キャラバン サライ

夢は大空へ、努力は足元で、世界に目を向けながら足元から子供たちを見直していきたいと思っています。

中国発インド行き

2005年08月31日 | Weblog
インドに行きたいと思った。
高校生のころだ。
それらしい本を読んだんだと思う。
いろんな人がいて、いろんな文化があって、いろんな神様がいて、
全くつかめない、理解できない国、インド。
一度行けば、もう二度といきたくないか夢中になるか、どちらか。

でも、いきなりインドに行く勇気はなくて、
まずは中国に行った。
ここで、外国の一人で旅する方法とか、楽しさとかをさらっと少し身につけた。

次に東南アジアへ行った。
中国よりも雑多で、いろんな文化があった。
国境を陸路で超え、国というものを意識した。

でも、やはりずっとインドへ行きたくて、
今までの旅行はインド行きへの準備のような気がしていて、
今行かないと、冬や春は卒論や就職で行けないかもしれないから、
秋の陸上をあきらめて、部活の引退を早めて、
インドに行く決意をした。
明後日出発。約2週間。インドの北部を周る。
それしか決めていない。
これまでの集大成になるのかな。
聖地ベナレスでガンジス川での沐浴をしたい。

帰り道

2005年08月31日 | Weblog
父は学生のころから今でも「バカ」になれないという。
そして「バカ」になれることはある意味ではうらやましいと。

昔から、何か大きなこと、歴史に残る事(それがいいことかどうかは別にして)をやってきた人はみんな「バカ」だった。
それが、自覚のある「バカ」かそうではないかは別にして。

父のような「バカ」を客観的に見て、抑止する人も必要だ。
そんな人がいなくなれば、人はすぐに滅びそう。
でも、「バカ」な人(集団)が人の歴史を作ってきたのも事実だし、
これからもそうなんだと思う。

僕は高校の陸上部で「バカ」になっていろいろ犠牲にした。
その中には、かなり大切なものもあったと思う。
そのとき、僕は自覚のない「バカ」だった。

大学では自覚のある「バカ」であろうと意識した。
「バカ」になって、4年間陸上をできたことに後悔はないし、
いろいろ学び、身につけたと思う。

これからどうなるかはわからないけれど、
「バカ」になろうとしたときは、自覚のある「バカ」であろうと思う。


陸上「バカ」

2005年08月31日 | Weblog
でも、陸上部は「バカ」になるということを分かって「バカ」になっている。
多かれ、少なかれみんなそれは感じていると思う。
大学で陸上(運動部)を真剣に続けるには、
「バカ」にならないとなかなか難しい。
未来や実利を考えずに盲目的に努力する、「バカ」になる手段として、
全カレに出場する、七大で優勝する、全日本に出場するといった目標がある気がする。
でも、もし何か大切なものを犠牲にしそうになったとき、
自分達が「バカ」になっていると自覚している僕達は、
大切なものを失わずにすむはず。
それができない集団が本当にバカなんだと思う。
「バカ」になるための目標よりも大切なものを、「バカ」になったいるがために気づかず、犠牲にしてしまう。そんな矛盾が戦争や日常のなかにいっぱいある。

「バカ」

2005年08月31日 | Weblog
槍から双六岳への縦走を1日かけて行い、
翌日に穂高温泉まで降りて帰った。

その間、父と「バカ」になることについて話した。

例えば、大きな大会に出場しても、すごい記録を出しても、何か得をするわけじゃない。
でも、まるでそれが全てのように、ほかの事を犠牲にして、自分を(周りを)追い込んで、盲目的に目標に向かって努力する。
それがここでいう「バカ」になるということ。

今の陸上部では七大戦がそれにあたる。
七大戦で優勝したからといって、どうなるわけでもない。
しかし、七大戦で優勝することがチームの最大目標となる。
そのためなら少々の学業やお金は犠牲にできる。

冷静に、客観的に外から見れば、その集団は異様だ。
無駄、と見られるかもしれない。
もっと実利的なことがあると思う。

世の中には、そんな「バカ」になることが多い。
ひいきの野球チームが優勝したって、どうなるわけでもないのに必死で応援する。
昔のナチスや日本だって国家規模で「バカ」になっていたともいえる。
盲目的に集団で目標へ向かっていく事は、場合によってはひどく危険だ。
集団はその目標に疑問を持つ個人を排除する。
戦時中にはそんなことがたくさんあったし、陸上部でもあった。
この話・・・重過ぎるかもしれない。

槍の矛先

2005年08月14日 | Weblog
槍ヶ岳は遠くからでもそれとすぐに分かる特徴的な形をした山だ。
北アルプスの象徴ともいえる山で、文字通り天に向かう槍の矛先のような形をしている。
写真でも分かるように、すごい角度。ぱっと見で70度くらいありそう。
あれをどう登るんだとずっと考えながら、槍の麓まで2日かけて登った。

槍の麓から頂上を見上げて、
考えていた通り、見た通りの角度を登るのだと知った。
両手両足を駆使し、次から次へと岩をよじ登る。
登っているときの感覚では殆ど90度だ。
槍登山の経験を書いたHPに
「準備運動として富士山に登った」
というのがうなずける。
ここまでの行程もさることながら、このラストスパートは経験したことがない登りだった。

最後の手が震えるこわ~い梯子(恐ろしくて下を見れなかった)を登りきると、
急に視界が開けて、そこが頂上だと分かった。
とても狭い頂上だった。文字通り槍の先端。どちらを見渡しても雲海と山々が続いていた。

登るわけ

2005年08月14日 | Weblog
雨が降ってびしょびしょ。
空気が薄くて息が苦しい。
少し気を抜いたらまっさかさまであの世逝き。
登りがきつくてもう嫌だ。
激しい下りで足ががくがく。

疲れて、相方との会話もなくなり、ただ黙々と登っているときに、
いつも考えることは、何で山に登るんだ、という疑問。

登った人にしかわからない気持ちになれるかもしれない。
何かすごいものが見れるかもしれない。
いい写真が撮れるかも。
人に自慢できる。
人生経験。
お勉強。
etc...

いろいろ考えるが、どれもしっくりこない。
いつも、もう二度と山なんて登らない、と思うことが必ずある。
苦労して登って、見れるかも分からない景色を見て、降りる。
時間と労力が多分にかかる非生産的な趣味だ。
でも、10年間、登り続けてきた。
どうしてかはいまだ分からず。
どうして生きようとするのか、という問いの答えと似ているかも。

今→未来

2005年08月14日 | Weblog
大学に入ってから毎年、父と登山をするようになった。
小さいときから父とは別居していたが、大学生になってからは酒を飲み交わす仲となり、
山も父に誘われて登るようになった。
大学1年では仙丈ケ岳、2年では白馬に登った。
3年目は2人それぞれのバイクでツーリングに出かけた。

そういった大学に入ってからの思い出もあるが、僕はあまり覚えていない。
淡白なのだ。悪く言えば物覚えがよくない。
今、この時間が僕の中でとても大きく、昔のことはすぐに重要でなくなる。
僕が小さいときに父と過ごしていないことは、確かに積み重ねの一部ではあるだろうが、
それが今の気持ちの一部にはない。
今、この時間に一緒に登山をしていることが全てで、過去とは何も関係がない。

今回の登山は終始、悪天候が付きまとった。
登り始めた時にはすでに雨が降っており、最終日も雨の中の出発となった。
しかし、ここぞというときには霧も晴れ、青空が広がった。
苦労をさせるだけさせといて、ちゃんといいものを残してくれている。
過去に興味はないけれど、運命というのはなぜか意識してしまう性格なのだ。

10年目の登山

2005年08月14日 | Weblog
初めて登った山が富士山だった。
中学1年生のとき。
深いことは何も考えずに、日本で一番高い場所に憧れた。
そこに立つと、何が見えるのだろう、という好奇心、期待があった。
結局、今でもそんな期待から山に登っている。
山に登ったことで何かが変わるわけでも、悟るわけでもないけれど、
今でも何かを期待している。

初登山から高校を卒業するまで毎年富士山に登った。
そして初登山から10年目の今年、
来年以降は時間も余裕もないかもしれないということで、
父と集大成の意味も込めての登山をした。
槍ヶ岳から双六岳の縦走。
これまでで最も厳しい山を3泊4日の日程で旅してきた。