キャラバン サライ

夢は大空へ、努力は足元で、世界に目を向けながら足元から子供たちを見直していきたいと思っています。

卒業

2006年03月27日 | Weblog
卒業した。
胴上げをされて、色紙と花束を貰って、お祝いの言葉をかけられて・・・。
毎年見ている風景だけど、自分がされるとうれしかった。
特に色紙は読んでいて本当にうれしくて楽しくて感動するものなのでこれからも頑張って書いてください。
今は、卒業することよりも、名古屋を離れることよりも、みんなに会えなくなることが一番寂しい。
理系っぽくない感傷的な卒業式のコメントでした。

引越し

2006年03月27日 | Weblog
引越しが終わった。
ものすごい量のゴミが出た。
新聞屋のサービスで、毎月いろんな種類のゴミ袋をもらえる。
それを4年間ずっとためてきたのは、この日のためかって言うほどゴミ袋を使った。

下宿の荷物のほとんどは実家へ送った。
横浜の寮へ送ったのは、机、本棚、布団、ダンボール2個。
好きな本とか、写真とか、音楽とか、部の思い出とか持って行きたかったけど、やめた。
4年間、物質的に蓄えた物は全部置いていって、身一つで新天地へ行こうと思う。精神的に蓄えたものだけ持っていこう。

とは言っても、引越しは大変だった。たぶん、すごい効率の悪いやり方をしていたと思う。こういうとき、ぱっと荷物をまとめて、捨てるものをがばっと捨てて、簡単に移動できる人はかっこいいと思う。物質に囲まれて、ねばねばだらだらと過ごしていると、身動きがし辛くなってしまう。

この引越しで人の助けのありがたさがわかった。
ソファや洗濯機、本棚などを貰ってくれ、長い時間手伝ってくれたタウン唐山最後の住人、佐藤。
急だったのにもかかわらず軽トラで助けに来てくれた宮地。
2人乗りの軽自動車で何度も往復してくれた明日香。
母。
ありがとう~。

ベトナム戦争

2006年03月20日 | Weblog
ベトナムは2回目だが、ホーチミンシティは初めてだ。
首都のハノイが政治の中心ならホーチミンシティは経済の中心。
北京と上海。ロサンジェルスとニューヨークみたいな感じかな。
ホーチミンシティはベトナムの中でも最も発展している都市で、とにかく活気、喧騒、熱気がすごい。
ベトナムの交通の主役はバイクで、その量は圧巻。
信号が変われば、F1も驚くレースのようなスタートが繰り広げられる。

ホーチミンシティは昔、サイゴンといった。
ホーチミンシティという名前はベトナム戦争のあとからだ。
現在のベトナムの歴史はベトナム戦争とともにある。
ホーチミンシティだけで3つの戦争に関する博物館がある。
僕は、二つの博物館を見学したが、そのうちの一つがすごかった。
原爆ドームや、中国の盧溝橋事件の博物館など、戦争に関する博物館の展示はそのメッセージ性の強さから目を覆いたくなるようなものが多い。
その中でも、ここの展示は特別だった。
普段、僕はこういう展示を見ても冷静に納得することが多い。
でも、今回は感情的に、何をやっているんだアメリカ、と思った。
これだけのことをして、まだアフガンやイラクを攻撃することに理解できない。
アメリカ国民はアメリカを世界の警察と思っているのかもしれない。だから、世界の平和の障壁になる国は、アメリカが攻撃して正さないといけないと思っているのだろうか。でも、その考えは、この博物館をみれば変わる。絶対に変わる。世界の平和のためとどれだけ言っても、戦争は平和に暮らしている人々を殺す。
国の政治家の思想が違うというだけで、思想とは別の世界で穏やかに暮らしているものすごいたくさんの人々がアメリカ兵に殺された。そのアメリカ兵も、思想とは別の世界にいるように思う。だから、戦争は本当に悲劇しか生まない。

ホーチミンシティを歩いていると、ベトナム戦争のために足や手を失った人々を多く見る。そして、彼らは寄付を求める。僕は、どの国でも物乞いにお金を渡さないが、街の人々の中には彼らにお金を渡す人もいた。
日本と違い、ベトナムでは戦争がまだまだ近い出来事のように思えた。

カンボジアの人たち

2006年03月20日 | Weblog
カンボジア人は穏和だった。
カンボジアの次にベトナムに行ったせいで余計にそう思った。
ベトナムからラオスに陸路で行ったときにも思ったが、
国境という目に見えない境界を越えるだけでこうも人々の気質が変わるものかと驚く。不思議に思う。
笑い方から、旅行者への接し方まで。

夏にインドへ行ったせいで、今回の旅行の始めはかなりカンボジア人に対しても防備を固めて接した。
だまされんぞ、ぼったくられんぞと意気込んでいた。
でも、そんな肩肘張った緊張は肩透かしで、吹っかけては来るものの乗り物も宿も食事も、ちゃんと言った値段で誠実に対応してくれる。ごねたりはしない。
旅行者相手の商売をしていない人たちはとても親切だ。
そして、笑顔が気持ちいい。
食事をしたとき、乗り物から降りたときはもちろん、すれ違ったり、目が合ったりするだけでにこっと笑いかけてくる。こちらも笑顔になる。
子供達も、こころなしか人懐っこいように思った。

ラオスみたいにのんびりして、昼寝大好きで、がんがん根詰めて働かなさそうで、自分と家族が生活できればいいくらいの稼ぎで満足。そんな僕の勝手なイメージから考えると、経済発展ってなんだろうと思う。
必要なのかな。GDPが低くても、発展が遅くても、彼らの幸せの度合いには全く関係ないように思う。僕らの幸せの定規はずいぶん乾いたもののように思う。

水上の生活

2006年03月20日 | Weblog
シェムリアップの近くには東南アジア最大の湖がある。トレンサップ湖という。
その大きさは琵琶湖の比じゃない。
始めて琵琶湖を見たとき、海だ~と思ったが、トレンサップ湖を見たとき、太平洋だ~と思った。大げさだけど、本当にそう思う。
カンボジアには雨季と乾季があって、乾季の時には湖の面積が雨季に比べて三分の一になるそうだ。僕が行ったときが乾季だから、雨季にはどんなふうになるのか想像もできない。

その湖には、多くの人が水上生活をしていた。
巨大な湖の上に、店も学校も病院もある。
皆立派なものから簡単なものまで、それぞれの家を構えている。
ただ、田舎にある地上の民家よりも豊かに見えた。それが水上に住む理由なのだろうか。
僕が、その湖をボートで訪れたのは昼時だったが、みんなのんびりと昼寝をしたり、水を浴びたり、料理を手伝ったりして、穏やかにすごしていた。
その湖にも、区分けがあるそうで、カンボジア系、イスラム系、ベトナム系で別れているそうだ。住所はあるんだろうか。ないだろうな。すぐに移動してしまうから。

ボートが乾季のせいで少し狭いところへ入り、他のボート同士が渋滞になってしまったときのこと。
そこには学校があった。
驚いたことに、周りの若者たちが水上に浮かぶ学校を力をあわせて動かし始めた。
それで渋滞を解消しようというのだ。小さな子供から青年まで協力して水上の建物を動かす様は、僕の世界の外にあった。

写真は水上に浮かぶ協会。

自由と夏の遺跡

2006年03月20日 | Weblog
シェムリアップの遺跡群は2日かけて見学した。
1日目はアンコールワットとアンコールトムという、最も有名な遺跡を見学。
2日目は自転車を借りて、これらの周りに点在する遺跡群を見学した。

この中で思ったことは、どこまでも自由だな、ということ。
遺跡の見学に順路がない。
ただ遺跡がある。あとは自由に見てください、というスタンス。
一つ一つの遺跡が巨大で、中は迷路状態。
崩れ落ちた建物や、大木に飲み込まれた廊下、どこまでも続く部屋の数々。
どこにでも、自分の足で、自分の頭で探索ができた。
もし、これに順路があったらインパクトはずいぶん変わってきたと思う。
例えば、1000年後に廃墟になった三越や名古屋城を青空の下、自由に探索する、そんな雰囲気。

あと、蝉の声が本当に似合う遺跡だなと思った。
カンボジアは暑い。湿度もものすごい。
汗をがんがんかいて、干からびるくらいの太陽の光を受ける。
その中で、密林の中の遺跡では、蝉がいつも大きな声で鳴いていた。
その風景と、音が強く残った。
そして、陽が沈む頃、涼しくなり始め、薄い青色がかった景色になると、なぜか夏祭りを思った。
僕の中では、カンボジアは夏の思い出になりそうだ。

すごい

2006年03月20日 | Weblog
旅行から今朝帰ってきた。
今回はカンボジアのシェムリアップとベトナムのホーチミンシティに行った。

トーベ・ヤンソンのムーミンに登場するスナフキン。
彼は本の中で、
「自分の旅について話したくない。話せばその旅を思い出すとき、話した言葉を思い出すようになってしまうから。」
というようなことを言っていた。
最近、その気持ちがちょっと分かる。
「何々がすごい」などと表現していると、それを思い出したときにそのときの細かな気持ちではなく、ただ「すごい」という大雑把な言葉だけが浮かんでくるようになる。
だから、カンボジアで見たアンコールワットをはじめとするシェムリアップ遺跡群を「すごい」という言葉で表現したくない。

なんでこんなにだらだらと書くかというと、結局「すごい」という言葉でしか表現できないから。
インドのタージマハルは世界的に見ても美しい、巨大建造物だ。
そのタージマハルとは全く違う、圧倒的なインパクトがシェムリアップ遺跡群にはあった。
密林の中で、ただ朽ちて、巨大な木に飲み込まれていく、大遺跡群。
少し前まで、地元民しか知らなかった、これらの遺跡をフランス人が発見したときの様子を想像すると、うわぁと思う。
石造の巨大な建造物がところどころに点在し、見捨てられ、滅んでいく様子は、すごい。

今日のまとめ

2006年03月13日 | Weblog
今日はいろいろ書いたな~
卒論やってて、なかなか書けなかったからな~
今日で研究室が最後なので、このブログもなかなか更新できなくなる。
なにしろ、家のパソコンは最近ずっと不機嫌だ。
昔の部活の写真ももっともっと載せるつもりだったけど、結局1年生の時のだけになってしまった。
残りは、でも、せっかくだから全部まとめて部活へ持っていこうか。
でも、いつ?
明後日から6日間、カンボジアへ旅行して、帰った次の日に部の卒業旅行で京都。そのあとは、必死の引越し作業。
明日部活でSDをやったら次に行けるのは追いコンになりそうだ。
なんか、このブログでは、ずいぶん固いことや、背中がむずがゆくなることを書いてきたけど、これってこういう形だから書けるんだよね。よくないことだけど。でも、考えを外に出せるっていうのは、いいかも。
落ち着いたらまた書き始めたいです。
とにかく、卒業おめでと~
では。

僕の旅

2006年03月13日 | Weblog
趣味に「旅行」と書く人がいる。
僕も、書くことがある。
趣味の定義を厳密に言うことができないから、旅行が趣味と言えるのか分からない。
でも、(僕の基準で)旅と呼べるものを書き出したら、旅は僕の生活になくてはならないものだったんだと思った。
以下、大学生活での一人旅

1年
京都(自転車)
琵琶湖、福井(自転車)・・・玉井の家へ
東京(自転車)
中国
2年
渥美半島→三重(自転車)・・・渥美半島からフェリーで三重へ
新潟(電車)・・・マンギョンボン号を見に
東南アジア(中国、ベトナム、ラオス、タイ)・・・国境を越える旅
3年
鹿児島(電車)
4年
北海道(バイク)
インド、ネパール

たぶん、旅の中では、別の自分になれるんだと思う。
別に、成長もしないし、強くもならないけど、たまには旅の自分になって、いろんなものを吸い込んで、吐き出したくなるのかなと思う。
ちょっと、辛い目にあいたくなるのかなとも思う。
旅をしているときは、誰でも旅人。
スナフキンに昔から憧れてたからなぁ。

勉強と陸上

2006年03月13日 | Weblog
陸上部は勉強しないといけないと思う。

大学は勉強をするところで、陸上をするところではない。
勉強するためにお金を払っているわけで、陸上部に払っているわけじゃない。
勉強のために4年間の時間が与えられたわけで、陸上のための4年間じゃない。

だから、大学に入り、勉強をして、それでもまだ余裕のある人だけが陸上部に入る資格があるんだ。
単位を落としたり、留年したりすることは、ものすごく恥ずかしいことなんだ。
まして、それを陸上のせいにするなんていうのは大きな勘違い。
勉強ができるという前提での陸上競技だ。
少なくとも、陸上部は努力と勉強をする集団でないといけないと思う。

今はまだ、辛くない

2006年03月13日 | Weblog
卒論を今日提出した。
ここ数週間は忙しかったけど、辛いとか苦しいとかは思わなかった。

甘い考えかもしれないが、卒論は期限が遅れても何とかなる。
内容に間違いがあっても卒業できる。
誰の迷惑になるわけでもなく、ただ、自分のためだけに頑張る、という感じ。
それが学生。

それに比べて、社会人になると、大きな責任が伴う。
忙しいだけじゃない。
プレッシャーで胃が痛くなるようなときもあると思う。

部活も勉強ものびのび好きなようにやってきた4年間。
でも、社会を動かしているのは学生じゃない。
僕ら学生は、社会に乗っかって運んでもらっているだけ。
社会の中心にいる社会人は楽しいだろうなぁと思う。辛いだろうなぁと思う。
だから、今はまだぜんぜん辛くない。

別れの季節を過ぎるとき

2006年03月13日 | Weblog
別れの季節だ。
部活、研究室、家族などなど。
そんなことを思って最近、やたらしんみりしてしてしまう。
ちょっと癖になってる。
すぐに、これが最後の~か・・・って思っている。
よくない傾向だ。

中学や高校の卒業はどうだったかな~
やっぱりしんみりしてたかな。
でも、別れる環境に引きずられっぱなしではなかったと思う。今よりは。

新しい環境に入っていくとき、大切なことは昔を引きずらないことだと思う。
前の環境は過去のことだとすっぱり割り切って、新しい環境に集中するべきだ。
なんか、高校→大学のときは、それがすごくうまくいった。
今は、驚くほどうまくいかない。

今日は、研究室最後。
今、周りは誰もいなくて静か。
また、しんみりしてる。
やっぱり、愛知は僕にとって引き付けるものが多すぎる。
だからこそ、そこを出るのが始めの一歩だと思うんだけど・・・。

スポーツの目的

2006年03月10日 | Weblog
闘争本能を消化するためにスポーツがあるんだと思う。
だから、スポーツの本質は勝つことだと思う。
だから、スポーツは平等じゃなくて当然。
だから、勝つため以外の目的はありえない。
勝ちたい、強くなりたい、という気持ちがないならもうスポーツじゃない。
楽しい、経験、友達なんてスポーツの目的じゃない。
勝ちたいっていう本能を、変なところで出さないために、スポーツで消化する。
そう思っていた。

頭がいいって・・・

2006年03月10日 | Weblog
頭がいいって一般的にどういう意味で使われているんだろう。
計算の速さ?記憶力?独創性?
いやいや、なんか常識のある人がよく頭がいいって言われる。
逆に、常識のない人は頭が悪いって。

ちょっと考えれば、常識のあるなしは頭のよさとは関係ないよね。
もちろん、社会にとっていいか悪いかは関係あるけど。
天才といわれた人、誰もできなかったことを成し遂げた人は、常識が欠けている事が多い。
でも、常識が欠けている人の中には犯罪者として名を残す人もいるという諸刃の刃。

森博嗣の影響か、僕は頭がいいというのは計算の速さだと思う。
頭脳を計算機(コンピュータ)と考えれば、物事を考えるのは全て計算だといえる。
計算速度が速ければ人よりも多くのことを考えられる。
しかも、いくつかの問題を並列に処理できる。
でも、それだと一時メモリの多さも必要かな。ちょっとした記憶力。
ん~、やっぱり森博嗣の影響受けすぎか。
でも、そうすると僕は人並み以上に頭が悪いことになるんだけど・・・ね。

旅先の本

2006年03月08日 | Weblog
インドを旅行しているとき、司馬遼太郎の『燃えよ剣』を読んでいた。
新撰組の一人、土方歳三の半生を描いている。

なんで、外国に行ってまで歴史小説なんて読むんだ。
でも、僕は外国を旅行していると本を読みたくなる。それも、旅行のガイドブックではないやつ。
生で見て、聞いて、食べて、感じていることをガイドブックで復習、予習することに興味がついていかない。
だから、小説を読む。

東南アジアに行ったときは、上海で日本人にもらった本をずっと読んでいた。

旅行中は一人の時間が多いからとか、夜はとことん暇だからという理由。
日本語を読めることが楽しいというネガティブな理由。
とにかく、どんどん読めた。
面白かった。

そういうわけで、日本の歴史小説なのに、司馬遼太郎の本を読むと旅の香りがする。
ヤモリが這う小さなベッド、熱気と喧騒のバス、どこまでも続く鉄道・・・
あ~旅したい。
とりあえず司馬遼太郎の本を読もう。