キャラバン サライ

夢は大空へ、努力は足元で、世界に目を向けながら足元から子供たちを見直していきたいと思っています。

ハイローズを歌った

2006年01月31日 | Weblog
前にも書いたけれど、ハイローズが活動を停止した。
別にハイローズ一筋のファンじゃないけど、いろいろ思うところがある。
なので、この前カラオケでハイローズをたくさん歌った。

高校のとき、ハイローズ狂いの友達がいてカラオケに行くとひたすらハイローズを歌っていた。
あのボーカルのだみ声や叫び、ちょっと音をはずす歌い方を研究していたようだ。
でも、聞いてるほうは退屈だった。
有名な曲は少ないし、歌詞は同じフレーズの繰り返しが多い。
詩には特に意味のある物語もなく、衝動のまま書き連ねたようなようだ。
退屈だったが、友達が歌うのを何度も聞いているうちに覚えてしまった。

それで、今になってハイローズを歌って思った。
すごく気持ちいい。楽しい。熱い。
最近の歌のような耳にタコの恋愛の歌はほとんどない。
やっぱり特に意味のあるとは思えない歌詞を叫ぶと、夢中で歌ってしまう。
音をはずしても、裏返っても、熱い。
なんか、ロックを歌っているって思える。
ハイローズは聴くより歌え。

甘い考え

2006年01月30日 | Weblog
タウン唐山というアパートに住んでいる。
3月に引き払うので、大家が部屋をチェックしに来ると電話で約束した。
約束は日曜の午前10時。
ただのチェックといえど一応客が来るということで、その日は朝から部屋の掃除をした。
10時前にはいつでも来いという状態でいた。
でも、大家は来ない。
10時半になっても11時になっても来ない。
忘れてるのか、と思って電話をすると、携帯電話に転送された。
携帯電話に出た大家は外出中らしく、周りが騒がしい。
「あの、10時にうちに来ていただくことになっていたのですが・・・」
と言うと、
「それが、用事が終わらなくなって行けなくなっちゃったの。ごめんなさいね」
とさらっと言われた。
その後、
「また来週電話するわ」
と言って一方的にきられた。

さすがに腹が立った。
腹が立ったし、驚いた。
忘れていたならまだしも、覚えていて無視しようとしていた。
行けなくなったのなら、それが分かった時点で連絡するのが当然だ。
こっちは日曜の午前中をつぶして待っていたのに。
この常識のない人は何だ。
仮にも家主を商売としているのに、その意識が全くない。
社会人としての自覚が全くない。
甘い。甘甘。

甘い考えの人は嫌いだ。
ともすれば、自分が甘い考えに流されてしまうので、気をつけよう。
この大家は社会をなめている。
佐藤、気をつけろ。

旅の日常

2006年01月27日 | Weblog
久しぶりにインドの写真を見ていた。
どれも思い出のある場面だったが、思わず手を止めてしまったのがこの写真だ。

何のこともない写真だ。
アーグラー(タージマハルがあることで有名)という町の宿の屋上。
インドの宿によくあるように屋上がレストランになっている。
そこから見た夕日がきれいだったから、食事を待っているときに撮った写真。

この写真を見て、一気にあのときの気持ちがグワっと胸に来た。胸がつまりそうだった。
写真に外国人が写っている。笑うこともなく、楽しそうでもない。
左の男は一人だ。
右の男女はそれぞれ日記をつけている。
淡々とした旅の日常。

目的もなく行きたいところにいく。見たいものを見る。
疲れると、食堂を探す。
そのほとんどが一人。
からからに乾いた町を、迷路のような路地を、真っ暗な町の深部を、ひたすら歩いた。
インド人と一緒にいるときも、一人だった。
そして、暗くなると宿に戻る。
旅人に慣れたインド人と少し談笑する。
屋上で食事を注文しながら、今日の出来事を思い出したり明日のことを考える。
一日で一番ほっとできる時間。
それがこの写真に写っていた。

旅といっても冒険ばかりではない。
日本とは全く違う、非現実的な環境、習慣、人々の中で、
やはり日本と同じように淡々と日々を過ごす。
何にも縛られず、その日にやれることをして、また明日を夢見る。
それが旅だと思う。
この写真は、旅の冒険談に浮かれていた僕にそれを思い出させてくれた。


やさしい言葉

2006年01月26日 | Weblog
今、研究室の先輩が僕の肩をぽんと叩いて
「あんまりがんばらなくていいよ」
と言って帰っていった。

今はもう周りに誰もいない。
なんか、さっきの言葉が妙にうれしかった。
別に無理をしてるわけじゃないけど、やさしい言葉をかけられただけでこんなにうれしいなんて。

スメハチ2 ~メカニカル編~

2006年01月26日 | Weblog
スメ8のメカニカルな部分について。

とにかく単純だ。
僕が一番好きなところは電池を使わないこと。
全て手動。撮る前にレバーを引いてバネを蓄え、その力でシャッターを切る。
シャッターを切ったときの、バネが戻るなんとも安っぽい音が好きだ。
デジカメや今の一眼レフカメラの全て電子制御とは大違いだ。

フィルムを送るのも手動。
だから失敗が多い。
つい急いでいると、フィルムを送るのを忘れてまた同じところで撮ってしまう。
すると、二つの景色が1枚の写真になる。
失敗だけど、面白い写真になることもある。わけ分からなくなることもある。
青い空を撮って、フィルムを送らずに違う景色を撮ると、全体に青っぽい景色になる。
ちょっと裏技ちっく。

絞りとシャッタースピードはマニュアル操作。
この辺になってくると、カメラを知ってる人じゃないと分かりにくいと思う。
スメ8はなぜか絞りを固定にすることを推奨されている。
ピントが大雑把なために被写界深度を深くするためだろうが、そんなの無視してバックをぼかしたい時や室内なんかは、絞りもいじる。でも、やっぱり暗いところではきれいに写らない。

シャッタースピードは面白くて、数字じゃなくてお天気マークで示してある。
太陽マークや雲マークにあわせるだけなので非常に便利。
しかも、これがなかなかのもので、本当に適正露出であることが多い。
バネが戻る力だけでどうしてちゃんとシャッタースピードを制御できるのか不思議だ。
ちゃんと、裏にはシャッタースピードの具体的な数字も載っているが、ほとんどそちらは見ずに、今は晴れているから太陽マーク・・・という具合で撮っている。
なんか、天気で判断するほうがこのカメラには合っている気がする。


もう一つ、スメ8ではないがトイカメラですごいと思ったのが、カメラの後ろにちょっとした部品をつけるだけでポラロイドカメラになる製品があるということ。
このカメラは、設計上全くそんなことを想定して作られていない。
でも、作りがあまりに単純だから、ちょっとした部品をつけるだけでポラロイド化できるのだ。
現代の複雑なカメラではそうはいかない。
それ以外にも、単純さゆえにいろんな工夫、改造の余地があるのがうれしい。

今、自分が何枚撮ったのかを知るためのカウンターは当てにならない。
説明書には「最新式の超チープなカウンターです」とある。
確かにこんな簡単な構造でカウンターを作る工夫はすごいと思うけど。

日本のカメラでは考えられないが、スメ8は全身プラスティックでできている。だから軽い。
まるで、使い捨てカメラ。
でも、そのチープなプラスティックボディのせいで思いもよらないところから光が入り、また面白くしてくれる。

ずいぶん長く書いた。スメ8について書いていると飽きない。
フィルムなのでHPに載せづらいのが残念。一人で楽しむか・・

坂ダッシュ

2006年01月26日 | Weblog
今日、冬季最後の坂ダッシュをした。
冬季最後ということは人生最後ということ。
現役部員に対して言いたい。
やった~~いいだろ~。

よくもこんな坂を4年間走ってきたと思う。
1年の冬はみんなと競り合って、すごい熱い練習だった。
そのせいで、坂の日は気持ちが重たかった。
でも、だんだん感覚が麻痺してきて、今では特にどうと思わない。

最後のロング、練習で最も追い込めるコース。
前はロングのゴールで悶絶して、みんながグランドに帰ったあとも、ずっと倒れていた。
倒れてもがいて呻いていた。きっと、短距離なら誰もが経験あると思う。
でも、今はケツ割れしながらも動ける。
そこまで追い込めなくなった。

今日、最後のロング。
絶対に勝とうと思った。
でも、中山に先行され追いつけず、最後はカノにも抜かれた。
1年生の2人に負けたことは悔しい。
でも、なんか今の1年は僕らの代に似ていると思った。

終わった今だから言える。
名大の坂よ、永久に。

怪我

2006年01月26日 | Weblog
先週の金曜の練習で右足首を痛めた。
すぐに治ると思ったけど、なかなか治らない。
今日、原因が分かった。
右足の親指つけねに霜焼けがある。
それが痛い。
だから、体重を知らず知らずのうちに外にかけていた。
そんな状態で走ったのが原因だと思う。
今日、久々に走った。
まだ痛い。

スメハチ~トイカメラ~

2006年01月25日 | Weblog
トイカメラを買った。
その名の通り、おもちゃのカメラ。
ロシア製(正確にはソ連製)。
写真を撮るための必要最小限の要素だけを持ち、できる限り安く作ったカメラ。
おもちゃといっても、大真面目。でも超チープに作ってあるから楽しい。
「単純」がキーワードだ。できうる限り単純。
名前は「SMENA 8M」。スメ8と略すらしい。

今のカメラはきれいに撮れるように様々な機能がついている。
ここでいう「きれいに撮れる」というのは、失敗しないということ。
カメラが被写体との距離、明るさ、色、周りの状況などを瞬時に読み取って、緻密な計算の結果弾き出された解答にしたがって、写真が撮られる。
写真を撮らせられる。
何から何までカメラにアドバイスしてもらって、僕達はシャッターボタンを押す。

スメ8にはそんな機能はない。
僕の感覚としては、カメラと一緒に撮る。
僕が失敗することもあれば、カメラが失敗することもある。
だから、失敗だらけ。
失敗のたびにスメ8の前でどうして失敗したのかを考える。
いつも一緒にいる感じ。

完璧な写真は撮れない。
でも、このカメラにしかできない色、アングル、コントラスト、ハプニングがある。
おっと思った景色は、このカメラで撮ったらどんな風に写るのか気になる。
初めてカメラを持ったときのわくわくした興奮がある。
初めてのカメラは、このカメラと似たような使い捨てカメラだった。
あれも、必要最小限の機能しかない。

こいつは、晴れた日が得意だ。空を撮るとすさまじい。

野宿

2006年01月24日 | Weblog
初めて野宿をしたのが自転車で京都へ行ったときだった。

京都からの帰り道、山を一つ残したところで、夕方になった。
山の中で日が暮れたら真っ暗になっておしまいだ~と思って、川原で野宿することにした。
周りは山に囲まれていて、川を越えたところに小さな町がある。
それ以外は、真っ暗闇。学校で行った野外合宿みたいなところだった。
覚えているのは、ただただ寒かったことだけ。
川原はあまりに寒く、動物も怖かったため途中で道端にあった自販機の前で寝る事にした。
それでも寒い。雪がまだ残っている。
自販機に触ってあったまろうとしたが(当たり前だけど)冷たかった。
人生でこれほど凍えたことはなかった。
本当に死ぬと思った。
不安で心細くて、ちょっとした物音に反応した。
長い長い夜だった。
結局一睡もできなかった。
周りが薄明るくなったとき、朝陽が見えたとき、100人力の心強さだった。
人々が朝陽を拝む気持ちがわかる。
もう、絶対に野宿はしないと心に固く誓った。

それ以来、どこかに旅をすると平気で野宿ができるようになった。

京都自転車

2006年01月24日 | Weblog
高校を卒業して大学に入学するまでの期間で京都へ自転車で行ったことがある。

朝、走り始めたとき京都へ行くつもりはなかった。
ただ、「一日で行けるところまで行こう」ということだけ決めていた。

今ではどの道を走ったかもよく覚えていないが、一つだけ忘れられない道がある。
高い山を越えていた時。
雪が降ったあとで、道が雪に覆われていた。
『車両通行止め』の看板を見ても、自転車なら大丈夫だろうと安易な気持ちで進んでいった。
誰もいない。どこまででも静かな道だった。道路はあって、トンネルや標識といった人工的物はあるのに、人の気配が全くしない。異常な世界に見えた。心が苦しく感じた。胸が締め付けられるように心細かった。
気持ちが焦って、坂道を自転車で勢いよく下り、滑って、雪の中に投げ出された。
そんな、僕にとっては異常な一人ぼっちの山道が何時間も続いた。

最後は無心で走り続けていたように思う。
どこまでも続く道と、月と、ネオンランプを覚えている。
夜中になって京都に着いた。

教授のゴミ箱

2006年01月24日 | Weblog
僕の研究室は毎週の発表前に掃除をする。
そのときに教授や助教授が使うゴミ箱を見てうんざりする。
ゴミの山。
ほとんどが弁当の容器。
これが全部不燃ごみとして捨てられる。

僕たち学生は大体学食へ行くのでここまでゴミは出ない。
先生では学食に行きづらいというのもあるのだろうけど、ここまでゴミが溢れているのはどうかと思う。

学会や論文、授業では散々「環境があぶない」とか「環境のために研究している」とか言っているのに、その本人が実生活の中でできるだけゴミを出さないように、くらいの心がけができないなんて、どうしても口だけっていう気がしてしまう。

僕たち学生だって同じだ。大学生でしかも工学部っていったら耳にタコのように環境問題は聞かされている。ほとんどの卒論の序章には環境問題についての記述がある。そんな最前線の僕たちは大量のエネルギーを使うし、たくさんのゴミも捨てる。エネルギーの枯渇を叫ぶ一方で燃費の悪いスポーツカーに乗る。結局口だけだ。

いくら環境保全のための研究をしても、実生活が悪ければだめだと思う。研究より勉強よりまずはゴミ箱の中身から。

数字とグラフ

2006年01月22日 | Weblog
木を見て森を見ない ということわざがあるが、それに似た格言。

数字を見てグラフを見ない

研究中、データ処理をする。コンピュータがはじき出した膨大な数字の羅列をグラフにして、それがどんな意味を持っているのか(増えているかとか収束していくかとか)を判断する。でも、グラフにするのを面倒くさがって、数字の羅列だけを眺めて、増えてるな~とか判断してしまうことがある。でも、それはほんの一部の数列だけから判断したのかもしれないし、増え方だってわからない。そうすると、先入観から自分の都合のいい解釈をしてしまいがち。

グラフというのは全体の傾向をつかむのに役立つ。大切。

桃巌寺のお婆さん

2006年01月22日 | Weblog
地下鉄本山駅から名大へ向かう途中の坂に桃巌寺というお寺がある。
そこの大仏を眺めていると、お参りに来ていたお婆さんに声をかけられ、案内をしてもらった。寺の案内に加えてお婆さんの若いころの話し、現在の話、果ては娘の自慢話が続いた。

これがインドだったら最後にガイド料を必ず要求されるものだが、そんな心配をしなくていいというは日本がある意味で成熟しきっているということだと思う。成熟しきって今は停滞しているのかもしれない。そんなとき、人々はとてものんびり、穏和に見える。北欧のように。インドは上り調子だから激しい。

足腰を鍛えないかんよ。足腰が丈夫なら年取ってからでも、何でもできる。
そう言うお婆さんは、バレーやテコンドーをして元気だ。今はフラダンス。

親孝行しないかんよ。一年に一度でいい。ハンカチの一枚でもあげたらそれこそ近所中に自慢するだろうから。
そう言うお婆さんは、20年前に娘に買ってもらったコートを今でも着ている。娘さんは初ボーナス全てを使って松坂屋ストアにある一番高いコートを買ってくれたそうだ。

僕の母親が近所中に自慢するとは思えないけれど、何を買おうかふと考えた。

キャッチボール

2006年01月18日 | Weblog
僕に子供ができたら、それが男でも女でも、一緒にキャッチボールをしたい。
できれば親子3人で。

キャッチボールで会話をするというが、そんな感じが好きだ。
本当に会話なんてできないけど、お互いがボールを投げ合っているときは、気持ちがつながっている気がする。

クリスマスのプレゼントに彼女にグローブをあげた。
彼女は肩が強い。
ずいぶん、気持ちがつながってきた気がする。

フリーーダーーーーーム!!

2006年01月18日 | Weblog
「自由ーー!!」

『ブレイブハート』の主人公ウォレスはそう叫びながら処刑された。
僕の最も好きな映画だ。メルギブソン主演。

史実をもとにした映画だ。舞台はスコットランド。ウォレスはイギリス軍に村を襲われ恋人を殺されたことで、怒り狂う。スコットランドをイギリスから独立させようと、人々を率いて命をかけた戦いを始める。

どこまでも続く静かな草原、バグパイプの音色、スコットランド人の荒々しくも明るい気質、そして自由を求めて戦う戦士達。

僕らが暮らしているこの国では自由(本当の自由がどんなものかは置いといて、ここでは一般的な自由)というのは当たり前すぎる前提条件だ。そんな自由のために命を賭ける、そして多くは死んでいく、そんな自由を渇望する気持ちがずしんとくる。自由ってそんなに大切なことなのかな。そんな根本的な疑問が重たくなる。

「自由ーー!!」
そう叫んで死んでいったウォレスはその後のスコットランドを変えた。