キャラバン サライ

夢は大空へ、努力は足元で、世界に目を向けながら足元から子供たちを見直していきたいと思っています。

『初めて考えるときのように』

2010年12月20日 | Weblog
『初めて考えるときのように』という本を読んだ。

「考える」とはどういうことか、ということを考えることから始まる哲学的なお話。
本の内容と全く関係のないかに思われる、でもさわやかで僕好みの挿絵が3ページに1回くらい出てくるかわった本で、ヴィレヴァンで薦めていたので買ってみた。
なかなか書いてあることが面白くて、ふーん、そうか、これからは僕もそういう意識でものごとを考えてみようかな、なんて思ったので、いくつか内容を以下に抜粋してみる。



『「考える」っていうのは、耳を澄ますこと、研ぎ澄ますこと』

何かを考えているというのは、常にアンテナを張っていて、日常のいろんなことに対しても考えている対象とを結び付けようとしている状態のこと。そのアンテナの感度を上げれば上げるほど深く考えているということ。
ちょうど、アルキメデスがお風呂に入っているときに金の体積の測り方を思いついたように。



『「ことば」は、現実べったりの世界から、飛躍的に可能性の世界を広げられる。「ことば」がなければ新しい可能性はない』

ことばによって、人間は初めて想像することができる。想像することができなければ、これまでと違った新しい発想、可能性はありえない。だからこそ、言葉を大切にしよう、ということ。



『頭の中で考えるのではない。頭の外で考える。
自分一人で考えるのではない。「ことば」は自分一人では生み出せない。つまり、新しい可能性も生み出せない』

よく、頭の中で考えるというけれど、実はそうではないんだ。何かを考えるときは、手を使ってものを書いたり組み立てたりしないと考えられない。また、「ことば」は自分以外の人間の存在があって初めて意味が出てくる。だから、考えるときはいつだって、人と話すことが大切なんだ。



『問題そのものを問う。何が問われているのか。なぜそれが問題なのか。その問題の背景は。問題の意味がはっきりしたとき、答えも見えてくるだろう。』

問題があるとき、どうしてその問題が存在するのか、どんな背景でその問題が問われているのか、ということが大切になってくる。それ次第で、問題の答えは全く違ったものになる。だから、まずはその問題についてじっくり考えてみることが重要なんだ。



本の内容と関係のないかのように思われたたくさんの挿絵が最後になぜか気持ちよく一つにまとまっていったのも、いい読後感だった。
その流れで、『ニーチェのことば』も買ってみた。2010年売上3位だそうだ(ミーハー)。

ダウンサイジング

2010年12月18日 | Weblog

アトピー性皮膚炎は、食事の取り過ぎが一つ原因にあるということをいろいろなところで読んだので、最近は食事の量を減らすように心がけている。

たとえば朝のご飯は3分の2くらいに減らした。
お昼は、揚げ物たっぷりのお弁当から多めのサラダとおにぎり一つに変えた。
夜は、残業するときは遅い夕食にならないように社食で食べ、それもきつねうどんだけにした。

食べ過ぎがアトピーの原因だというのは感覚的にはわかる気がする。

たくさん食べても、ほどほどに食べても、1日の活動量は同じなのだから、多く食べた分だけどこかに蓄積されるか、外に出ないといけない。
その一つの表れがアトピーであるような気もする。

100歳を超えるおじいちゃん、おばあちゃんがテレビでよく口にする言葉が、
「食細くして人生長し」
とか、
「食べたい物を少しずつ食べることが健康の秘訣」
など、食を少なくするということ。

ゾウの心臓、ネズミの心臓ではないけれど、人生で消費できるエネルギー量がある程度決まっているのならば、食事の量を減らせばその分の消費エネルギーも減る気がする。
動物性脂肪をがんがん食べるアメリカ人とそれよりは小食な日本人の寿命の違いもこれが原因の一つかもしれない。

「30歳になって、急におなかに脂肪がつき始めた」という言葉もよく聞く。
それまでは新陳代謝がよく、基礎代謝が多かったために太らなかった食事量が、30代になって気が付いたら需要よりも供給過多になっていたというわけだ。

まあそういうわけで、アトピー云々を別にしても、このあたりで食生活を見直すのもいいかもしれない。

食事全般のダウンサイジング。
そうすると、余計に食事がおいしくなるかもしれない。
まあ、食べたい!と思う時にはストレスにならない程度に食べるんだけども。

キヤノン Power Shot S95

2010年12月06日 | Weblog
前のブログで写真をたくさん撮りたいと書いたその流れで、キヤノンのPower Shot S95を買った。今流行の高機能コンパクトカメラというもの。これを決めた理由は以下。

①奥さんが同じく高機能コンパクトデジカメのリコーのCX3を持っていて、これが意外にきれいに撮れることがわかった。

②トレランやジョギング、自転車など、最近の趣味を考えるとコンパクトなカメラじゃないとなかなか持っていけない。

③現場でずっと使ってきたIXYが寿命で新しいコンパクトデジカメを探していた。

④一番の魅力は絞り値2.0。

実はPower ShotのSシリーズは大学の時に長く愛用していた。高機能ながらシンプルな作りなところが気に入っていた。その後、高機能は一眼レフに頼り、携帯性のあるコンパクトカメラには多くを求めないという割り切りからIXYやトイデジカメを使う時期がしばらくあった。

しかし今、再び携帯性と高機能を併せ持った、よく言えばいいとこ取り、悪く言えば中途半端なカメラに興味と魅力を感じ、その結果がなんの因果か、再びPower Shot Sシリーズだった。
昔は銀色で横長のボディーにスライド式のレンジカバーだった。
今回は黒でよりコンパクトなボディーに、強力レンズ搭載。

一丸レフのかっちりした感触に後ろ髪は引かれるが、この軽さ、気軽さを生かしてばんばん撮っていきたい。

児童養護施設のバザー

2010年12月05日 | Weblog
奥さんが大学の時にボランティアとして児童養護施設へ手伝いに行っていた、そのつながりから児童養護施設のバザーのお手伝いをしてきた。

なかなか規模の大きな施設で、バザーにも地域の人たちが大勢集まり、学生から社会人までボランティアの人たちも多く、こんなにスケールの大きいものかと驚いた。

僕の担当は、子供のゲームコーナーの一つで、並べた缶に何個のボールを入れられるかという種目。
奥さんは空き缶を何個縦に積めるかという種目。
全て手作りのゲームだけれど、遊びの天才の子どもたちはそれでも熱中する。ムキになる。
一日中、ひっきりなしに2歳くらいから小6くらいの子までいろんな子が遊びに遊びまわり、さすがに疲れた。
子どもと話していると、自分も子供の気持ちになっていくような気がするのだけど、疲れるということはまだまだ無理をしているということなのだろうか。
さすがに、100%はあの澄み切った元気はだせないかな。



思ったことは、規模は今回のものより小さいけれど、保育園にしろ、学童にしろ、同じようにバザーやキャンプなどの企画はあった。
でも、子供のころにはこんな風にボランティアとしてその活動を支えてくれていた大人たちなんて気にもしていなかった。

もちろんそれでいいと思う。
子供たちが望んで僕らがボランティアをしているわけでもないし。
子供たちは、そんなことは気にしなくていいから、思い切り、元気よく遊んでくれればいい。
たぶん、大人たちはそんな子供たちを見て、何かを得ようとしていると思うから。

施設のボスが言っていた。
子供たちには、この施設で過去の重荷を置いていってほしいと。

一見、あっけらかんと明るく遊んでいるあの子供たちにそんな僕らの知らない重荷があるのだと思うと、余計に彼らにはたくさんたくさん遊んでいてほしいと思った。
そのために、大人はこういう活動を手伝いたいのだろうし、手伝うことで得られるなにかを探しているのだと思う。


写真の力

2010年12月05日 | Weblog
今年の夏にイタリア旅行に行って以来、なぜだか写真をあまり撮っていなかった。
昔は、小さなもの、日常の何気ないものを、いかにきれいに撮るかということをいつも思っていたのだけど、なんだか最近はその意欲が一時的にしぼんでいるような。

ところが、つい最近、結婚記念パーティーを名古屋と東京で行い、それぞれのパーティーで自分がこの人はと思う友人/先輩に専属のカメラマンになってもらった。
その写真が最近できてきて、そのどちらもすごくいい。

二人とも絞り値がとても小さいレンズを持っていて、背景をしっかりぼかして人物を浮きだたし、それでいてピントもしっかりあっている。
構図もばっちり。
そして、なにより、気を許せる友人が撮っているからこそできる被写体の自然な笑顔やからみ。
極めつけはタイミング。

写真を見て、これはいいなあ、とうれしくなるような、そんな写真を久々に多く見て、なんだかもっともっと僕も写真を撮りたいなと思った。

少なくとも、写真を見てくれた人がうれしくなるような、そんな写真をたくさん撮りたい。