キャラバン サライ

夢は大空へ、努力は足元で、世界に目を向けながら足元から子供たちを見直していきたいと思っています。

七大前に

2005年07月28日 | Weblog
明日、七大戦のために九州へ行く。
チームとして一番勝つことが大切な試合であり、またチームとして最後の試合でもある。

高校から陸上を始めて7年。
冬に練習を積み、夏に記録を狙う。
同じことの繰り返しをよくこれだけ続けてきたと思う。
高校では毎年自己ベストを出してきたが、大学では最初伸び悩んだ。
でも、よく考えたら自己ベストが出ない年はなかった。
今年も自己ベストを出した。

体が成長していて、陸上初心者だった高校のころはともかく、
体の成長が止まり、走りが固まった大学で自己ベストを出すことは大きなことだ。
常に全力でやっている以上、以前の自分を越えるには相当の力が要る。
新しい技術的なことを取り入れたり、走りをより適正化していったり。
たぶん、体力は高校のころとあまり変わっていない。
それでも以前より速くなれたのは、そうやって考え続けてきたからだと思う。

僕にとって陸上の現役をやめるというのは自己ベストを狙うことをやめることだ。
自己ベストは以前の自分よりも強くないと出ないのだから、全力で練習し続けないと出ない。
以前よりも大きな力で練習していないのに自己ベストを狙うなんておかしい。
それを考えると、僕の現役はもうすぐ終わるんだと思う。
以前の自分よりも全力でできないならもう現役ではない。
陸上に対する気持ちが落ちているわけではなくて(七年もやっているのだから落ちるはずがない)、今しかできないことが陸上と共存できないから。

人生の中で何の見返りも期待せずに、本気で勝とうとして、全ての力を使うのはこれが最後かもしれない。それくらい、社会の中で本気のスポーツというのは異色のものだと思っている。七大は最後は精神力の勝負というけれど、こんな勝負も滅多にできるものではない。

写真はラオスの街角。夕方、どこの国でも同じようにふっと誰もいなくなる場所がある。

記念日

2005年07月10日 | Weblog
僕は誕生日に関してかなり無頓着である。
他人の誕生日で覚えているのなんて(とても覚えやすい日だったから)母親くらいだし,
自分の誕生日だってかろうじて(よく書くから)覚えているくらい。

誕生日といっても法律上その日に年齢が一つ大きくなるというだけで,
実際自分が生まれたのはその何十年前。生まれた日はとても意味のある日だけど,
その後何年目というのは興味がない。
生誕100周年で展示会とか区切りとしてはいいのだけどどうもぴんとこない。

同様に,○○の日というのもほとんど覚えていない。
クリスマスもバレンタインもいつか知らない。
近くなると手帳を見たりしてそれとなく意識はするけど厳密にはわからない。興味がない。
1年のうちで覚えているのは終戦記念日くらいか。

結局,数字を覚えることが苦手なのだ。
ある特別の日(3桁ともすれば4桁)をいくつも覚えるなんてとてもできない。
もちろん,陸上のタイムも100と200がぎりぎりで,400以上は忘れた。
そのぶん,僕の手帳には数字がたくさんメモしてある。苦肉の策だ。

誕生日とか記念日なんてそれくらいのものでしかない。
何年前の今日に何があってもあんまり思うことはなくて,
やっぱり今そのときにあることのほうが大きい。
そんな言い訳をして,誕生日はあまり覚えない。