キャラバン サライ

夢は大空へ、努力は足元で、世界に目を向けながら足元から子供たちを見直していきたいと思っています。

健康診断再び

2010年03月31日 | Weblog
いつもと少し違うテンションで日記風に書いてみます。


昨日の午後、担当者から電話がかかってきた。
「明日、健康診断です。
朝、4:30に迎えに行きます。」

そんな、前日に突然言われても…
というより、朝の4時半って…

かなり憤りを覚えたが、問答無用な感じ。

夜に目覚ましをかけ忘れたにもかかわらず、今朝奇跡的に(突発的に)4時半に目が覚めた。
本当に迎えに来た車で一路ドーハへ。
それにしても朝の6時受付開始の病院って、どんだけ~?(死語

ちょうど一緒に来た日本人の名前もAtsushiで、看護師が混乱。
名前が同じということ以上に発音できないから混乱していたようにも見えたが。
インド人の使う言葉の多くには日本語の「つ」の発音がないそうだ。
だからってアチュシって…

次はこっちだとおいでおいでをされる。
部屋に入ったと思った途端、腕を掴まれ、消毒液でさっとふいて、前置きもなく針でプスッ。
前動作のタメがない分、こちらもぐっと堪えるタイミングを逸し、逆にリラックスしていいのかも。
いやいや、あちらのペースにだまされてはいけない。
そう思っている間にすぐに針が抜かれ、絆創膏を渡され、おしまい。
その間、先生との会話はゼロ。
笑顔もゼロ。

今度は血液型を調べるために別の病院へ移動。
えっ?さっきの採血じゃいけないの?
また血を採るの?
その辺のシステムがよくわからない。
というか、血液型なら知ってるし。

小さな建物の2階にあるさらに小さな診療所のようなところ。
その診療所の隅のほうに座らされ、5mmくらいの針を中指の腹にちくり。
い~~でっ!!
これが意外と痛かった。
ガラスのプレートに何箇所か指から出る血をつけておしまい。

待合室で待っていると、また名前を呼ばれた。
「アチュシ、 ユー、アゲイン!」

えっ
失敗!?
この検査に失敗なんてあるんだ…。

そしてまた指から血を絞り出される…。
イテテテ。

「あなたの血液はO型です。」
だから知ってるって…

意外と早く終わったため、現場に戻る途中の町に新しく出来たマクドナルドに寄った。
日本ではマックのポテトなんて美味しいと思わない、むしろ多すぎて残してしまうくらいのものだけど、久々に食べたマックのポテトは塩味がきいていておいしかった。
それでも、最後はやっぱり多かったけど。

健康診断自体は痛いしあまり好きではないけど、平日に町に出られるというのはいい気分転換だ。

スピッツのコンセプトCD

2010年03月27日 | Weblog
スピッツをぜひ聴いてみてほしい人がいて、とっつきやすいCDを作ろうと思い、選曲のドラフトをしてみた。
コンセプトは、
1.シングル曲を入れない(彼は有名どころは知っていそうだから)
2.できるだけ多くのアルバムから選曲する(いろんな年代のスピッツを聴いてみてほしい)

曲順は年代による特徴も面白さの一つなので、古い順としてみた。
括弧内は収録アルバム。


ニノウデの世界    (スピッツ)
名前をつけてやる   (名前をつけてやる)
ナイフ        (オーロラになれなかった人のために)
たまご        (空の飛び方)
君と暮らせたら    (ハチミツ)
ナナへの気持ち    (インディゴ地平線)
フェイクファー    (フェイクファー)
猫になりたい     (花鳥風月)
8823         (ハヤブサ)
夜を駆ける      (三日月ロック)
海を見に行こう    (三日月ロック)
ガーベラ       (三日月ロック)
稲穂         (色色衣)
魚          (色色衣)
ネズミの進化     (さざなみCD)


以上、15曲。
初期の童謡っぽい歌から静かな曲、ギターのきれいな素朴な曲、かっこいい曲、変り種な曲まで幅広いスピッツの曲を入れてみた。

このために改めてスピッツを全曲聴きなおしてみたけど、やっぱりどこを探してもスピッツのようなアーティストはいないなと思った(誰一人として同じアーティストはいないんだろうけど)。
数知れない驚くほど気持ちのいいメローディー、声、曲の幅広さ、歌詞のおしつけがましくない面白さ、そして20年近くやってきてまだコンスタントに高品質のアルバムを出し続けていること。

まだまだスピッツを聴き続けていきたいし、スピッツを好きな人がいたら一緒に話せるのでうれしい。

特別なカメラ IXY 900IS

2010年03月26日 | Weblog
写真を撮ることが好きだ。
自然とカメラにも興味が湧く。
これまでいろいろなタイプのカメラを使ってみた。
でも、今使っているコンパクトデジタルカメラはちょっと特別。
なにしろ、同じカメラを3回買いなおしている。

キャノンのIXY 900IS。
何がいいかって、他のIXYよりも広角なレンズが付いていること(今は他のIXYや他メーカーでも広角レンズが当たり前のようにつけられているが、900ISが出た当時は珍しかた)。

もともとIXYはデザインがすごく好きで、持ち歩き用のデジカメとして欲しいなと思っていた。
そんなとき、900ISを店頭で見つけ一目惚れ。
ちょうど購入後に海外へ出張の機会が増え、町歩きではいつもこのカメラをポケットに入れていた。

しかし、冬のアメリカ出張中、このカメラを落とす。
いろいろ探したが雪で覆われた町では見つけられず。
代わりの持ち歩き用デジカメが必要だったが900ISで不満があったわけではないので同じものを購入した。

カタール赴任中はこのカメラが大活躍。
現場の仕事では何かあればとにかく写真をとって証拠を残す。
しかし、ここでもこのカメラをバスの中で落として失くしてしまう。
一時帰国までの間、このカメラがなくて不便だというより心細くて落ち着かなくて寂しかった。

一時帰国中に迷わず同じカメラを購入。
最初に買ったときから1年以上がたっていたので上位のモデルも出ていたが、どうしてか900ISに愛着があった。
そして、今もそれを使っている。
現場での酷使のためか、ボディは傷だらけ、既に液晶に2箇所くらい写らない部分ができてしまったがまだ買いなおそうとは思わない。

一眼レフカメラは、買いなおすたびに違うメーカー、新しいモデルを買ってしまう。
なかなか一つのメーカー一つのモデルに強い愛着を持ったことはない(個々のカメラは好きだったけれど)。
その中で、このIXY 900ISはちょっと変わった相棒。

ちなみに、IXYシリーズは今では非常に多くのモデルが売り出されているが、意外にも900ISを選んで使っている人が知り合いに多いことが最近わかってきて、なにかうれしい。

思い出の靴

2010年03月26日 | Weblog
いろいろ悩んでけっこうなお金を出してえいっって買ったものよりも、何気なく買ったそんなに高価でないものが自分としてヒット商品だということがある。

そのうちの一つが今使っているスリッパ。
スリッパなんだけど、かかとがついているタイプで歩いていても簡単には脱げない。
また、足を覆うところが弾力性のある素材なため履き心地がいい。

新入社員のときに社内で履くように買って(たしか横浜のABCマート)、社内はもとよりカタールでもずっと使ってかれこれ4年近くになる。
毎日多くの時間履いている靴で4年使ったものはこれまでにない。

これまでで記憶に残っている当たりだと思った靴は、高校の頃に履いていた赤のコンバースや同じく高校の陸上部で履いていたアシックスの少し変わったオレンジ色のラインの入ったランニングシューズがある。

靴ってただの消耗品以上に愛着がわいて、できれば好きな靴はとっておきたい。
ガラスケースに入れて並べたら意外ときれいで味があるかもしれない。
でも、多くの好きだった靴はもう捨ててしまった。
今は頭の中で思い浮かべることしか出来ない。
思い浮かべるとき、一緒にそのときの自分の様子とか靴と一緒に何をしていたのかも蘇る。
あの靴のあの部分が擦り切れていた理由、とか。

みゆき

2010年03月22日 | Weblog
あだち充のみゆきを読んだ。
これまで、アニメで少し、漫画でもさわりの部分だけは読んだことがあったけど、最後まで通して読むのは初めて。
兄と妹、兄の恋人の三角関係を描く話くらいにしか思っていなかったけど、いや、実際その通りなんだけど、我ながらこんなにも楽しくて感動するとは思わなかった。

特に、いつもはだらしなくて不器用な兄のたまに見せる優しさ、それに対して喜びを少しだけ見せる妹の構図がなぜかすごく心を優しく、暖かく、うれしくする。
スポーツもの以外でもこんなにもツボを抑えているんだな、あだち充すごい。

これまで、1番好きな漫画はH2、2番目はラフだと思っていたけど、みゆきもかなりいい。
スポーツ漫画以外でこんなに感動して好きになった漫画はないんじゃないか。

特に最終話はあだち充にしては意外に大人な終わり方でまた感動。

一神教と多神教

2010年03月20日 | Weblog
1年くらい前に相方と科学の求めるところについて議論をしたことがある。

文系出身の相方と理系出身の僕とでは意見が大きく異なった。
自然科学において、ある現象について探求していった結果、そのアプローチが化学的であっても物理学的であっても生物学的でも量子論的でも相対論的でもいずれにせよ最終的に行き着く答えは1つであるはずというのが僕の意見。
それに対して、それぞれがそれぞれの真実をもっていていいというのが相方の意見。
そのときはお互いの意見をぶつけ合っただけで納得するところまでは議論が進まなかった。


昨日、あるキリスト教の人と宗教について話をした。
僕の立場としては半分仏教、半分神道。
一神教であるキリスト教と多神教である仏教、神道では当然ながら議論は平行線。
山や森にも神が宿っているとする神道に対しては、その山や森を作った何かが存在するはずで、それが唯一の神であるとやり返される。

僕は神道を勉強したわけではないのでえらそうなことは言えないけど、僕からしてみたらキリスト教の神もイスラムの神もユダヤの神もたぶん同じ概念で、神道にある天照大神とも同じ概念を共有していると思う。
多神教の文化は他の多神教や一神教の文化を含むことが出来るのではないか。
ヒンドゥー教の神の中に仏教の神が出てくるように。
でも、一神教の文化は多神教を受け入れられない。
それどころか、同じ一神教同士でも大きく反発する。

彼は机にあった紙を例にとって
「ここに白い紙がある。これをある人は嘘をついて青だと言うことがある。またある人は赤と言うかもしれない。しかし、だれがどんな嘘を言っても本当は白いという事実は変わらない。だから、我々はこれが白いのだということを言い続け、教え続ける義務がある。」
と力説した。

それを聞いて、なんだか一年前に相方とした議論に似ているなと思った。

答えは一つ。
それを広める義務がある。
そうやって一神教は他国を侵略して教徒を増やしてきた。
それが「白い紙」だという根拠はどこにもないのに、「これは白だ」と最初から決め付けて。

一神教であるユダヤ教からキリスト教が生まれ、その影響を受けてイスラム教が生まれた。
それなのに、これら3つの一神教は絶えず争っている。

ちなみに彼の祖父は昔は土着の多神教のシャーマンのような立場であったそうだ。
しかし、死の間際になって、いろいろな神を崇めるのは間違いだと思い、キリスト教に改宗したそうだ。

自然科学も一つの宗教だと捉えられるのだとしたら、それは一神教なんだろうと思う。

世界室内陸上@カタール

2010年03月16日 | Weblog
「世界室内陸上」という大会がドーハで開かれることを偶然バスの中で先輩から聞いた。
今流行の言い方である世界陸上や世界水泳、世界柔道と同じレベルの大会らしいけど(2年に一度開催)、世界室内陸上という単語はどうもしっくりこない。
英語の"World Athletics Indoor Championships"の方がまだ迫力があるように思う。
主観的な話だけど。

室内陸上という競技自体が身近なものではないが、せっかくなので見に行ってみた。
ネットで調べたところ、今勢いのある江里口匡史選手が出場するらしい。
聞いた話では入場料は300円くらい。
前回の卓球のカタールオープンの経験もあり、かなり気楽な気持ちで向かった。

結果から言うと、入場できなかった。
セキュリティは「チケットなしでは会場には入れない」の一点張り。
しかし、チケット売り場は会場の中にある。
それが外から見ても分かる。
白人やカタール人らしき人たちはなぜかセキュリティに止められずに会場内のチケット売り場に通されている。

それにしても、ここまで人気とは。
黒人選手が強いため応援もジャマイカやケニヤなど黒人が多い。
それに、室内陸上はヨーロッパで人気が高いため、白人も多い。
卓球のときの閑散とした雰囲気をイメージしていったため面食らった。
しかし、あの運営の悪さはなんだ。
係員からの説明もあいまいでひどい。
「とにかく入りたければ列に並べ」と係員が言うので、みんな行儀よくとりあえず並んだ。
しかし、30分くらい過ぎても列は動かない。
その時点で、列の一人が係員に「本当に会場に入れるのか」と聞くと、
係員の答えは「90%の確立で入れる。インシャラー(神のみぞ知る)」
伝統のある世界大会で、仮にもカタールが主幹国を勤めているのに、こんな受け答えがあるだろうか。
その時点で群集の怒りは頂点に達し、セキュリティとの間で一時騒然となったため、これは危ないと思い、入場をあきらめた。

うーん、残念。と思って歩いていると、会場の周りの広場で大会にちなんだイベントが行われていた。
どうやら陸上競技を手軽に体験してみようという企画らしい。
走る、投げる、跳ぶという人間の基礎的な動作。
しかし、日常生活でこの動作を思い切り実践する機会は意外なほど少ない。

せっかくなのでやってみた。
20m走。
運悪くサンダル履きで来てしまっていたが、これだけはなんとか勝った。
これだけは勝ちたかった。
ボール投げ。
あえなく負け。
既に肩が痛い。
立ち幅跳び。
意外に跳べて逆転勝ち。

それよりもなによりも、いろんな国の子供たちが走ったり跳んだり投げたりと、思い切りあそんでいるのが楽しくてうれしかった。
このプチスポーツテストで気分はすっかりよくなった。

日本でもこんな感じでプチスポーツテストができる施設があれば人気がでそうなものだけど。
実はあるのかもしれないけど。

あとで知ったが、この世界室内陸上には劉翔も出ていたそうだ。
うーむ、やっぱり室内陸上というものを見てみたいな。

写真は立ち幅跳びに挑戦する男の子。

電気屋は仕事が遅いほうがいい

2010年03月12日 | Weblog
電気屋は仕事が遅い方がいい。
少なくとも現場では。

電気は目に見えないし、匂いも音もしない。
にもかかわらず、誤って触ると感電。
触らなくても、手順や配線を誤れば爆発。
なんて理不尽な仕事だ。

仕事において、周りの人間はできるだけ作業を早く終わらせるよう電気屋を急かす。
いつでもそう。
ひどいときは、周りが指示を出そうとしたり、実際に手を出そうとする。
相当理解のある人でない限りは、電気屋にゆっくり時間をかけてやっていいよなんて言ってくれない。

そんな環境の中で、まわりがどんなに騒いでも、急かしても、そんなノイズに影響を受けずに、一つ一つの手順を踏み、焦らず、近道せず、あわてず確認して、まるで亀のようにゆっくり作業できる人が電気屋としてのプロフェッショナルなんじゃないかと思うようになった。

そんな、本物のベテラン電気屋に会える事も現場での幸運だと思う。

癒されること

2010年03月12日 | Weblog
現場にある電気室はひろーい空間で音がよく響く。
一日の仕事が終わってたまに一人だけになったときは、ここで鼻歌なんかを歌う。
急にセキュリティが入ってきたときは赤面だけど。
彼はいつもにやにや笑ってこっちを見る。


現場に大きなため池がある。
海が近いからか、どこからか白い鳥が集まってきてぷかぷかその池に浮いている。
そんな人間以外の動物を見ること自体が新鮮だ。
波が浅瀬でぴちゃぴちゃしいるのも場違いのようで面白い。

祖国を遠く離れてずっと家族に会っていない労働者たちが、日中からこのため池の周りに来て鳥や水を眺めている。
確かに、このスポットはこのあたりで一番心が落ち着く場所かもしれない。
そんな彼らを眺めながら、やっぱり僕もあの鳥と水に和んでしまう。

子供と大人の純粋

2010年03月12日 | Weblog
よく、子供は純粋だとか邪がないだとか言うけれどそうなんだろうか。
僕が子供のころを考えると、そうじゃないと思う。

ごまかし、見栄、怠け、言い訳、自慢、嘘、卑怯、いじめ、そんな感情はよっぽど子供のころのほうが持っていたし、実際の行動にも現れていたと思う。
子供が純粋だというならば、それらの感情を疑いなく持っていること、そしてそれをストレートに表に出してしまうことという意味で純粋なのかもしれないけど。

いや、本当の純粋って、やっぱりそういう意味なのかな。
あの感情、行動が人間本来の持ち合わせているものだとしたら。
(純粋:まじりけのないこと)

あと、こういう行動をあからさまに出している大人は子供っぽいなと思ってしまう。
子供っぽいけど、子供と違うのは、この人はもう成長しないのかなって思うこと。
もうこの歳になってもこうならこの人は変わらないのかなって思う。
その人に対してあきらめるともう喧嘩しない。
あきらめきれないと喧嘩する。

僕自身も歳を重ねるごとに、そういうものの嫌らしさをより感じるようになった。
より、敏感になった。
そういう意味では純粋じゃなくなっていっているのかもしれないけど。

見た目の年齢

2010年03月06日 | Weblog
日本人に何歳?と聞かれて26歳と答えると決まって「若いな」と言われる。
多分に「若くていいね」という意味を込めて。


西欧人や中東、インドの人たちに何歳?と聞かれて同じように答えると決まって驚かれる。
「もっと若いかと思った」と言われて。
ひどいときには「10代だと思った」と言われる。

東アジア、東南アジアの顔は概して若く見えるようだ。


西欧人の男の歳を顔から想像して言うと、大体落胆させてしまう。
40歳くらいだろうと言ったら30歳だったりする。

髪の毛は後退しているし、そのくせそこ以外の毛は濃い。
肌にもしわが多い。
人によってはひげがもじゃもじゃ。
よく言えばダンディー、渋い。
だから余分に歳をとっているように見える。


ちなみに、ずいぶんおじさんだと思っていた同僚のインド人が実は僕とほとんど同い年だと最近知った。
あれはショックだ。

Island In The Sun

2010年03月05日 | Weblog
車のラジオで聴いた曲が耳に心地よく、いい曲だと思った。
古きよきアメリカを歌ったような、牧歌的音楽。
一人の休日、心が静かなときはこういうのんびりとして、平和で、そしてどこか懐かしい曲が心にすっと入ってくる。
曲の終わりにDJが”Island In The Sun”という名前を紹介していた。

何か心に留まったので、この曲をネットで調べてみた。
別の歌手がうたった同名の曲のほうが有名なようで、ラジオで聴いた曲はなかなか見つからなかったが、ようやくHarry Belafonteというひとの歌だとわかった。

1950年代から活躍しているアフリカ系アメリカ人のようだ。
スラム街育ちで、アフリカ系の曲がヒットしだすと黒人の人権活動を積極的に行ったいたそうだ。
マイケルジャクソンと協力したりキング牧師と親交があったとか。
Harry Belafonteという人自身にも興味がわいた。

彼の最初の世界的ヒット曲は”Banana Boat”という曲。
アメリカの黒人労働者がバナナを船に積み込むときに歌う労働歌をもとにしたそうだ。
それがすごく聴きたくなった。

僕のバスケット

2010年03月02日 | Weblog
走る走る走る。

バスケットコートを、水銀灯に照らされた青いコートを、右へ左へ右へ左へ、とにかく走る。

それが僕のバスケット。

シュートもドリブルもディフェンスも、どれも相手にはかなわないから、とにかく走る。

へとへとになって、息も絶え絶えで、胸が熱くて苦しくて。

そんなときこそ、また走る。

相手はもう、動けない。

走っているのは僕だけになる。

勝つときも、負けるときも、思い切り走りきれたことだけはうれしくて。



今日、仕事で相手チームのメンバーと関わった。

バスケをしているときとは、ぜんぜん違う関係、立場。

でも、つい彼だからという理由で、時間を割いて、サポートした。

自分でも驚く。仕事に不公平は持ち込まないようにしているのに。



彼は30歳過ぎくらいかと思っていたけれど、本当は40歳過ぎだった。

それじゃあ、走りに持ち込まれたら僕が有利になるわけだ。

だから、そんな彼に負けたくないから、やっぱり僕は走るしかない。

とりあえず、それが僕のバスケット。