キャラバン サライ

夢は大空へ、努力は足元で、世界に目を向けながら足元から子供たちを見直していきたいと思っています。

菅平トレイルラン3

2009年09月29日 | Weblog
トレイルランで必要なのは登る速さだと思った。
少なくとも、今の僕にとっては。

山を走る時には、大きく分けて3つの地形がある。
登り、平地、下り。
あたりまえだけれども。

ロードレースでは、コースの殆どは平地で、起伏があったとしてもその角度は大きくない。
それに対して、トレイルランではその殆どが登りか下り。
それも、走って登り続けるには辛い傾斜角度。

レース中、平地を走る速さと、登る速さ、そして下る速さ、それぞれこうも人によって特徴があるのかと驚いた。
あくまで相対的に見てだが、僕は平地や下りではあまり抜かされなかったし、むしろ前との差をつめることが多かった。
しかし、いざ登りになると、抜かされる抜かされる。
山登り出身のようなおじさんや、スライドの長い外国人のみならず、身軽そうな女性にもずんずん抜かされていった。

傾斜のきつい上り坂は、初心者は殆ど歩くし、ベテランでも走っては歩くの繰り返しになる。
つまり、登りを攻略するには(少なくともある程度のレベルまでは)、登りをいかに速く"歩いて"登れるかにかかってくる。
僕は、登りで気張って歩くとすぐにふくらはぎが痛くなってしまう。
そこをもっとすたすたぐいぐい登れるようになれば、随分タイムは縮められるなと思う。

今回の記録:15km 2時間47分(道に迷っていた時間15分)

菅平トレイルラン2

2009年09月27日 | Weblog
ゴールして芝生に寝転がりぼーとしているとき、難しいことは考えられなくで頭の中はわりと白なんだけど、なんだか漠然と生きてるというか幸せな気持ちを感じる
芝生に寝転がると死ぬほど気持ちよかった。
イトーヨーカドーが無料で提供している豚汁はむちゃくちゃうまかった。

なぜわざわざ長野まで行ってそういう大会に出るのか。ちょっと考えたけどなかなかうまい答えが見つからない。
「楽しそうだから」
そう答えるのがまだ近い気がする。

菅平トレイルラン

2009年09月26日 | Weblog
今、長野へ向かっている。
明日の菅平トレイルランに出場するため。

トレイルランは山道を走る長距離大会で、初挑戦の今回はショートの部で15キロを走る。15キロといっても市民ランナーだと2時間半くらいかかるそうで、ロードレースの約2倍かかることになる。

山を走る以上、怪我、特に膝の故障率が格段にあがるようだ。
だから、もしトレイルランを大学の時に知っていてもまず出場できなかっただろう。
その点、このタイミングでトレイルランを知り出場できるというのは幸運だと思う。
前向きに。

山を思い切り駆けたい。それは登山をしているときにいつも駆られる衝動。だから今は楽しみで仕方がない。

久しぶりの陸上の試合でもある。準備のために新しいシューズやウェアを買うのも、それを初めて身につけて走るのも新鮮な気持ちで楽しい。
そういった情報を一緒に走るメンバーと話すだけでも自然とテンションがあがってくる。

試合をシミュレーションして、いろいろなレースパターンを想像して緊張したりナーバスになったりもしている。

ああ、これが試合の感覚だと気づく。

ブータン~3日目・下~

2009年09月25日 | Weblog
その土地にはその土地独自の宗教の歴史がある。その歴史が、史実かどうか、科学的に立証されているかどうかは、その土地の人には問題ではなく、重要なのはその”歴史”が人々の中で生きて、活用されているかなんだと思う。

チベット仏教の国ブータンに仏教が伝えられた歴史をドルジが語った。

8世紀ごろ、ブータンの王様(といってもこのころにブータンという国はなかったので、ブータン地域のある王様)が戦争に負けた。

(余談:遠い昔の歴史って多くが戦争に関連してだなあと思う。戦争なんて、人間の歴史のほんの一面でしかないと思うのだけど。その戦争と戦争の間には、平和な時代があっただろうに、そういうものはあまり歴史として残らない。むしろ、歴史上の空白の時代とさえなりかねない。戦争があればあるほど、その時代は克明に歴史に残っていく。昔になればなるほど。現代が遠い過去になった時、未来の歴史学者はやはり今を戦争の視点で語るんだろうか。それでは語りきれない多くの国の多くの出来事はやはり埋もれていってしまうんだろうか)

戦争に負けたその王様は、怒りのあまり多くの寺院を破壊した(この場合の寺院は仏教ではなく土着の神を祭ったもの)。そのため、王はその土地の神の怒りをかい呪いの病におかされてしまった。どうしても呪いをとくことができない王は、インドで有名だった仏教僧グルリン・ポチェをブータン地域に招待した(彼の名前の発音はいろいろある。”グルリン・ポチェ”はドルジの言葉を僕が聞いたそのままの表現)。ポチェと土地の神々との戦いにはこれまたいろいろと信じられないような物語があるのだが、それは割愛して、とにかくインドからブータンへ仏教が伝わったのはそういう経緯。

伝道師や軍隊が積極的に広めに来たキリスト教やイスラム教とは違い、(少なくとも伝説上は)、仏教は招かれてやってきたようだ。グルリン・ポチェは殆ど神格化して、ブータンのあらゆるところで見ることができる。

日本に帰ったら仏教の本(特に仏像に関する本)を読もうと思った。
後日談だが、今現在仏教関連の本は一冊読んで、買ったもう一冊はまだ読んでいない。この続かない性格がよろしくない。

ブータンのお寺に多く見られる『六道理念図』というものがある。これにすごく興味というか納得というか、昔の人ってよく考えるなあと思った。
円の中に天界、阿修羅界、動物界、地獄界、餓鬼界そして人間界が描かれている。隣り合っているそれぞれの世界はそれぞれの事情で対立している。輪廻転生をとくチベット仏教では、死ねば次は別の世界に生まれる。いつまでも、ぐるぐると。そこから脱出することがチベット仏教の目的だ。ここであえてチベット仏教と言っているのは、中国の仏教には輪廻転生の思想がない(薄い)。だから中国の仏教では生きている間に楽しもうという思想が自然に出てくるのだろう。

六道理念図のように、宗教の思想を目で見えるようにしたり体の動きで表したりしたものを密教と呼ぶ。
中国や日本から見れば、チベット仏教は密教。言葉からして既に異端扱いだ。

車の中で、最初は窓際に座っていたが、眠くなると窓にばったんばったん頭をぶつける。このままでは、旅の終わりには窓か頭のどちらかがおかしくなってしまうため、車の位置を真ん中にした。

今回の旅では、ずっとスメハチで写真を撮ろうというのが一つのテーマではあったけど、雨季のブータンはなかなか青空がのぞかない。
青空が得意のスメハチには辛い環境。
そんな言い訳の元、一眼レフを多用するようになってきてしまった。
(後日談だが、やっぱりスメハチで撮った写真は素晴らしかった!もっと撮っておけばよかったと今更ながら反省。でも、なかなか勇気のいることですよね)
そういえば、雲の下は曇りという言葉があった。

ブータンのお寺の中は、僕の母方のおばあちゃんの家のにおいが強くする。

そうこうしている間に、ブータンに来て初めての青空が文字通り輝いた。
雲の下でも「晴れ」と言えることはある。

プール

2009年09月19日 | Weblog
プールという映画を観た。

前に観たカモメ食堂と俳優、設定が似すぎてるから(主人公と脇役は一緒でカモメはフィンランド、プールはタイ)だから同じ監督かと思ったけれど全く別の監督、スタッフなんだとスタッフロールで知った。

なんだか、余分なものは全てそぎ取って、できる限り登場人物の背景や気持ちは観客に想像させようって意図の映画で、そういう点では観終わった後の印象は静か。その後、パンフレットを読んだら制作側の意図が書いてあって、そこまで伝えようとしてたのか、それはさすがに説明不足…と苦笑い。

でも一番盛り上がるところではちょっと胸が痛くなるようなおもーいくるしーい気持ちに。人事だけど人事じゃないような。

一緒に観た母親は、こういうあまり語らないさっぱりした映画は好きと言っていた。
余りに語らなさすぎて若干消化不良の僕としては母の機嫌の良さが少し悔しかった。

VQ1015と苗場山

2009年09月15日 | Weblog
先日、会社の登山部の企画に便乗して長野県の苗場山というところに登山に行った。久しぶりの登山。レベルは中級くらいだそうだ。

買ったばかりのトイデジカメ、VQ1015を初めて使った日でもあった。
これまで使っていたフィルムカメラ、Smena8M(スメハチ)よりももっと簡単なつくり。
デジカメとは思えない、機能のチープさ。
撮った写真をその場で見れないのはもちろん、ファインダーもスメハチ以上に信用できないテキトーさなので、とにかくきれいだと思ったものを直感で撮った。
途中、付属のキーホルダーが早速壊れてカメラが起動できなくなった(このカメラはキーホルダーを引っ張ってケースを開ける)が、なんとか軽く修理。こういう手のかかる部分も含めて好きな人は好きなんだろう。

で、今その写真を初めて見てみた。
みた瞬間、おーと歓声があがった(一人で)。
色が面白い。
構図も面白い。
けっこう、狙ったのとは違う構図、アングルになっている(狙ったものが写真内に入っていない…)けど、まあ結果オーライのもいくつか。

いやいや、まずはちゃんと撮れていたという事がうれしい。
スメハチ共々長い付き合いになればいいなと思う。

ちなみに写真は下のURL(Frickr)にアップしてあります。
http://www.flickr.com/photos/27366893@N04/

好きになる法則

2009年09月14日 | Weblog
昨日登山に行き、帰りの渋滞に行き詰まる車の中でランダムにいろいろな曲を聴いていた。その中で一つだけYUIの曲だけ耳に残りまたアルバムを聴いてみたいと思った。

カタール赴任中、ギターが好きな先輩がYUIのギターと歌と声が好きで勧めてくれた。
すぐに最初のアルバムが好きになった。でも二つ目のアルバムはあまり好きになれなかった。先輩は二つ目の方がいいといっていたけど。そういうことってよくある。なぜかすっとすぐに気に入るアルバム。世間(メディア)の評判に流されて聴いてみてもなかなか何度も聴いてみたいと思えないアルバム。アーティストやジャンルに限らず。音楽だけじゃないけど。

その人それぞれの好きになる法則がつかめればもっといいアルバムにもっとたくさん出会えるだろうか。もっと生きやすくなるだろうか。それとも逆に出会いが少なくなってしまうだろうか。

スカイ・クロラ

2009年09月12日 | Weblog
『スカイ・クロラ』というアニメ映画を借りて観た。動機は昔読んだ森博嗣の小説が原作だったから。観終わって、そのあと自動的に流れるメインメニュー画面の映像と音楽を聴きながらすごくいい作品だったんだなと思った。原作の小説より映画の方がいいと思うのは珍しいと思う。

戦闘飛行機乗りの話だ。後半で一気に語られる戦争が終わらない理由は、森博嗣の独特の考えとメッセージだろう。どこまでも悲しい物語だけど、映像と音楽と登場人物のセリフの少なさが透明でどこまでも青い空と白い雲と飛行機のきれいなイメージを残してくれる。本当に空と雲と飛行機がきれい。小説では描ききれないところ。小説では戦闘シーンが長くて途中でうんざりした記憶がある。

監督は押井守。
スタッフロールで声優に竹中直人や菊地凛子、栗山千明、主題歌が絢香だったりと意外にすごい人ばかりだと知って驚いた。
こういう大人向けでもアニメってこんなにきれいに見せてくれるものかと感心。感激。

日本より

2009年09月10日 | Weblog
日本に帰ってきてからずっと更新していなかったのはネット環境がなかったからだ。正確な意味で帰任したのが8月中旬なのでもう3週間になる。その間一度だけマンガ喫茶から更新したが、どうもあそこに長くいる精神的余裕と忍耐がなくて本当に必要なときにしか行っていない。そして、本当に必要なときは大体においてブログを書いているときではないのだ。

文体が何か回りくどく感じるのはたぶん今読んでいる本が村上春樹だからだ。『走ることについて語るとき僕が語ること』という本。みんなそうかもしれないが、僕はそのとき読んでいる本の文体によくに影響される。馳星周、田中芳樹、吉川英治、司馬遼太郎、北方謙三、森博嗣など。まあ、影響されても文章の力は変わらないんだけど。

ちなみに上述の本は、某ランニング雑誌に掲載されていた「ランナーの選ぶ本」の読者投票で断トツのベストワンとして紹介されていた。書名の通り、著者村上春樹が市民ランナーとして自分自身の考えをつらつらと書いているのだが、一流の作家が走ることについて語るとここまでうまく書けるのかと感心している。しばらくは無理だろうけど、これくらいのレベルの物書きが短距離をやりこんで10秒前半くらいになったら同じような本を書いてほしい。なぜ走るのか、走ることについてどう考えているのか、そしてなぜ速く走りたいのか。きっと僕たちが言いたくてもうまく言葉にできないもやもやをクリアにしてくれるだろう。

カタールからの帰りに香港に寄った。二泊三日の短い観光だったけど、今回初めて全ての写真をフィルムトイカメラのスメハチで撮った。ブータン旅行中、全てスメハチで撮ると目標を立てたものの、雨期のブータンと晴れが大好きなスメハチの相性が合わず途中で断念してデジカメに切り替えた経緯がある。しかし、スメハチで撮った写真があまりに僕好みでうれしくなったため、香港では全てスメハチ。日本に帰ってきてからもいつもスメハチで撮っている。撮ってもすぐに写真が確認できないことと、大体において予想道理の絵にならないことが、ある種のゲーム感覚やわくわく感、どきどき感をともないのがいいのかもしれない。小さいときに初めて持ったカメラ、写ルンですでとにかく面白そうなものを撮っていた、あの純粋にカメラを楽しむ感じに近いのかもしれない。

そんな折りに横浜では初めて行ったヴィレッジヴァンガードで見つけた小さなトイデジカメが気に入っていろいろシミュレーションした結果数日後に買ってしまった。VQ1015classicというカメラ。撮った写真を確認できず、写りもトイカメラっぽいチープさ。さんざんフィルムカメラがいいと上述しておいて結局デジカメかとも思うけれど、まあ、僕はカメラというより写真というより、いろいろな意味できれいなものを作りたい&撮りたいというのがもともとの動機なので。という言い訳。早くあのカメラで撮ってみたい。