キャラバン サライ

夢は大空へ、努力は足元で、世界に目を向けながら足元から子供たちを見直していきたいと思っています。

米沢富美子さんの履歴書から

2012年06月17日 | Weblog
日本経済新聞で連載されている米沢富美子さんの私の履歴書が興味深い。
彼女の生き方を読んでいると、人間は本来持っている力の何%を使って生きているのか、人それぞれで違うものだと考えさせられる。

僕の場合、最も出し惜しみをせずに、ただただ盲目的に頑張っていたのは中学、高校の時だったんじゃないかと思う。その時で80%くらい。
大学の時は、サボることを少し覚え、不要な自尊心から自分に言い訳をすることも覚え、その結果65%くらいになった。

そして今はどうか。
必死に生きているか?
これ以上できないというところまで頑張っているか?
ヒトに、そして自分に言い訳をしていないか?
本当はもっともっとできるけれど、自分の限界を見るのが怖くて、ずいぶん手前に限界の線を引いていないか?
残念ながら、今の自分の頑張りは40%くらいに思う。

仕事をサボっているわけではない。
ただ、今遮二無二なって100%集中できていることがあるかと言えばNoだ。
意識の問題なのだ。

米沢富美子さんは、大学院生時代、長女が1才になる前に第二子を妊娠した。つわりがひどい中でも夫の協力は得られず、それでも子育てと物理学の聖地と呼ばれる研究室での研究を両立させ、世界的に認められる論文を書き上げた。本人曰く、根性で机にかじりついた。

これこそが、自分の持っているものに対しての100%の生き方だと思う。
米沢富美子さんは数学の分野で天才的な結果を幼少期から残している。
でも、いくら頭脳が優れていても、上記のような凄まじい頑張りや努力がなければ、今日のような結果は残せなかっただろう。
松井秀樹選手の父が松井選手に送った言葉、「努力できることが才能である」もまさにその事を言っている。

世の中には100%で生きている人もいるし、40%で生きている人もいる。
同じ人生なら、できるだけ自分の力を出し切りたい。

鶴見との別れ

2012年06月09日 | Weblog
40年間、横浜の鶴見に本社を置いていた勤め先が、みなとみらい地区へ移転する。

そんな訳で、最近は引っ越しの準備でいろいろとどたばた気味だ。

非日常的な事態なため、心なしかみんなのテンションも高い。
と同時に、長年お世話になってきた鶴見へのお別れも、各々の納得するやり方で粛々と行っているよう。
まるで、それぞれの儀式のように。


僕は、会社の近くを流れている鶴見川にお別れを言った。

この鶴見川沿いを、幾度となく退社後に走って帰宅した。
継続して走る練習ができ、マラソンで自己ベストを出せたのは、この川のおかげだ。
ボート部で汗を流したのも、この鶴見川。
お昼休みに、気晴らしにストレッチをしていたのも、桜を一杯に咲かせて仕事の疲れを癒してくれたのも、この鶴見川だった。


オフィスの階段にもお別れを言った。

僕の執務室は6階建ての5階にあるが、その上り降りは殆ど階段を使った。
会社の健康目標にも、「オフィスのエレベーターを使わない」と毎年書いた。
いつもこの階段を見、そして壁の「4▼ - ▲5」の表示を見ていた。
古い階段だけど、のぼりやすい階段だった。
いつも支えてくれてありがとう。




一年に二日間、鶴見が必ず全国放送される時がある。
箱根駅伝の鶴見中継所だ。
会社から近く、入社した当時はちょっとした感動だった。

鶴見はブラジル人など移民の多い地区だ。
また、沖縄から移り住んだ人も多いため、沖縄料理屋が多い。
都会的な雰囲気というよりは、庶民的で、古い町だ。

会社近くのサークルKの前にこの前看板が出ていた。
「○○会社様、長い間のご愛顧ありがとうございました。
新しい場所へ移っても、がんばってください」
と書かれており、感動した。


移転先のみなとみらい地区は、鶴見とは打って変わって新しい町だ。
高層マンションが立ち並び、平屋の民家など一つもない。
そんな新しいオフィスの生活にわくわくする一方で、鶴見に後ろ髪を引かれる思いもある。
引っ越し準備がようやく終わった夜の鶴見で、友人たちと最後のラーメンを食べた。

ストレッチの備忘録2

2012年06月03日 | Weblog
1) 首のストレッチ
首の重さを使ってゆっくりゆっくり回す。
その際に、声を出しながら行うと、声が出にくい所を重点的に伸ばす。
早いペースでぐるぐるやると首の筋肉を使ってしまい、逆効果だそう。

2) 脚の外側のストレッチ
膝の高さの段差に脚を乗せる。
右脚の場合は左の方へ、左足の場合は右の方へ乗せる。
腰は前向き。
そのまま腰から前屈。
次に足首を立てる。
次に足首を伸ばす。
これがかなり効く。
小学校からこの部分(脚の外から内にかけて伸ばすこと)に向き合っている辛さ。