キャラバン サライ

夢は大空へ、努力は足元で、世界に目を向けながら足元から子供たちを見直していきたいと思っています。

「走る」考察~走る理由~

2009年02月09日 | Weblog
「なぜ、車輪動物がいないのか?」という問いに対する一つの答えは、「車輪では凸凹道や大きな段差、砂地などに適応できないから」であると思う。
つまり、足を使う動物のメリットとは様々な地形を走破できるということにある。

それを考えると、平らでまっすぐなコースを足を使って速く走るメリットと言うのは本来はないように思う。
車輪では走れない場所でこそ、足は価値を持つのだ。

であるにもかかわらず、オリンピックで陸上100m走は一つの花形だ。
また、自分の足を使って走るという運動は子供が初めて自分の力でできる競技なんじゃないだろうか。

小さい子供は足の速さを一つのステータスとして競う。
自分の足で走るという事に我々は特別な意味や魅力を感じているのだと思う。
それが大人になるに従い、子供の頃に感じていた「走る」魅力はだんだん忘れ去られていく。
全く走らなくなった大人のいかに多いことか。
本来の姿からすれば、走ることをしないというのは人間として非常に不自然なことでもあるように思う。

2本足で、これだけ速く、これだけ長い距離を走れる動物、人間。
そのメカニズムを追求しているのが、陸上短距離走の一つの姿だと思う。

孫の誕生日会

2009年02月07日 | Weblog
60歳近いピライさんというインド人が僕のグループにいる(写真右下)。
昨日、彼からグループみんなにあるメールが届いた。

「明日、初孫の1歳の誕生日会をしますので、お昼に会議室に集まってください。
KFCを用意しています。」

孫の初めての誕生日の喜びをみんなに分けてあげるなんて!
なんていい心意気なんだ!

今日、お昼に会議室に入ると、ずらっとKFCのランチボックスが並んでいる。
総勢40人くらいいるからけっこうな値がしたろうに。

当のピライさんはベジタリアンなのでKFCは食べられない。
なのにどうして、KFCを選んだのかは謎だが、食べられない分ちょこまかと動いてみんなの世話をし、とても楽しそうだ。

「私はKFCが食べられないので、みんなが喜んでくれるのを見ることしかできないけどそれで十分。」

ピライさんは敬虔なヒンドゥー教徒で、毎日お祈りと瞑想を欠かさない。
彼は、若いときから俗物を絶ってきたため、彼曰く
「エンターテイメントの楽しみ方がわからない」そうだ。
そんな彼にとって一番のエンターテイメントは、
「下請けの工事会社のワーカーたちが大号令に合わせて電気のケーブルを大勢で引っ張っているのを見ること」なんだそうだ。
根っからの電気屋さん。

インドでは、親が子供の結婚相手を選ぶ風習が一般的なんだそう。
親は、相手の親や兄弟はもちろん、祖父母や親戚まで調べて、ちゃんとした家柄かをチェックする。
それが、子供のためにできる最後の仕事なんだそうだ。

そうやって、がんばって育てた娘の子供の誕生日を遠いカタールの地でみんなでお祝いするピライさん。
おしゃべり好きな彼は、今日は目一杯おしゃべりができると踏んですごい剣幕でいろんな人と話している。
楽しそうなピライさんと彼の孫に乾杯。

『スピッツ』

2009年02月05日 | Weblog
高校のときはゆず、大学からはスピッツをよく聴いていた。

いや、スピッツはもっと昔からなぜかなんとなく聴いていた。

多分きっかけは、歌番組(紅白だったかな)に珍しく出ていたスピッツの『チェリー』を聴いてすごく好きになったこと。
中学生くらいかな。

『スピッツ』は、スピッツのメジャーデビューアルバム。
ファーストアルバムが一番傑作だっていうアーティストは多いけど、スピッツ好きの友達はこの『スピッツ』が一番好きだと言っていた。
なんとなくわかる気がする。

一年に一度くらい、スピッツのアルバムを通して全部聴いてみたくなる時がある。
きっかけはいつも、この『スピッツ』を聴いたことから。

今のスピッツは随分かっこいい歌を歌うけど、このファーストアルバムではスピッツのかわいさの部分が前面に出ている。
もう、うっとりするくらいスピッツって感じ。

このスピッツ臭さがたまらなく好きで、このアルバムを聴くとまた全部のスピッツの曲を聴いてみたいなと思うのである。

味噌汁

2009年02月03日 | Weblog
僕らが住んでいるキャンプの食堂は日本食と洋食が半々で置いてあるバイキング形式だ。

スープも2つあって、一つは味噌汁、もう一つはクリームシチューのような洋食。

今日、スープの列に並んでいたら、3つ前の欧米人が味噌汁を取っていた。
味噌汁の味は欧米人にも理解できるのか。

僕の2つ前に並んでいる人も味噌汁を取るのかなと期待していたが、彼はシチューを選んだ。

やっぱり、基本は洋食だよねと思い、僕のひとつ前に並ぶ欧米人を見ると、彼はお椀に盛ったご飯に味噌汁をかけた。
いわゆる味噌汁かけご飯である。

食堂では、日本人でもめったにやらない味噌汁かけご飯を欧米人が当たり前のようにやっている。
なかなかの日本食通なのか、それとも直感とひらめきなのか。

日本人は日本食も洋食も食べるが、欧米人は主に洋食だけをとる。
その中で、日本食を当たり前のように食べる人をみるとなんだか嬉しい気持ちになる。

「走る」考察~定義~

2009年02月01日 | Weblog
なにやら短距離走についていろいろ考察しているブログを後輩が作っていて、読んでいたら久々にそういうことを考えてみたくなったので、作ってみた。まずは、導入から。


人が速く走るとはどのように定義されるのだろうか。
もし、人が「足が速くなること」という目標を立てるのであれば、この定義ははっきりしたものでないといけない。

「足が速い」というのは他のスポーツと同じように、相対的で人により様々な解釈ができる。例えば、バレーボールであればスパイクを強く打てる選手とトスを正確に上げられる選手のどちらがバレーボール選手として優秀かはこの時点では決められない。また、勝ち負けが全てと言う観点から考えて、強いチームにいる選手が強いと言うことも簡単には言えない。

同様にして、足が速いという定義もまたこの状態では非常に曖昧だ。

野球選手が行うベースランニングを陸上の短距離選手がやってもなかなか野球選手には勝てない。それは、短距離選手は直線を走る(トラックのコーナーを除く)ことを大前提にしているからである。
また、短距離選手がバスケットを行っても、やはりその足を生かすことは難しい。これは、バスケットは状況に応じてスピードを調節しあるときは前のスピードを瞬時に左右後ろへ転換する必要があるのに対して、短距離は決められた距離を全力で駆け抜けるという前提の競技であるからだ。

上記のことから、短距離における「速く走る」という定義が少しだけ浮かび上がってきたように思う。すなわち、

1) トラックの上を走り、コースは予め決められている(ジグザグに自由奔放に走ってはいけない)
2) 非常に平らでタータンと呼ばれるゴム製のコースを走る
3) 途中で方向転換やスピードを調整する必要がなく、全力でゴールまで走る

これ以外の、短距離独特のしばりとして以下の2点があるが、本質的なことではないので今は特に考えない(大きなしばりだとは思うが)。

4) スターティングブロックを使用して、雷管の合図でスタートする
5) ゴールラインから垂直方向に胸が到達した時点でゴールとする"

上記のしばりの中で「できるだけ短い時間で指定の距離を走りきる」ことを目的としたのが、陸上短距離という種目だ。

このしばりの外の世界で、いわゆる足の速い人はたくさんいる。前述のベースランニングの野球選手しかり、バスケット選手しかり、さらに野生のターザンも足がきっと速い。しかし、一度このしばりの中に入ると意外にも速く走れなくなってしまうものだ。

つまり、陸上短距離を行うということは、それ専門の技術を修得しないといけないということになる。当然、その技術はそのまま他の走るスポーツに応用できるものではあるが、他のスポーツ(ベースランニングやバスケットでのダッシュ)でうまくなりたい人はそちらを専門に練習した方がずっと近道だろう。

陸上短距離という種目で速くなりたい人のみ、陸上短距離の技術にどっぷりつかる方がいいと思う。それは、底なしのふか~い世界だと思う。

言葉の危うさ

2009年02月01日 | Weblog
ちょっと前に一つ日記を書いて、次の日の朝に消した。
どうも、表現が適切じゃない気がして。

内容は、建設現場っていうのは、健康状態のチェックが厳しいため、身体障害者や精神障害者がおらず、人工的な町という気がする、というようなもの。

書いた後に考えていたら、いろいろ誤解を招くような表現があって、それを誤解のないような表現に直そうとしてみたけど、うまくできなかったので消してしまった。

身体障害や精神障害の人のことを書くときは、非常に気を使うべきなんだと改めて思った。
軽々しく、「健康」という言葉も使えないとも思った。
何が「健康」で何が「障害」であるかは、人によって様々だから簡単に自分の主観を言う事はよくない。

文章って簡単に誤解を相手に伝えるし、そうなっているって自分でも気づかないから、こわい。