『初めて考えるときのように』という本を読んだ。
「考える」とはどういうことか、ということを考えることから始まる哲学的なお話。
本の内容と全く関係のないかに思われる、でもさわやかで僕好みの挿絵が3ページに1回くらい出てくるかわった本で、ヴィレヴァンで薦めていたので買ってみた。
なかなか書いてあることが面白くて、ふーん、そうか、これからは僕もそういう意識でものごとを考えてみようかな、なんて思ったので、いくつか内容を以下に抜粋してみる。
『「考える」っていうのは、耳を澄ますこと、研ぎ澄ますこと』
何かを考えているというのは、常にアンテナを張っていて、日常のいろんなことに対しても考えている対象とを結び付けようとしている状態のこと。そのアンテナの感度を上げれば上げるほど深く考えているということ。
ちょうど、アルキメデスがお風呂に入っているときに金の体積の測り方を思いついたように。
『「ことば」は、現実べったりの世界から、飛躍的に可能性の世界を広げられる。「ことば」がなければ新しい可能性はない』
ことばによって、人間は初めて想像することができる。想像することができなければ、これまでと違った新しい発想、可能性はありえない。だからこそ、言葉を大切にしよう、ということ。
『頭の中で考えるのではない。頭の外で考える。
自分一人で考えるのではない。「ことば」は自分一人では生み出せない。つまり、新しい可能性も生み出せない』
よく、頭の中で考えるというけれど、実はそうではないんだ。何かを考えるときは、手を使ってものを書いたり組み立てたりしないと考えられない。また、「ことば」は自分以外の人間の存在があって初めて意味が出てくる。だから、考えるときはいつだって、人と話すことが大切なんだ。
『問題そのものを問う。何が問われているのか。なぜそれが問題なのか。その問題の背景は。問題の意味がはっきりしたとき、答えも見えてくるだろう。』
問題があるとき、どうしてその問題が存在するのか、どんな背景でその問題が問われているのか、ということが大切になってくる。それ次第で、問題の答えは全く違ったものになる。だから、まずはその問題についてじっくり考えてみることが重要なんだ。
本の内容と関係のないかのように思われたたくさんの挿絵が最後になぜか気持ちよく一つにまとまっていったのも、いい読後感だった。
その流れで、『ニーチェのことば』も買ってみた。2010年売上3位だそうだ(ミーハー)。
「考える」とはどういうことか、ということを考えることから始まる哲学的なお話。
本の内容と全く関係のないかに思われる、でもさわやかで僕好みの挿絵が3ページに1回くらい出てくるかわった本で、ヴィレヴァンで薦めていたので買ってみた。
なかなか書いてあることが面白くて、ふーん、そうか、これからは僕もそういう意識でものごとを考えてみようかな、なんて思ったので、いくつか内容を以下に抜粋してみる。
『「考える」っていうのは、耳を澄ますこと、研ぎ澄ますこと』
何かを考えているというのは、常にアンテナを張っていて、日常のいろんなことに対しても考えている対象とを結び付けようとしている状態のこと。そのアンテナの感度を上げれば上げるほど深く考えているということ。
ちょうど、アルキメデスがお風呂に入っているときに金の体積の測り方を思いついたように。
『「ことば」は、現実べったりの世界から、飛躍的に可能性の世界を広げられる。「ことば」がなければ新しい可能性はない』
ことばによって、人間は初めて想像することができる。想像することができなければ、これまでと違った新しい発想、可能性はありえない。だからこそ、言葉を大切にしよう、ということ。
『頭の中で考えるのではない。頭の外で考える。
自分一人で考えるのではない。「ことば」は自分一人では生み出せない。つまり、新しい可能性も生み出せない』
よく、頭の中で考えるというけれど、実はそうではないんだ。何かを考えるときは、手を使ってものを書いたり組み立てたりしないと考えられない。また、「ことば」は自分以外の人間の存在があって初めて意味が出てくる。だから、考えるときはいつだって、人と話すことが大切なんだ。
『問題そのものを問う。何が問われているのか。なぜそれが問題なのか。その問題の背景は。問題の意味がはっきりしたとき、答えも見えてくるだろう。』
問題があるとき、どうしてその問題が存在するのか、どんな背景でその問題が問われているのか、ということが大切になってくる。それ次第で、問題の答えは全く違ったものになる。だから、まずはその問題についてじっくり考えてみることが重要なんだ。
本の内容と関係のないかのように思われたたくさんの挿絵が最後になぜか気持ちよく一つにまとまっていったのも、いい読後感だった。
その流れで、『ニーチェのことば』も買ってみた。2010年売上3位だそうだ(ミーハー)。