キャラバン サライ

夢は大空へ、努力は足元で、世界に目を向けながら足元から子供たちを見直していきたいと思っています。

花畑

2010年05月29日 | Weblog
灼熱の空気と真っ白な太陽の光のなか、影だけがくっきりと黒い。

ふと、壁際の足元に鮮やかなピンクと緑の色。
そこだけに小さな小さな花畑ができている。

なぜ?

よく見ると、その上には壁から突き出た室外機が、うんうんと苦しそうな音を出している。
そこから漏れるわずかな水が植物を生かしている。


室外機の下だけ花畑


人間の限りない活動が、この土地に、こんな奇妙な風景を作っている。

As a professional !

2010年05月29日 | Weblog
Think about each other!
Just help and finish the job!

Don't raise a fault made by others as child!
Don't protect yourself only as baby!

Respect each other as one team!
As a professional!


このプロジェクトでずっと思い続けて、言い続けて、もがいてきたこと。
毎日考えていたこと。
日本語では少し恥ずかしいので、そのまま英語で。

明日、このプロジェクトからも離れる。

彼のギター

2010年05月25日 | Weblog
最近、前のプロジェクトで一緒に働いていたフィリピン人の友達にギターを教えてもらっている。
教えてもらっているといっても、彼が弾いて、僕が歌って、おしゃべりをして、ときどき僕が弾いて、という感じ。
向こうは教えているつもりはないかもしれないけど、僕はいつも彼の弾き方をみて、すごいな、こんな風に弾きたいなと思う。
できるだけ盗もうとする。
金曜日の午後の平和なひと時。

彼はピックを使わず、指だけで弾く。その手つき、リズム、強弱、そして性格がなんとも野生的な弾き方。
きれいな音を出すことだけにこだわらず、叩くような弾き方をしたり、とてもメロディアスな弾き方をダイナミックにしてみたり。
これは僕の目指すところだなと思ってしまった。

彼の歌の選択も、なんとも僕好みで、いかにもギター!!っていう曲を、存分に弾いてくれる。
『I Started a Joke』とか、『Words』とか(全然知らなかった曲たちだけど)。
あとで、その曲をもっと知りたくなってダウンロードして聴いてみても、どう比べたって彼の演奏と歌のほうがよく聴こえてしまう。
それがライブの力かも。

二人はBeatlesの曲を弾き歌うことが多いけど、たまに僕が日本語の曲を演奏する。
その中でも彼の一番のお気に入りは長渕剛の『とんぼ』。
歌詞の意味を彼に教えてあげると、余計に好きになってくれた。

地方から憧れの都会へ出てきた若者が、苦労をして、都会を憎んで、もがきながらも幸せを探している歌。
外国への出稼ぎが多いフィリピン人には、親近感のわく歌なのかもしれない。

彼の国にも似たような歌があるそうだ。
歌詞を要約すると…

海外で出稼ぎをしていた男が国に戻ると、奥さんは家を出て行き、稼いだお金は全て持ち去られ、知らない子供が一人増えており、上の子はドラッグにはまっている。

なんとも救いがたい歌じゃない?
と聞くと、だから愛されるんだよ、とのこと。

1年前に初めて彼のギターを聴いて、もっとギターが弾きたい!という情熱が湧いた。
今も、彼の演奏を聴くたびにギターっていいなあと思う。

1ヶ月前に彼とプチライブをした。
スカイプを通して相方に二人のライブを聴いてもらった。
スカイプは少し音と映像にタイムラグがあるから変なライブに見えたと思うけど。
どたばただったけど、楽しかった。

将来、きっと彼の家に遊びに行って、また彼の演奏を聴き、またおしゃべりしながら、一緒に歌いたいと思う。
僕はあまり上手になっていなくて、彼はあきれた顔をするかもしれないが、それでもきっと今と同じように楽しく歌えるだろう。
そして僕はまたきっと感動する。
彼と彼のギター演奏にはそういう力がある。

すごい人~理想のリーダー~

2010年05月22日 | Weblog
すごい人物がいる。
これまで、すごい人というのはテレビの中ではたくさん見てきたが、現実に知り合いとして本当にすごいと思える人がいたのはそんなに多くない。
その中でも彼は一番かも。

今いるプロジェクトの某イタリア業者の現場所長(Site Manager)だ。
とにかくすごい。
でも、ただすごいすごいと思っていても頭の中が整理できないので、なぜそんなにすごいと思うのか書き出してみた(順不同、思いついたまま)。

1) 40人くらいのエンジニアや作業員をみごとにまとめあげている。
2) 彼の下請け業者のエンジニアや作業員20人くらいもしっかりとまとめている。
3) 部下から非常に信頼されて好かれている(やんちゃなイタリアの若手ばかりだが、彼の言うことは驚くほど素直に聞く)。
4) お客からも信頼され、対等に議論が出来る。
5) だからといってへりくだっているわけではなく、いつもどうどうしており、意見をはっきりともって行動している。
6) お客に対してはとにかく部下を守る(本当に部下のミスだったときは自分のせいにする)
7) 部下に対しては、個々人の自主性と意見を重んじる。ただし、全体からみた流れはしっかりとつくり、そこからそれているときは厳しくアドバイスする。
8) 自分は各分野(機械、電気、制御)のスペシャリストではないと認識したうえで、担当者の力は借りるが、自分自身も勉強し、現場で起こっている問題の一通りは理解している。
9) とても紳士的でユーモア、それでいて野生的な風貌と行動。
10) 頭の回転が早く、理解が早い。また、常に先を読んでいる。
11) いわゆるカリスマ的。彼が話し出すとみんなが黙るし、納得する。


6)に関しては、皆の前で自分の部下がお客に攻められているときに、お客につっかかってすごい剣幕で部下を弁護していた。それが仮に部下たちの前でのパフォーマンスだとしても、その効果は絶大だと思うし、部下のみならずお客の信頼も向上するように思う。

ただ、何より驚いたのは、彼がまだ29歳であると知ったとき。
それを彼の部下から聞いたとき、絶対に嘘だと思った。
荒々しいロングヘアーを後ろに束ねたまるで海賊のような風貌。
ひげも無造作に生え、とても若くは見えない(欧米人は往々にして年が実年齢より上に見えるが)。
そしてなにより、お客とまっこうから議論できる自信と経験、部下や仕事のマネージメント能力、カリスマ的な指導力、部下やお客からの信頼、あの落ち着きよう。
どこの世界に行っても一流ととれるその能力を29歳にして身に着けている。
それが、テレビの世界ではなく、現実に、目の前にいることに対して、正直にすごいと思う。

彼がこの現場にSite Managerとして来たのが2年前。そのとき、かれは27歳。ほとんど今の僕と同じ歳だ。
彼は、ここに来る前に3年ほど別の国で働いていた。ということはその前は24歳。
大学卒業の歳を考えると、多くてもあと一つの現場を経験していればいいほう。
ということは、彼は入社してから2つの現場を20代前半で経験した後、この超大型プロジェクトのSite Managerに27歳の若さアサインされたのだ。

このSite Managerのポジションには、過去に彼よりよっぽど年上の、よって経験豊富な人物が何人も就任し、そして役不足として交代させられている。
しかし、今の彼が来てから2年間、誰も彼を交代させようなんて考えない。ずっといて欲しいと思われている。
とにかく、ほんとうに、Unbelievable。

彼の部下は20代や30代前半が多く、若手でそろえている。
そして、Site Managerの彼自身も若いからか、非常に仲がよくまとまったチームに思える。
彼は、若手の勢いのある部分や、柔軟な部分(特にそこが若さのいいところ、裏を返せば柔軟性のなさは年寄りの最も厄介なところだと思うが)など、いい部分を十分に引き出し、軽率さや喧嘩っ早いところは厳しく押さえ込んでいる。まるで小学校の先生のようにも思えるし、大家族の頼れる長男のようにも見える。

この歳でこれだけの能力を持っている彼が、ずっと現場で働き続けるとは思えないが、彼がここにいることで幸な部下は多いだろう。彼自身も現場の仕事は嫌いではないように思える。
10年後、彼がどういうポジションでどんな仕事をしているか、本当に楽しみだ。

歳が近いこともあり、彼は僕にもよくしてくれるし、頼りにもしてくれる(もちろん、僕が彼を頼ることのほうが多いのだが)。
あと、数年で彼のようになれるかといったら、それはまだ程遠い道のりだけれど、少なくとも目指す方向は彼のおかげでかなりはっきりと見える。
彼はすごい人、理想のリーダー。

よいしょっと

2010年05月22日 | Weblog
車に乗り込むとき、降りるときに「よいしょっと」とつぶやく。
つぶやくというより、腹のそこから振り絞るように、うめく。
それ以外でも、深く座り込んだ状態から立つときなど、体をゆっくり大きく動かすときは自然と、「よっ」とか、「よしっ」とか、「よっこいしょ」という声がもれる。

端から見ると年寄りくさいと思われるくらい、こういう声を出す。
もう、中学生の頃からだ。

部活の顧問が繰り返し、それこそ毎日のように部員へ説いていた「声を出す」ことの大切さ。
彼曰くその効果は、
1) 集中力が増す
2) 瞬発力が増す
3) リラックスできる
と絶大。

1)は声を出すことで出した対象にだけ意識が集中し、安定した思考で動作が出来るということ。
また、一見2)と3)は矛盾しているように思えるが、声を出す=息を吐くことで、余分なところから力が抜け、必要な部分にだけ集中して瞬発的な力が起こる。
これらは、経験で正しいと認識している。
そして、一番大切なことは「息を吐く」という作業を強制的に行えることだと思う。

つい、瞬発的な力が必要なとき、つい息を止めてきばってしまう。
それでは、酸欠になって続かないし、集中力も失われる。
だから、息を吐きながら、集中して、安定した力を出すことが大切。

そんな意識から、「よいしょっと」とか、「よっ」という声をしょっちゅう出してしまう。
気がついたらインド人や欧米人はそういう声を出すところを聞いたことがない。
どういう言葉を使うものなのか、興味のあるところだ。

友達との別れ

2010年05月20日 | Weblog
大事な友達が現場を去った。

彼とは前のプロジェクトから一緒だった。
性格も仕事のやり方も全く異なり、何度となく衝突し、ぶつかり合い、議論を繰り返した。
彼がいることで、仕事の進みが遅くなっているんじゃないかと思うこともあった。

それなのに、もう会えないかもしれないと思うと、こんなにも寂しく思うものなんだ。

彼は国に戻って結婚をする。
そのお祝いとして、彼のオフィスでささやかなパーティーがあった。
彼がケーキをアレンジして、同僚や友達に振舞っていた。
彼はいつも周りを明るくする。

今日、たまたま彼も含めたここで長く一緒にいるメンバーで写真を撮った。
そのあとで、彼がもう帰ってこないことを知った。
写真はとてもよく撮れていた。
この写真は僕の宝物になる。

暑い季節と生活のなかで考えるちいさな事々

2010年05月14日 | Weblog
オフィスから小さいくせに重たい扉を押して外に出る。
肌を刺すような暑さがまず顔を覆い、襟元から、喉から体全体へ伝わる。
「暑いなあ」
わかりきっていることなのに、いってもしかたがないことなのに、ついその言葉が口に出る。
本当にいきている言葉ってそういうものかもしれない。

考えなくても出てくる言葉。
日本語だろうが英語だろうが関係なく、考えなくてもつい出てくる言葉が、自分の言葉。

つい先週までは、今年は涼しい、異常だ、なんて軽口を叩いていたのに、数日の間に一気にカタールは日本の真夏を飛び越えてしまった。
今はちょうどいつクーラーをつけて夜寝るかで自分との我慢比べが続いている最中。

オフィスに戻ると、ぐっしょりとかいた汗が一気に冷える。
あわてて席の隣にあるクーラーを止めると、例によって事務のフィリピン人に目だけで睨まれる。
彼とはこれについて以前口論になったが、風邪を引かないことが優先だということでおさまった。
それでも、まだ恩着せがましく、彼は睨む。

トイレに入ると、強い芳香剤のにおいが襲う。
この周辺でもっとも清潔でもっともにおいの強いエリアではないか。
毎度、毎度、本当に毎日思うのだが、和式(ぼっとん)便所ってとても清潔だ(少なくとも利用者にとって)。
扉を開けて個室へ入ってから出るまで、触れるものは自分の服と、ちり紙と水を流すために引く紐のみ。
なんてさっぱりしているんだろう。
特に、汗まみれのこの時期は。
便器にべったりと腰を下ろす洋式にどうしてみなが並ぶのか不思議に思いながら、いつもすいている和式に入る。
唯一の欠点は、携帯電話や鍵をポケットから落としたら取り返しがつかないことくらい。

昨日、韓国料理を食べたせいでお腹の調子が悪い。
いつも辛いモノをたくさん食べた翌日はこれに悩まされる。
それでも、韓国料理はおいしい。
変な話だが、カタールで韓国料理のおいしさを知った。
おいしい韓国料理の店が近郊の町にある。
最近、頻繁に行くのだが、いつも感動的においしいと思う。

関係ない話だが、昔、「トランスフォーマー」というアニメが大好きだった。
おもちゃも買ってもらったし、最近のリバイバルのアメリカ映画も一応見た。
言葉自体の響きがかっこいいと思う。
でも、英語での意味は「変圧器」だ。
日本語にしたら響きも意味もちっともかっこよくない。

ちなみに、この現場にある巨大な変圧器は今にも動き出しそうなロボットにも見える。
これはこれで「トランスフォーマー」の響きに似合っている。

ギターの語り弾き

2010年05月08日 | Weblog
ギターの語り弾きを聴くのが好きだ。
特に、ギター以外の楽器を使わずに、シンプルにただアコースティックギターだけでの演奏が好きだ。
なにか、あたたかい、とても心地いい、素朴で、そしてとても贅沢な演奏に聴こえる。

なぜ、そんなにギターの語り弾きが好きなんだろうと考えると、最初に浮かぶのは学童の先生。
小学生当時、楽器といえばピアノとリコーダーくらいしかイメージのなかった中で、ギター一本あればどこででもいろいろな曲をみんなで歌える、いろんなアレンジが出来る、そのおもしろさ、かっこよさ、そしてなによりそのシンプルさに感動した。

今でも、メロディーがきれいな曲がアコースティックギターで弾き始められるとつい聴き入ってしまう。
どうか、エレキやドラムやシンセサイザーが入ってこないようにと願う。
ずっと、ギターの音色だけで曲が終わってほしいと願う。

学童

2010年05月01日 | Weblog
この前、久しぶりに学童の夢を見た。
正確には、学童の近くを歩いていて、先生に会った夢。
先生はタバコを吸って歩いていたが、こちらには気づかず通り過ぎた。
それだけの夢。


それだけの夢だったけれど、妙に印象深くて久しぶりに学童のことを考えた。
でも、本当は僕はいつも学童のことを考えているのかもしれない。
自然に考えようとする自分を抑えて、思い出さないようにしているんだと思う。
昔の記憶って、みんなそんなものな様な気がしてきた。
それはさておいて。


学童の生徒の親でギターのできるノリのいいおじさんがいて、彼が学童の歌を作ってプレゼントした。
歌詞をはっきりと覚えていないが、たぶん下のような感じだったと思う。



「学校が終わって いくところがないひとは
みんな誘って 学童へ行こうよ
(中略)
さあ、みんなで いこうよ 学童へ
しみずがくどうーー」


…うーむ、改めて見てみると、宗教的というか洗脳的というか。
それはさておいて。


この歌が学童へ来たのがたぶん3年生か4年生だったと思うが、このとき初めて学童の意味がわかったように思う。
それまで、僕は何の説明も受けることなく(質問もせず)、当たり前のように学童へ行っていたけど、それはある種の習い事とかボーイスカウトとか親の方針とかそういう類の理由だと思っていた。

でも、ああ、そうか。
学校が終わって家に誰もいないと危険だから学童へ行っているのか、と妙に納得した。

それまで、ちょっと特別で自慢できる場所であった学童が、そのころからだんだんと違うものに見えてきた。
なにか、小さい世界に閉じ込められて、その中で孤立した社会を過ごしているような(実際にそういう向きはあった)。
学童へ行っていない人は、普段何をやっているんだろうということに強く興味を持った。
何か、僕らの知らない遊びをしているんじゃないか。
先端の、大人の、新しい遊びをしているんじゃないか。
そして、どんどんと僕らを置いて遠いところへ行ってしまっているんじゃないか。
漠然と、でも明確に、そんな焦りがあった。


そんなわけで4年生のときに学童をやめた。
理由はそれだけではなかったけど、とにかく、一刻も早くあのときは学童をやめたかった。


そして、人生で一番どうしようもない生活が始まった。
僕らの知らない、先端の遊びなんてなかった。
5年生の秋に部活に入るまで、自分でも何をしているのかわからない時間だった。


あの頃は、学童のいくつかの点を憎んでいたし、とても戻りたいとは思わなかったけど、ふっと思い出す記憶はどれも楽しい。
おやつの時間、夕方の集団遊び、土曜日のお昼の買出し、人形劇…


今考えれば相当にあれている子供たちが多かった。
そんな中で、50人くらいの小学生を3人の先生だけで見ていたのだ。
もう、あの先生たちもいないだろう。


あれから一度もあの場所へは足を運んでいないけど、ずっと、もう一度行ってみたいと思っている。