キャラバン サライ

夢は大空へ、努力は足元で、世界に目を向けながら足元から子供たちを見直していきたいと思っています。

坂の上の雲3~読後感想~

2011年02月23日 | Weblog
『坂の上の雲』を読み終えた。
このブログを遡っていくと、2009年の11月にこの本を読み始めたという記事があるので、約1年と3か月かかっているわけだ。
一巻を読んで、別の本を読み、また気が向いたら次の巻を読むというような具合で全八巻を読み進めたため、これほど長い時間がかかった。

一気に読み進められなかった一番の理由は、眠くなること。
まったく、これほど読んでいてすぐに眠気をもよおす小説は珍しく、読み始めては寝、また読み始めては寝の繰り返し。
飛行機の中や、現場のバスの中、キャンプのベッドから通勤のバスまで、いろんな場所で読んでは寝ていた。

なぜ、これほど眠くなるのか。

一つは、この小説が新聞への長期連載として発表されたために、非常に繰り返しが多いということがある。
同じことを何度も説明し、同じ場面を何度も描写する。

二つ目は、著者司馬遼太郎の表現方法にある。
同氏の小説は、基本的に主人公を賛美し、そしてダメな人物はとことんダメとする、ある種極端に人物を良し悪しで分ける傾向にある。
『坂の上の雲』でもその例にもれず、フルパワーで数多く登場する歴史上の人物をよい人(能力のある人)と悪い人(無能な人)に分けている。
一度、どちらかに判定されると、その人物はとことんそちらの側として描かれる。
のちの一発逆転はほとんど期待できない。

そして気になることの三つ目は、過度の大げさな表現。

○○は世界で最も××であった。
○○は世界史上例のない××だった。
○○ほど××だった人物は世界のどこを探しても見当たらない。

などといった表現がしょっちゅう現れる。
それこそ、数ページに一度は出てくる割合で、どれだけ膨大な人数の日本人またはロシア人が世界ベスト1または世界ワースト1なのだとつっこみをいれたくなる。
いや、つっこみの前に食傷気味になってしまう。

どうも、上記の3つが合わさり、それが日露戦争を題材にしているこの小説に適用されることで、繰り返し繰り返し当時の日本という国と、文化と、そして日本人を賛美し続ける、そんな面が強調されて見えてしまう。
さらに、その逆として、ロシアがいかに当時ダメな国であったのかということについて、これでもかというくらいこき下ろして表現している。
特に小説の中盤、日本がロシアと開戦して以降、その傾向が強まり、より眠気を誘うようになった。
眠くなるということは、僕の心が自然とその考えに拒否反応を示しているんじゃないかとも思った。


こうして書くと、この小説はひどくつまらないものだというのが僕の感想のようにみえるが、もちろんそれだけではない。

そもそも、『坂の上の雲』を読んでみようと思った動機は、封建社会が崩れ、明治という新しい近代国家ができた直後の日本、特に国民のレベルでどんな変化が起き、どんなことを思って生活をし、そして太平洋戦争へどうつながっていったのか、それが知りたかったことだった。
それについては、この小説は一定の結論を与えてくれている。

また、明治初期の、著者のいうところの、
「不馴れながら「国民」になった日本人たちは、日本史上の最初の体験者としてその新鮮さに昂揚した。」
という雰囲気は感じることができた。


最後に一つ。
文庫の八巻目の最後に、単行本時の各巻の最後に付けられていたあとがきがまとめて収録されている。
そのあとがきには、著者のこの小説に対する思いと、明治初期の日本に対する思いがしっかりと書かれていて、実はこのあとがきだけを読んでも僕は満足できたのではないかと、最後になって思った。

やれやれ。

青梅マラソン

2011年02月21日 | Weblog
青梅マラソンに出場した。

45年という長い歴史を持つ大会で、小さな町のローカルレースながら、根強い人気があるという評判のマラソン。
昨年、申込までを終わらせた時点で赴任が決まってしまったので、今年こそは出られると楽しみにしていた。

実は朝に寝坊をした。
泣きそうに焦っているところを奥さんが冷静に餅を準備して送り出してくれた。

受付時間に間に合うために、立川駅から受付会場のある河辺小学校までタクシーを使った。
その運転手が、偶然にも30年前に青梅マラソンに出たことがあるという人だった。
1度目は恋人の誘いで出場するも制限時間オーバーで収容車に捕まったとのこと。
2度目の挑戦では、お祭りの法被に地下足袋を履いた仮装で出場。
しかし、途中で地下足袋の足が痛くなり、恋人に靴を差し入れてもらいなんとか完走したとか。
そのときの恋人が今では奥さんになり、先日高校生の息子とマラソンを走ったそうだ。
なんだか走る前からいい話が聞けたとうれしくなってしまった。
昔々から、今のようにマラソンで仮装をして走る人たちがいたというのも、おもしろい。

青梅マラソンは今回で45回大会という国内でもかなり歴史のある大会。
まさに町をあげてこの大会を応援しているという雰囲気が肌にひしひしと伝わってくる。
途切れることのない沿道の応援や差し入れ。
消防署や交番では、隊員やお巡りさんがみんな外に出て応援してくれている。
老人ホームの前には、車いすのおじいちゃん、おばあちゃんがずらりと並んで応援してくれている。
30kmの折り返しコースなので、実質15kmの沿道だが、4グループの盛大な和太鼓演奏が聴けたし(マラソン中の和太鼓は好きだ)、三線を演奏している地元のグループもいた。
とにかく、地元の盛り上げで作られている大会なんだと思った。
そして、それが45年も続けられている、その力、地元の方々の心意気がいい。
その心意気にのっかって、走らさせてもらえることがうれしい。

さて、レースの方はというと…
人生で初めてのことが2回あった。

1つは、このマラソンのコースが非常にアップダウンの多いコースだったこと。
そしてもう1つは、そのアップダウンのせいか、20kmを前にして突然スピードががくんと落ちて、その後立て直せなかったこと。

この青梅マラソン、平坦な部分と上っているか下っているかの部分が半々なんじゃないかと思うくらい、上って下っての連続だった。
思えば、東京マラソンも河口湖マラソンも、それにこれまでに出た駅伝なども、みんな基本的には平坦なコースだった。
その平坦が当たり前になっていて、アップダウンがこんなにじわじわ身体に疲労を溜めるとは知らなかった。
実は自分としては上りは得意な方だと思っていて、今回のレースの序盤も上りになると周りの選手をぐんぐん追い抜いて得意げになっていたくらいだ。

それが、あと少しで20kmだという辺りの上り坂で突然足に踏ん張りが利かなくなった。
得意なはずの上り坂なのに、どんどんと失速して、軽いジョグよりも遅くなってしまった。
意識はしっかりしているし、息もあがっていない。
なのに、身体が、特に足の裏が急に熱くなりだし、下半身ががちがちに固まってきた。
それは、平地になっても続き、あとはもう、最後まで走りきるだけで精いっぱいだった。

マラソンのラスト10kmくらいでどんどん失速していくという経験はあったが、これほどスピードが落ちたのは初めて。
それまで、軽快に1キロ4分38秒くらいで走っていたのに、突然1キロ5分20秒になった。
もう、後ろから人に抜かれるは抜かれるは。

ただ、課題というか、目標ができた。
フルを1キロ4分40秒で走りきる力をつけること。
今回の手ごたえで、4分40秒が今の課題だと思った。

30kmという中途半端な距離、派手な演出やゲストがいるわけでもない、決してアクセスのいいとは言えない会場、そして恐ろしいほどのアップダウンコース。
それにもかかわらず、これだけの歴史と人気を誇る青梅マラソン。
ぜひ、これからもこの大会で走らさせていただきたいと思う。

スキーの思い出

2011年02月13日 | Weblog
今シーズン初めてのスキーに行ってきた。
今シーズン初めて、社会人2回目、小学校以来3回目のスキー。
まだまだ八の字でしか滑れない僕は、友人の勧めで一日スクールに入ることにした。
結果から言えば、やっぱり教えることを仕事にしている人はうまい。
抽象的な表現(重心の位置とか、スゥなどの擬態語)じゃなく、具体的にどこをどうすればいいかを教えてくれる。

走り方を教えるときも同じだと思うけど、身体の部分部分をどうすればいいかの個別指導(よくマック式と呼ばれている)よりも、目標とする感覚を教えてそれに向けて身体全体が強調しあっていくほうが理想的だと思う。
そのときの指導の言葉は抽象的になりがち。
ただしこの指導法は長期的に、継続的に指導できる環境があってこその方法で、今日のような一日である程度の進展(結果)が求められる場合は、身体の各パーツの個別指導が適しているんだろう。

別の話。

僕が入った一日スクールはレベルが五段階に分かれていて、僕は下から三番目、脱八の字ターンというクラス。
僕の他にクラスには三人のおばさんと小学六年生の少年がいた。

その少年、練習開始から頻繁にスキーのブーツが板からはずれてしまう。
そのたびにクラスみんなが待たなければならないため、僕らよりも講師の方がイライラしていた(もちろんあからさまに怒りはしないが、言葉が少しずつきつくなっていく)。
講師は少年に、足首を変な方向へ曲げてはいけないだとか、もっと足首を固定すればブーツは板からはずれないと教える。
それでも一向に改善されず、少し滑っては脱げ、明らかにそれは彼の滑り方が悪いのではなく、道具の方に問題があるように思えた。
少年もよく頑張った。
ブーツ脱げる度に健気にもがんばって履き直し、講師や手伝ってくれた大人にお礼を言う。
投げ出すこともなく、泣き出すこともない。

彼を見ていて、自分の小さい頃を思い出した。
小学校に入るか入らないかという時、町内会で初めてスキーに行った。
そこで入った一日スクール。
先生の指導のペースが早くて、飲み込みの悪かった僕はなんとかついて行こうと必死。
でも何度も転んでいる間に服の中にたくさん雪が入り、寒くなって、辛くなって、あきらめて途中でやめてしまった。
休憩室で休んでいると、近所の年下の子が来て「あっちゃんならしょうがないよね」と意地悪に言った。
彼が部屋から出ていった後、それまでこらえていたものがあふれ出て、悔しくて、僕はしくしく泣いてしまった。

僕にとってその思い出がスキーのトラウマであり、大きく言えば学校以外での集団指導に対する恐怖心になっていた。

今回、それ以来初めてスキーの一日スクールだったのは、一つはそのトラウマを消すため。

結果的に、講師の指導はうまく、一日スクールは上達には適していると思った。
でもそこで出会った少年は、あのころの僕に状況が似すぎていてた(僕のように途中で諦めなかったが)。

僕が小さかった頃もそうだったが、なぜか子供のスキーのブーツって板からよくはずれる。
怪我を防ぐためにそういう設計になっている?それとも、たまたま板側の調整がブーツにあっていないだけ?
どちらにせよ、あれだけ頻繁にブーツが板からはずれるのは彼のせいじゃない。
講師はどうすればはずれないかを繰り返し彼に言い聞かせていたが。

スクール終了後に、彼に「よくがんばったね、えらいね」と声をかけると、恥ずかしそうに、でも誇らしそうに、「ありがとう」と答えた。
たいした少年だと思った。
彼にとってこの一日スクールがスキーの悪いトラウマにならないことを祈った。

小学校の環境出前授業

2011年02月09日 | Weblog
先日、会社のCSR活動の一環で、出前授業と称し、会社の近所の小学校へ行ってきた。
CSRとは、Corporate Social Responsibilityのことで日本語にすれば企業の社会的責任。
アメリカでは企業の利益を還元して地域のために慈善事業をすることが義務付けられているのだとか。
日本ではそこまでではないにしろ、その地で働かせてもらっていることへの感謝をこめて、地域に対してできる慈善事業をどの企業も模索するようになってきている。
うちの会社では、その一環として毎年近所の小学校や、プラントを建設している地域の小学校で出前授業をすることになっている。

出前授業のテーマは、水の大切さ。水がどれくらい貴重か、一度汚すとそれをきれいにするためにどれだけ大変かを説明し、実際に水をきれいにする実験までをやってもらう。
今回、僕は実験のお手伝いとして参加したけれど、子供たちの反応や食いつきがすごくよく、僕もそのうちに講師としてやってみたいなと思った。

それにしても、小学生、元気で素直。
巷でさんざん言われている授業崩壊などの影は少しも見えない。ふざけながらも、ひょうきんを演じながらも、結局は先生の指示をちゃんと聞いている。
たぶん、彼らの中でもいろいろ暗い影(いじめとか)があるんだろうし、先生たち(特に若い先生)は余裕がなくて大変そうだけど、こうしてみんなを見ていると僕が小学校だったころと何も変わっていないなと思い、なんだか安心した。
ほんとに変わっていない。
変わるはずもない。
子供は子供だ。
変わっていくのはいつも大人。
社会が大きく変わり、勉強や携帯電話で時間の隙間がどんどん埋められ、余裕のない環境になっていても、子供は子供。
できる限り、彼らを針の先のような狭い世界へ追いやらない、そんな大人として生きたいと思う。
少なくとも、近くにいる子供たちだけにでも。

『月明かりの下で』

2011年02月05日 | Weblog
大倉山ドキュメンタリー映画祭なるものが近所で開催されることを知った。
大倉山は、東急東横線の大倉山駅の裏にある、歩いて数分で登れてしまう小さな山。
その大倉山の頂上に、大倉山記念館と呼ばれる洋館風な建物があり、そこで大倉山ドキュメンタリー映画祭が行われる。

この映画祭は、横浜では普段なかなか接することのないドキュメンタリー映画に触れてもらおうと、ボランティアの人たちが手作りで開催しているもの。
二日間で6作品を上映する。

こういう地元に根ざした活動も、映画も好きなので、さっそく相方と行ってきた。
今回観た作品は、『月明かりの下で』と『ひめゆり』という作品。
その中でも、特に『月明かりの下で』に大きく感動した。

このドキュメンタリー映画は、埼玉の浦和商業高校の定時制のあるクラスを4年間、入学から卒業までを追ったもの。

問題の多い生徒たちの学校もの映画といえば、これも大きく感銘を受けた『パリ20区、僕たちのクラス』を思い出すが、今回のものはドキュメンタリー映画。
実在する人物、人生、出来事だから余計に衝撃が大きい。


入学当初から授業をまともに受けるつもりがなく、授業中に騒ぐ生徒に対して、全然叱らない先生たち。
それどころか、へらへら笑って、そんな生徒たちと友達のような感覚で話している。
なんて、軟弱で弱腰な先生なんだろう、と最初は思った。
でも、先生の「まずは絶対に叱らない。拒絶しない。彼らはこれまで十分社会から拒絶されてきた。まずは、このクラスが彼らの居場所だと思ってもらえることが大切。社会的なマナーはこれから2年、3年と経つうちにそれぞれが徐々に身につけていってくれるもの」
という考え方に、共感してしまった。


中学でいじめにあい、不登校だった生徒たち。
ちょうど最近読んだR.ウェストールの『かかし』にもいじめの描写があり、そうだ、小学校、中学校、高校とそれぞれにいじめがあったんだと思い出していたところ。
今ではなんとなく(意識的に?)忘れて(忘れたつもりになって)、遠ざかっていたいじめの被害をもろに受けた人たちがこの映画に登場する。

そんな彼らに向けたクラスの担任の、「嫌いになることは自由だ。でも、存在を否定するな。つまり、無視をするな。」
という言葉が重い。


親に暴力を振るわれたり、生活費のために日中ずっとアルバイトをしていたり、自傷行為を繰り返していたり…。
先生ですら「あいつらが、あの環境の中で、学校に来ているという事実だけでも尊敬する」
と言わしめるほどの逆境にいる彼ら。
そんな彼らが、修学旅行で行った沖縄のひめゆり平和祈念資料館で、同年代の女学生たちが大勢戦争で殺されたことを目の当たりにし、
「自分たちは幸せだ」というメッセージを書いていた。
自分がその立場だったらそんなことが言えるだろうか。


こういった、定時制に通うような、環境に問題のある子供たち、そして、その中で悩み、なんとか学校に来続ける生徒たち。
彼らの言動を聞いていると、なんだか彼らのほうがよっぽど僕なんかより大人なんじゃないかと思えてくる。
少なくとも、彼らを過去にいじめた人間や、彼らに暴力をふるう親たちよりは、ずっと賢くて、大人だ。


数えきれないくらいの、心に残るエピソードがこのドキュメンタリー映画にはつまっていた。
これほど、多くのシーンで涙が出たのは初めてかもしれない。
ぜひ、多くの人に観てもらいたい映画。
一つだけのシンプルな感想ではなくて、いろんなことを考えると思う。

本棚

2011年02月01日 | Weblog
昔から本棚が好きだった。

名古屋の長く住んでいた家には、広くもないのに、本棚だけの部屋があって、それでも収まりきらない本が所狭しと積まれていた。
全てが母親の本で、小説から歴史書から数学書から百科事典まで、あらゆるジャンルの本が散乱していて、それが嫌だった。
その雑然さが、というより、自分の知らない本があまりにも多く存在していることに、自分の手の届かない世界が隣にあることに、なにかおびえていたのかも。

当時は、本を捨てるなんて発想はなかったから、とにかく母親にはこれ以上本を買わないでくれと本気で説得していた覚えがある。

そんなとき、それら得体のしれない本たちを、きちんとカテゴリーに分けて、本棚へ片っ端からいれていくという作業は、なにか言い得ない快感があった。
そんな子供時代の延長で、本棚が好きになったんだと思う。


ところで、今月中ごろから、家の大整理計画が進行している。
このアパートに相方と引っ越してきてもう1年が経った。
引っ越しの荷を解いたときには、あくまで一時的な避難場所として置いたモノたちが未だに行き場を見つけてもらえず、1年前と同じ場所にあったりする。
そろそろ、みんなの居場所をきちんとみつけてやらなくては。そんな気分だ。

その一環として、先週末に本棚の本を全部出して整理を始めた。
まず、大きくは残すものと残さないものに分けること。
残さないものは、Book Offに引き取ってもらおうと思っている。
なんでも、Book Offを通じて本を(途上国の?)子供たちに寄付できるとか。

そこで、大きな悩みとなるのが、何をもって残す、残さないを決めるかだ。
もともと、捨てるのは大の苦手。
それが、本ならばなおさら。
本は読み始めれば数日、数週間、長ければ数か月ずっと一緒にいるもので、他のものよりも愛着や思い出、情がわいてしまうのは当然のことだ。


しかし、それでは本は増えていく一方。
読んでいるときはいつも一緒だが、いざ読み終わるとなかなか手に取ることすらしないのが本(僕の場合は)。
それを思い出といって残しておいては、ものにまみれて重荷になった、シンプルでない生き方になってしまう。

そこで、以下に当てはまらないものはすべて残さないことにした。

1) まだ読んでおらず、将来読みたい本
2) 相方に読んでほしい本
3) ネットや図書館で手に入りにくい本
4) 人生の中でも大きな意味をもつ本

この基準でとにかくたくさんの本を放出した。
でも、それだけではやはり何とも心苦しいので、放出する本の写真を撮っておいて、あとでノートに記録することにした。
そのときに、相方とノートを共有し、お互いがどんな本を読んだのかがわかるようにする。
本だけでなく、映画や美術館など、なんでもいいので書き込んでいくと面白いかもしれない。

話がそれすぎて、発散気味だが、とにかく本棚。
これがきれいに、センスよく、まとまっていると気持ちがいい。
それが言いたかった!