向けながら足元から子供たちを見直していきたいと思っています。

ライダー

2005年11月26日 | Weblog
「でも、多かれ少なかれ、バイク乗りはみんなロマンティストだ」
という文句を某バイク雑誌で読んだことがある。

荷物も、人も少ししか運べない。
冬は寒いし、夏は暑い。
雨が降ればびしょびしょで走らなきゃいかんし、風が強いと怖い。
長く走れば顔は排ガスまみれになるし、
4輪車の圧力もひどい。

そんな機械にわざわざ乗るんだから、それなりの理由があるはず。
それを、ロマンティストという言葉であらわしているようだ。

4つのタイヤで束縛されている安定からの解放、自由が2輪にはある。
風と太陽を受けて、外界と直に接しているという自負がある。
4輪車のように、全てを制御されている温室とは違うんだぜぃみたいな。
そんな、ちっこくてどうでもいいこだわりを持っていることがロマンティストなのかも。

手帳

2005年11月25日 | Weblog
来年の手帳を買った。
ミドリ社の小人がいろんな乗り物に乗っている絵がワンポイントの手帳。
このシリーズの手帳は使い始めて4年目になる。

高校3年の冬、大学合格のお祝いに陸上部の先輩がわざわざ買って来てくれたのがこの手帳だった。
「大学生は手帳は必須だよ」
と言っていた。
別に使いやすいわけでもないけれど、先輩に貰ったことがうれしくてずっとこのシリーズを使っている。

毎年、この季節になると丸善へこの手帳を買いに行く。今のところ丸善でしか見たことがない。毎年、密かにこの買い物が楽しみである。

ゲイと砂漠とバスと旅

2005年11月18日 | Weblog
舞台はオーストラリア。
3人のゲイ・ダンサーが砂漠の真ん中にある町をバスで目指すロードムービー。
これだけのうたい文句だけで、衝動的にレンタルしたビデオが『プリシラ』。

これがツボに入った。
底抜けにおバカなゲイ三人がカラカラの砂漠を超ハイテンションで旅する。
それだけで後は何もいらないのに。
なんだろう、この底抜けの明るさ。
それぞれが悩みを持ち、お互いを傷つけあい、差別に苦しむのに、
全部歌いとばして、自由に生きることを貫く。
それよりなにより、シュールでバカすぎる。
このバカっぷりが暗くなりそうな話を超ハッピーなロードムービーにしている。

こういう何も考えずにハッピーに楽しめて、
それで、最後に何か少しだけ残る映画が大好きだ。

あと、主人公のゲイの一人がどっかで見たことがあると思ったら、
マトリックスのエージェント・スミスだった(笑)

先輩と後輩

2005年11月18日 | Weblog
中学も高校も大学もそうだったけど、
自分より学年が上の人たちと、下の人たちは違って見える。
先輩はしっかりしてて、厳しくて、伝統を守ってるイメージ。
後輩はまだ頼りなくて、甘くて、楽な方に流されてくイメージ。
あと、自分達の代はけっこう練習ができてて、しっかりやってたイメージ。
かなり主観的な見方だなぁ。
と思うけど、振り返ればいつもそう思う。

リップクリーム

2005年11月16日 | Weblog
日曜日にデカスロン最後の種目1500mを走り終わった後からいろいろおかしい。
やっぱり、長距離は身体に大きな負担が来るようだ。
その一つで、異常に唇が乾く。
あまりにもカサカサ、ガサガサ、ゴワゴワ、カチカチになったので、10年ぶりくらいにリップクリームを買った。
つけるとなんかすごい変な感じで、ぬるぬるして、落ち着かなかったけど、
3時間くらいでゴワゴワだった唇の薄い皮がどんどん取れてきて4時間後には健康な状態に戻った。
リップクリームすごい。

3年目の相撲でいろいろ思った

2005年11月16日 | Weblog
一年にたった一度だけ相撲をとる日。
そういう意味では一年に一度の棒高跳びや駅伝もいいかも。
毎年の足跡が残されてく。

相撲大会、一昨年は前里、可知と出場して4位。
去年は真人先輩、野田と出場して準優勝。
今年は前里、宮地という大御所をそろえていよいよ優勝を狙った。
陸上の大会やその他の試合でも優勝を狙うというのはなかなかない。
七大は狙ったな~

4年チームのほかに3年チームと1年チームがエントリーしたが、
試合時間が長引き、3年チームと1年チームは帰宅者を出し合併。
見置、江口(小澤)、田中の3,1年合同チームになった。

4年チームは予選リーグを2位通過。
決勝は日が暮れたため相撲部の相撲部屋へ舞台を移した。
その初戦、僕と宮地が続けて土につき敗退。
14位という優勝には程遠い結果となった。
ちなみに3,1年合同チームは準決勝まで進み3位という成績。

ここ数年、僕はけっこう周りが見えなくなっていて、
自分の近くの世界が全てになっていると思う。
「陸上部は他の(運動部より)強い」
「陸上選手は(他の運動選手より)強い」
みたいな一種の思い込みがある。
陸上選手以外とあまり運動をすることがないからかもしれない。
体育がないのは大きいかな。

こうやって相撲大会に出ると、そんな思い込みが吹き飛ぶ。
それもけっこうすがすがしく吹き飛ぶ。
水泳部、アメフト部が強いならまだしも、
普段運動をしていない研究室仲間の人たちに負ける(僕達が負けたのは研究室チームだ)。
逆に強そうなでかい黒人がころっと負けたりする。
相撲なんてみんな普段はやっていないのだから、ポテンシャルがもろに出そうなもの。
結局、陸上部だろうがアメフト部だろうが関係ない。
そのときに強い人が勝つ。
そう考えるとけっこう平等なスポーツだなと思う。
優勝チームはやはり研究室チームだった。

相撲が終わったときはとにかくすがすがしい。
息が上がって、テンションも上がって、もっとやりたいと思う。
勝てばかなり興奮するし、
負けるともっと頑張りたいと悔しく思う。

今年は出場チームが急増。
応援も激しかった。
レベルも上がった。
閉会式の後には相撲部屋で腹いっぱいいろんな種類のちゃんこが食べられた。
最後に相撲部師範に数年後は陸上部が優勝するときが来るといわれた。
七大も楽しみだけど、陸上部相撲優勝も楽しみだ。

すもうライダー

2005年11月15日 | Weblog
一昨年、昨年と相撲大会に出て、そのたびに確信を強める。
太ってなくても相撲は勝てる。
それは大相撲を見ても体重だけが実力じゃないと分かる。
やっぱり、総合力。
体重はその一つのパラメータでしかない。
特殊な筋力がいらない短距離選手だからこそ体幹の力は他の部より鍛えられているはず。
去年は準優勝。
明日は念願の優勝目指して投げまくりたい。

デカスロン 田中さん

2005年11月14日 | Weblog
デカスロンのセミで42歳の男性がいた。セミでは最年長者。
すごく温和で謙虚。競技力は平均以下。
その男性と1日目の夜の懇親会で話をする機会があった。
名前は田中さん。陸上を始めたのが40歳のときだから陸上暦はまだ2年。
しかも、短距離の100,200を専門にしているという。
それまではテニスをやっていたそうだ。
練習はインターネットで調べ、300+200+100などを一人でやっている。
田中さんはこれが始めてのデカスロンで勝手が分からずセミに申し込んだそうだ。
結果的にセミでは最下位になったが、来年もセミで挑戦したいといっていた。
このデカスロンを通して、2年目にして陸上がもっともっと好きになったといっていた。

僕も同じ感想。
ありきたりの表現だが、日本屈指の選手が献身的にナビゲートしてくれる喜びや、
競い合うスリル、挑戦、新しい仲間とのふれあい、励まし合い、ともに喜び悔しがり、競技場を熱気あふれるものにする独特の雰囲気がたまらなくうれしい。
この大会の中に陸上競技の喜びの多くの要素が詰まっていると思う。
まじめに書くとこんな感じ。

田中さんのほかにもセミには2人、年配の方がいて、会話をする中で来年からの社会人としての陸上のスタンスの参考にもなった。こうして、30代、40代でも陸上を続けて、こういう大会に挑戦している人たちの存在を知ることは来年以降の好材料だ。そのうちの一人(モードの杉さんに似ていた)は僕より100点多く取っていた。

田中さんたちは来年もセミで出場したいといっていた。僕は来年は練習ができなければミドルかなと思っていた。この心の強さの違い、チャレンジ精神の違いが社会人になってから運動を続けられるかどうかの分かれ目になってくるんじゃないかと思う。

デカスロン 進歩と退化

2005年11月14日 | Weblog
3回目のデカスロンについて
まずは競技について

100m 帯状疱疹で2週間練習できなかったため、11秒後半くらいだと思っていたら、11秒29(+0.4)。支部選あたりから取り戻しつつある体幹から足を動かす感じがきれいにできた。もしかしたら今回いけるんじゃないかと期待したが、そうは問屋が卸さない。

走幅跳 前回と同じ5m16。踏み切るときに踏み切り足のアキレス腱がすごく痛くなって2回が限界。前回と同じなら合格。

円盤投 13m77。これが今回の大きな失敗。前回の17mから120点の失点。前回までは事前に高橋に教えてもらっていたが、やはり先生がいないとだめだな。

棒高跳 1m80。前回と同じだが、満足。前回は限界が1m80だったが、今回は1m80は確実に跳んで、2m20に挑戦してだめだった。そのときは今回で一番悔しかったが2m00を跳んで守りに入らなかったのはよかったと思う。

400m 組一位は最低ラインと思っていた。練習不足を考えると52秒台(前回は51秒9)くらいだと思っていた。スタートしてバックストレートはリラックスでいい感じ。しかし、第四コーナーで内側からすっと抜かされた。ホームストレートは体力のなさが露呈したおおよれで52秒71。タイム自身は満足できるものだが、抜かれたときに積極的に勝負できなかった精神力の弱さと、清原に負けたことが悔しい。

2日目
110mH 鬼門のトッパー。前回までは前半、中盤までを3歩でいけたが今回は練習でどうしても5歩になってしまう。毎年19秒台から脱出できない、トラック選手として痛い種目。スタートから5歩と3歩を繰り返し、19秒64。ハードルだけは棒高よりも上達しない。

やり投 事前の山村のアドバイスでやりがお尻から落ちる心配はなくなった。そうなると俄然、やり投げは楽しくなる。1投目は27m74。前回とほぼ同じ。気合を入れて望んだ2投目は大きく失速。力むと投げられないいい例だった。

走高跳 前回は1m40。練習では1m50が最高。一回目を1m35にして確実に記録を残し、2回目を1m40にするか45にするかで迷った。ここでも守りに入らず勝負することにした。ナビゲーターの人も応援してくれたが跳べなかった。ここで小澤が2ファールで記録なし。小澤との勝負(ハンデあり)が一気に熱くなる。

砲丸投 目標は8m。これも山村の適切な指導で記録を伸ばし、今回初の自己ベストで7m90。絶対山村は指導者の素質があると思う。わかりやすい。

1500m 短距離は距離が大きくなるとどんどん怖くなっていく。そう思うのは僕だけじゃないはず。ラップを読む人もいないのでどんなペースで自分が走っているのかが分からないだけでも先が不安だ。ベストは4'43だが全く練習できなかったことを考えれば4分台が出れば合格。スタートして1周くらいまでは先頭集団についていったが次第に遅れ始める。小澤の背中が遠くなり、清原に抜かれた。ここで前を追い上げる力が自分に残っているのか分からない。去年、一昨年なら最後に走れなくなってもいいからここで追い上げようと思えていたかもしれない。でも、今回はとにかく弱気だった。確実に走りきれるペースを維持し続けた。最後に端浦先輩にぬかれてようやく火がつき、スパートで抜き返した。4'57。記録はまあまあだが、自分の気持ちがここまで弱くなっていたのにびっくり。

総評 点数は前回(4412)から1割ダウンの4028で過去最低。全体では48人中21位。まあ、それはやる前から覚悟していたから大きく落胆はしない。それよりも、400mと1500mで勝負する勇気がなく守りに入ってしまった事のほうが痛い。逆に棒高と高跳で失敗はしたが勝負にいけたことは進歩したことかなと思う。 

デカスロンにむけて

2005年11月11日 | Weblog
大学1年生のときに、エブリバディデカスロンの補助員をやった。
そのときは、日が暮れて雨が降って凍えそうなコンディションのなか、
400mが行われていた気がする。
それまで、専門外種目に興味がなかったが、
あんなに楽しそうにいろんな種目に挑戦している人たちを見て『楽しむ』陸上というものを感じた。
高校までは笑って走ればけつを叩かれる環境だったから、それが新鮮だった。
やっぱり、部として走る以上、中途半端な気持ちで競技はできないけれど、
それ以外のところでは、こうやって和気あいあいと普段やれないことを『楽しんで』やるのも、
陸上競技の中に入るんじゃないかなと思う。

これまでにデカに2回出場して1回目よりも2回目のほうが記録が伸びた。
3回目の今年は直前の病気のため、ベスト記録は望めそうにないが、楽しみ。
毎年、それぞれにライバルがいて、競い合う楽しさがあったので、今年もそんなスリルが欲しい。

幸運

2005年11月07日 | Weblog
いててて

この病気、このタイミングでなってよかったと思う。
夏だったら、暑くて痛くて痒くて地獄だろうし、
ましてやシーズン中に2週間も練習ができないなんて痛い。
今年の冬も研究で休んでる暇ないだろうし、来年以降ならなおさら。
学生最後の試合が終わった直後に発病したのはある意味とてもラッキー。
なんか、これまで部活でがんばっててずっと溜め込んできたものが、一気に噴出した感じ。

成るべくして成ったと思おう。

病気

2005年11月04日 | Weblog
日曜日の支部選で首の右が痛くなった。
次の日、右肩に小さな腫れがあった。
次の日、首が痛くて右肩が痒いので医者に行った。
診断は、右肩から細菌が入って首のリンパ腺が腫れているというもの。
貰った薬を飲むと、肩の腫れ水疱になり、腫れの数も増えた。
日に日に痛みが増し、水疱も大きく、たくさん出てきて、
寝れないし、歩いても座っても痛いから集中できなくて
こりゃたまらん、と違う医者に行ったけど、そこで貰った薬も効果なし。
痛い痛い。どんどん増える。頭痛もひどい。
だんだん鬱になってきて、再度医者に行ったら帯状疱疹じゃないかといわれた。
子供のころにやったみずぼうそうの再来らしい。
何でもいいから治して~てな感じだったからけっこう高い薬を買ってしまった。
それにしても、いてててて。
さて、どうなることやら。

何でインドへ行ったのか

2005年11月01日 | Weblog
よく、何でインドへ行ったのかという質問される。
そのたびに、
「インドが楽しそうだったから」とか、
「人間に興味があったから」とか曖昧な返事をして、
『なんだこいつは旅行の目的もはっきりしないのか』
と思われてるかな、と思いつつ
そう思いたければ構わない、と開き直っていた。

先日、『印度放浪』というずいぶん昔のインド旅行記のなかで、
著者がインドへ行った理由を旅から数十年経った後で回想していて、
それを見て、ああ、そんな感じだと思った。
以下、その文(記憶)。

私は負けに行ったのだと思う。
人に、大地に、町に、動物に、空気に、
インドの全てに負けに行ったのだと思う。

ふだん、あそこまでこてんぱんにされないからね。

練習スタンス

2005年11月01日 | Weblog
人それぞれだと思うけど、
僕は陸上の中心は試合だと思っている。
試合で結果を出すことが一番の目的であって、
練習はそのための必要不可欠な要素でしかない。
だから、練習での充実とか仲間との友情とか、
そんなことを目的にしていない。
試合で満足のいく結果が出れば、
結果として充実した練習ができていたということだし、
友情もあるだろう。

↑はこれまでのスタンス。
つまり、山へは試合で結果を出すために行くってこと。
でも、最後の試合が終わってもまだ、練習をするにはこのスタンスを変えないとなと思う。
これからは、なんでも積極的に、後輩にガツンと負けるのも積極的に。
そうすれば、冬もみんなでイキイキできるかな。