キャラバン サライ

夢は大空へ、努力は足元で、世界に目を向けながら足元から子供たちを見直していきたいと思っています。

仲間の顔写真

2009年06月30日 | Weblog
このプロジェクトから離れる。

去る人いれば、残る人もいる。
ずっと一緒に仕事をしてきた業者のメンバーたちとの別れが一番ぐっときた。

何もわからない状態でこの現場に来て、当初はこの業者のメンバーたちが僕らの敵に見えた。
彼らにいかに負けないようにするか、騙されないようにするか、と疑心暗鬼な毎日。

それから1年半、いろんなトラブルを一緒に解決して、小さな成功をこつこつ重ねて、お客さんのコメントに四苦八苦して、そんな間に本当に徐々にだけど、同じチームという意識が出てきた。

今、こうして別れのとき、そうやって会社や立場は違うけれど、一つのチームのようになれて清清しく別れられる事がうれしい。

彼らにはオフィスの外に出てもらい、一人ずつ顔写真のアップを撮らせてもらった。
前からやりたかったことだけど、照れくさくてできなかった。
こうした仲間の顔写真が、これからの人生で少しずつ増えていくといいなと思う。

それでは、ひとまずさようなら、カタール。

醤油と庶民感

2009年06月27日 | Weblog
ここのキャンプの食堂には各テーブルに置いてある醤油とは別に、カウンターの上に一つだけ醤油が置いてある。
その醤油はおそらく刺身醤油かなにかで、テーブルの醤油に比べて味が濃くておいしい。

別に、誰でもいつでも好きなだけ使っていい醤油だ。
でも、こればかり使っているとこの味に慣れてしまって、おいしい醤油を食べたときの喜びが薄れてしまう。
そんなすごく庶民的な発想から、僕はカウンターの醤油を普段は使わずに特別なときだけ使っていた。
そして、帰任前一週間くらいは自分へのご褒美としてこの醤油を使おうと密かに決めていたのだ (ほんとになんて庶民的)。

今、帰任一週間前を過ぎたけれど、結局あのカウンターの醤油は使っていない。
なんというか、すぐに使うのを忘れるし、まだ使わなくてもいいと思ってしまう。

結局、最後まであの醤油を使わずじまいかもしれない。

欲しいものを追いかけ続けて、でも最後には現状のもので満足してしまう。
そんな、人生の縮図を感じた醤油だった。

感謝の言葉

2009年06月26日 | Weblog
僕も含め数名のメンバーが今月末でカタールを去ることから、僕のグループの歓送会が行われた。
バーの一室を貸しきって、テーブルを囲んでのささやかな会。
外国人もいるので、会話は英語だ。

宴も酣の頃、恒例になった各人のスピーチが始まった。
僕は特に話す内容を考えていなかったし、そのころにはけっこう酔っていた。
どうしようかなと思っているうちに僕の番になり、とりあえず一通りの挨拶をした。
そのとき、ふっと口をついたのが僕の直接の上司に対する感謝の言葉だった。

横浜のオフィスにいたときは、あまり話したことがなく、すごく真面目で固い人だと思っていたこと。
それが、こっちに一緒に来てとても面白い人だとわかったこと。
その彼のユーモアが、大きな支えになっていたこと。
特に、業務で辛いときの彼のユーモアは、凹んで無口になっている僕を笑わせ、前向きにしてくれたこと。

気がついたら、数分間ずっとその上司の話をしていた。
酔っていたため、かなり無理矢理な英語だったと思う。
同じことを何度か繰り返したかもしれない。
でも、ずっと言いたかったことだった。

その後、その上司からのスピーチで、
想定外のことが多く起こり、僕のサポートをなかなかしてあげられず、ずっと申し訳ないと思っていたということ。
また、それを僕が(残件はいくつかあるにしても)やりきったことに対して、ありがとうと、そのことに誇りを持ちなさいということ。
そして、日本に帰ったらまた一緒に飲みましょうということを伝えられた。

聞いていて、どんな顔をしていいかわからなかったが、いつの間にか手をぎゅっと握って全身に力が入っていた。

これまで、なかなか面と向かって上司へ感謝の言葉が言えなかった。
上司も、普段日本語ではこんなくさいことはまず言わない。
それを、英語を使うことで(場とお酒の力も多少は借りているけれど)伝えられた。
それが、すごくうれしかった。

ちいさなバスケットボール物語4

2009年06月25日 | Weblog
約3ヶ月続けられてきた現場でのバスケットボールチームの解散試合が昨日行われた。
解散の理由は、人数不足から。
プロジェクトも終わりに近づき、人がどんどん減っている。

試合は、暑さと高い湿度のせいで今までにないくらいばてばて。
2セット目の最初に足がつって、途中休憩。
その後復帰したが、試合の最後はもうほとんど走れないくらい。
こんなことは、初めてだった。
それでも接戦の末に勝てた。
汗なのか涙なのかわからないけど、顔がぐちゃぐちゃ。
みんなそう。

その後の、打ち上げでもこれまでの3ヶ月間に話題が集中した。

当初、キャプテンの口から週3回の練習だと宣言されたとき、メンバーの多くがやりすぎだと思った。
週2回でいいんじゃないか。
そう、キャプテンに進言したが、あえなく却下された。
この強権と強引さが、このキャプテンの特徴だった。
それでも、メンバーは練習にずっと参加し続けた。
フィリピン人相手にずっと勝てない時期もあったが、試合に負けた直後、キャプテンはぐったりしているメンバーを尻目にさっさとフィリピン人に次の試合の申し込みをしていた。

もし、この強引なキャプテンがいなければ、もっと早くにこのチームは解散していたと思う。
いや、そもそもこのチーム自体が存在していなかったかも。

別に、バスケがうまい人ではない。
スポーツが出来るわけでも、体力があるわけでもない。
にも関わらず、ここまで人を強引に引っ張っていく、そして人がなんだかんだでもちゃんとついてくるっていうのは、大きなその人の能力なんだなと思うようになった。
彼は、北斗の拳を引用して自分は『聖帝サウザー』だと言っているけど、妙に言い当てているようで面白い。

日本でバスケをするっていう機会は、陸上部の合間に遊びでやったくらいで、卒業してからは全くなかった。
帰国しても、これまで同様の生活をしていたら、やっぱりバスケをすることなんてなかなかないだろう。
いま、日本に帰ったらこのチームで会社のバスケ部に試合を挑もうという話がある。
そんなふうに、気軽に楽しく(また強引に理由もなく)集まれるバスケットボールチームとして、日本でも出来ればいいなと思う。

バイキングのとりかた

2009年06月23日 | Weblog
今のキャンプの食堂はバイキング形式だ。
その味も、かなりおいしいと評判(デザートは一級品)。

ここで問題になってくるのが各品目の取り方。
バイキングだから、十人十色で個性が出る。

これは大きく分けて、消去方式と加算方式に分けられると思う。

消去法式ならば、ご飯もの、肉もの、野菜もの、お汁ものから一つずつ選ぶ。
パスタを取ったからご飯ものはもう取らない。
魚を取ったから肉ものはもう取らない、といったふう。

でも、加算方式だと取りたいものがあればとる、という主義だから好きなものがあれば際限なくお盆の料理は増えていく。
そして、運の悪いことに僕は加算方式のよう。

例えば三色丼をとってから炒飯をとる。
それは、三色丼も炒飯も好物で、そこにあればまずは取るという暗黙のルールが自分の中に出来上がっていて、それを打ち壊せない保守的な自分がいるから。
またまた運の悪いことに、いつも一緒に食べる上司も、完璧な加算方式で、うどんをとってグラタンを取った後にパスタをとるという完ぺき主義者。
それでいて、食後に毎回後悔しているというかわいさ。

方や相方さんは消去法式を採用しており、栄養バランスのよさそうなメニューをお盆にのせて横目で加算方式の僕らに呆れているようだが、それでも欲しいものは欲しいというバブリー世代的な考えから抜け出せない(上司はバブリー世代)。

「食細くして、命長し」というけれど、このままでは文字通り「食太くして、体も太し」になってしまう。

意外と楽園なカタール

2009年06月20日 | Weblog
暑いイメージが先行しているカタール。

確かに夏(今)は暑い。
日中は簡単に40℃を超え、さらにぐんぐん上がる。
50℃を超えることも。
さらに暑いだけじゃなくて、湿度も高い。
むしろ、この湿度の方がやっかい。
汗がとめどなく出るし、クーラーのきいた部屋から出ると眼鏡が一気に真っ白になる。
今の車、ボーラは運悪くエアコンが壊れているため、日向に駐車しておいた後はもう目も当てられない。

でも、考えてみればそれも6、7、8、9月くらいだけ。11、12、3、4月は過ごしやすいし、1、2月は薄手では寒いくらい。
結局、一年の3分の1を我慢すればカタールの気候は日本よりもいいのかもしれない。
雨も降らないし。
砂嵐はあるけど。
日本は、夏は夏でけっこう暑いし、冬はかなり寒い。

でも、日本には四季がある。
春には桜、夏は向日葵、秋は紅葉、冬は雪景色。
ほんとに季節の色が豊かだと思う。

カタールは気温は激しく変わっても、その季節によってイメージする色が乏しすぎる。
いつでも薄い茶色の荒野。
ここに住んでいると、自然の色の感覚も変わってくるんだろうなと思う。

二年逃した桜の色を、早く日本で見たいなと思う。
まだまだだけど…。

ということで、二年近くになったカタール赴任がいよいよ今月末で終わることになりました。

So Happy

2009年06月18日 | Weblog
仕事で、大きなことを達成した。
全体から見れば、先輩たちから見れば、当たり前なことかも知れなけど、自分の中で大きな仕事だった。
ずっとつかえていた、重いものが取れた気がした。

会議のあと、業者の担当者から電話がかかってきて、おめでとうとありがとうを言い合った。
そのときだけ一瞬、涙が出そうになった。
二人がここ数ヶ月、ずっと追いかけていた仕事だった。

オフィスに戻ると、そのニュースが既に伝えられていて、うちのグループの生き仏のようなインド人に

"Tani-san was happy before.
Now Tani-san is so happy."

と言われた。
こんなとき、大切な人と喜びをともに出来るとしたら、それこそ人生でSo Happy!のときだと思う。

紅茶 vs コーヒー

2009年06月16日 | Weblog
今のオフィスには紅茶(リプトン)とコーヒー(ネスカフェ)が自由に飲めるように置いてある。観察していると、欧米系の人はわりかしコーヒー。
日本人もコーヒーの場合が多い。
インド人は圧倒的に紅茶(甘いミルクティー)。

そこで、世界的には紅茶とコーヒーどちらが人気あるのか気になった。みなさんは知っていますか?


調べてみると、一年間の世界生産量は紅茶が222,000t。
コーヒーは7,365,000t。

ということで、圧倒的にコーヒーの勝ち。
まあ、スターバックスとか喫茶店が人気だしね。
と、思っていたら大事なことを忘れていた。

紅茶一杯につき使う茶葉は約2g。
コーヒー一杯につき使う豆は約10g。

だから、一年間の世界消費量は紅茶が111,000杯。
コーヒーが737,000杯。

あ、でもやっぱりコーヒーが勝ってる。
(以前の文章では計算を間違えていたので改正しました。)
(乾燥させた後の重さの違いなどは加味していないので正確ではないけれど。)

ちなみに僕は午前中とお昼はコーヒー、夕方と夜は紅茶。
ニュートラルというか優柔不断です。

ブータン2

2009年06月16日 | Weblog
ブータンについてもう少し。

ブータンという国は、戦後もずっと鎖国を続けていた国。観光客はもちろん、調査や研究目的でも入国がなかなか認められず、運良く入国できるにしてもそれは王族からの招待という形でしか実現されなかった。

現在は、鎖国政策こそなくなったものの観光目的でブータンへ入るには以下の条件が課せられている。
1) 旅行日程を予め提出。
2) 現地ガイドを常につける。
3) ブータン滞在一日につき200ドルを払う(ガイド料や交通費、宿泊費はこれに含まれる)
4) 一般に使われているお寺へは立ち入り禁止。観光可能なお寺でも写真撮影禁止。

これら条件の目的は、ひとえに文化と環境を守るため。
いくら外貨獲得の手段になる観光でも、文化と環境が守られるという前提があってこそというのがブータンの政策なんだそうだ。

Wikipediaに下記のようなエピソードが紹介されている。
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1989年2月24日、34歳のジグミ・シンゲ・ワンチュク国王が昭和天皇の大喪の礼参列のため、民族衣装「ゴ」の礼服姿で、数人の供を連れて来日した。
他の国の首脳の多くが、日本から経済的な協力を得るために葬儀の前後に日本政府首脳と会談した。
しかし、ブータン国王はこうした「弔問外交」を行わず、大喪の礼に出席して帰国した。
新聞記者が理由を尋ねると、国王は「日本国天皇への弔意を示しに来たのであって、日本に金を無心しに来たのではありません」と答えた。
一方、日本政府はブータンの正装である「刀」を銃刀法違反として預かったため、国王は丸腰のまま葬儀に列席した。
ブータン国民は、平民のような姿にされた国王の姿を見て嘆き悲しんだ。
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このジグミ・シンゲ・ワンチュク国王は、若くして非常に有能でいい国王であったといろいろなところに書かれている。
国民総幸福量を提唱したことが有名だが、それ以外にも文化、環境を守るための先駆的な政策をいくつも打ち出し、そして最後には民主化のために自ら王位を退いたという。

教育、医療がほぼ無料というブータンだが、英語は公用語かつ小学生のときから学んでいるため堪能な人が多いそうだ。

あと、近年には国内全面禁煙を宣言した。

うーむ、いろいろとブータンの光の部分ばかり見てしまうけど、なかなか闇の部分は見えてきにくいもの。
あら捜しをするつもりはないけど、ブータンの抱えている問題も探して行こうと思う。

リスト好き

2009年06月15日 | Weblog

僕はリストを作るのが好きなようだ。

いろいろ思っていることをリストにする。
好きなものをリストにしてみる。

好きな歌のリストや、やりたいことのリストなど。
そうやって書き出してみて、もやもやと思っていたことの全体が見渡せることで、安心して満足するのかもしれない。

同じように、箇条書きも好きだ。
文の中でいろんなことを書くより、できるだけシンプルに、わかりやすくするために箇条書きにする。
これも、全体が見渡しやすいから安心するのかも。

あと、リストとは少し違うけれど、スケジュールを棒をつかって引いてみたり、ばらばら散らばっている仕事の状態を管理するコントロールシートを作るのも好きだ。
やっぱり、これも全体を把握することで安心したいから。

結局、全体が見えず、終わりがわからないと不安になってしまうんだろうか。

でも、それとは別にリストなりテーブルなりスケジュールなりコントロールシートなりを作るって決めるとわくわくするし、作っているときも楽しいから、根本としてこういうのを作ること自体が好きなんだなとも思う。

でも、リストやスケジュールを読むのは苦手でそんなに好きじゃなかったりする…。
作りっぱなしはよくないね。

眉毛の太さ

2009年06月14日 | Weblog
10年くらい前からか、男性でも眉毛をそるのがお洒落という風潮になってきた。
鈍感だった僕は大学くらいにそのことに気づいたけど、眉毛を抜くという激しく痛そうなそのお手入れにかなりびびった。

20年くらい前のドラマをみると、男性のみならず女性も眉毛が太い。
保育園の集合写真をみると、当時すごくきれいだと思っていた先生も眉毛が太くて笑った。
この前、同窓会でその先生に会ったら、眉毛が細くなっていて時代を感じた。

でも、これって日本での話。
すごくお洒落でかっこよく見える若いイタリア人やフランス人でも眉毛が太い人が多い。
ごっつい眉毛でも様になる。

線の細い日本人だからこその細い眉毛なんだろうか。
それとも、細い眉毛自身も日本の流行の一通過点なんだろうか。

久々に『北斗の拳』をみたけど、ケンシロウって眉毛濃いな~。
当時はあれにみんな憧れたんだなー。

心技体

2009年06月14日 | Weblog
「心技体」という言葉。
中学のバレー部顧問だった先生の口癖だった。

「心が最初にあるのは、気持ちが強くなければ何をやってもだめだからだ。
まず、心があってこそなんだ」

「体が最後にあるのは、いくら心と技術があっても、最後にものをいうのは体力だからだ。
体力がなければ、どんなにいい技術を持っていても生かすことができない」

本当に繰り返し、繰り返し、このことをお話になられた。
週に二度は聞いていた気がする。


当時、ぼんやりとしか理解していなかったこの「心技体」について、高校、大学へ進むにつれて、スポーツによく当てはまる言葉だなと思うようになってきた。

スポーツは、うまい具合にこの心・技・体に分けることが出来るように思う。
気持ちいいくらい、きれいに分けられる。

心のトレーニング、技のトレーニング、体力のトレーニング。
それぞれが、それぞれに関連していて、それでいてピュアに別々のものだ。

陸上競技短距離でいう心のトレーニングは、イメージトレーニング、メンタルトレーニングそれにチームワークを養うのも心のトレーニングの一つだと思う。

技術のトレーニングは、たぶん、これが陸上で一番楽しくて奥が深い分野だと思う。
全体の中の個々の動き、いかに効率よく力を伝えるか、どう体を使うか、体はどこまで可能性があるのか。

体力トレーニングは、インターバル走やセット走、ウェイトトレーニング、筋肉トレーニングなど。
このときに、技術トレーニングと一緒くたにやろうとするとおかしなことになるので、気をつけるべき。

心と技術と体力、このどれが欠けてもいい記録は出ないし、逆に言えばこれら三つが全てだとも思う。
そう考えると、非常にスポーツを妙に言い当てていて面白い。

それが最近、「心技体」はスポーツ以外でも当てはまりそうだと思うようになった。
今の仕事でも、「心」が強くないといけないのはもちろん、「技」はすなわち経験や知識となり、「体」は仕事をするうえでのタフさ、押しの強さ、忍耐強さなどと考えられる。
また、英語の能力も「体」に入れることが出来ると思う。
一般常識も「体」だ。

「心」がないと何も始まらないが、「技」と「体」の両方があって初めてお客さんとも業者とも対等に仕事が出来る。
今の僕は「心」や「体」よりも「技」が足りなくて、バランスが悪いように思う(英語はまだまだだけど)。

仕事が出来ると思う人は、この「心技体」のバランスがいい。
バレー部の顧問がおっしゃっていた言葉がじわじわわかってきて、あの先生はすごい人だったなぁと思うこのごろだ。

夢光年

2009年06月13日 | Weblog
小学生のときに平日18時半から再放送で『宇宙船サジタリウス号』というアニメを見ていた。
中古宇宙船のサジタリウス号で便利屋を営んでいる主人公たちがいろんな星へ行き冒険をするというもの。
そのエンディング曲が『夢光年』という曲だった。

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星屑の海の中、漂う夢求め、時を超えて遥か。
人の世に見失い、今ではもう遠い、夢を探す人よ。

もしも、どこかで見つけたなら、欠片だけでも持って帰れよ。

ああ、夢見る喜び、ふたたび。
ああ、夢見る幸せ、ふたたび。

夢光年。

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この曲がとても好きで、今でもたまに口ずさむ。
なんの気なしに、ノートへ歌詞を書くこともある。

人の世で見失った、今ではもう遠い夢を、それでもどこかで追い求めている人を歌っている。
その心に、いつも気持ちがきゅんとくる。

そういえば、『紅の豚』のエンディングテーマ『時には昔の話を』の歌詞もなんとなく似ている。

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一枚残った写真をご覧よ。
ひげづらの男は、君だね。

どこに居るのか、今ではわからない。
友達も何人かいるけど。

あの日の全てが、空しいものだと、それは誰にも言えない。
今でも同じように、見果てぬ夢を描いて、走り続けているよね。

どこかで。

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『夢光年』よりもこちらのほうが大人っぽい、時代の匂いが強い歌詞だけど、同じようにどきんとくるのは同じ。

ちなみに『夢光年』は、『サジタリウス号』よりも有名になり、ある時期には学校の音楽の時間に教えられるくらい愛されたそうだ。

お化粧

2009年06月11日 | Weblog
お化粧で女性は文字通り化けるというけれど、いくらなんでもそこまではないと思っていた。
眉毛を書こうが、まつげを強調しようが、口紅を塗ろうが、ファンデーションをしようが、元の顔がわからなくなるようなことはないと思っていた。

ところが、中東の女性のお化粧は日本人とは随分違う。
顔を見て驚いた。
特に目の周りがすごい。
アイラインを強調しすぎて、本当の顔が想像つかない。
顔の辺りに2つの黒い斑点を持っていて目のダミーのようにしている昆虫がいるけど、なんとなくそれを想像した。
もう一つの目を描いている感じ。
それを若い女の人までがやっている。

ちなみに、mixiのアンケートによると日本人の8割はナチュラルメークが好みだという。
ナチュラルメークの定義も議論の対象だけど(僕の中では目や口を強調しない)、少なくとも中東の男性と日本の男性では好みが随分違うようだ。
それもまた、不思議だけどおもしろい。

ブータン

2009年06月04日 | Weblog
昔からチベット、インドそしてブータンに行ってみたかった。
その中のブータンの話。

初めてブータンを知ったのは小学生の頃。
社会の授業で、おもしろい名前の国を探す授業があり、ポーランドとブータンを見つけておもしろいな、どんな国だろうと思った記憶がある。

その後、中国に興味がわき、それがチベットへ移り、自然の流れとしてブータンも視野に入った。
少しずつ、ブータンが他の国と違う、かなり特殊な国だということ、その特殊性がやたら僕にとって「いいなあ」と思わせることがわかってきた。

それをある意味象徴するのが、「国内全面禁煙」。
うーん、すごい。
僕がタバコを吸わないからとか、他の国に先駆けての先駆的法律だからいいと思うんじゃなくて、こういうことを国王が政策に従って決めて、それを国民が守るという、小国寡民のフレキシブルさが面白いと思う。

ブータンの国策はまず第一に、文化と環境を第一優先させること。
この二つを優先した政策をとり続ければ、国民は幸せに生活を送れるという考え。
例え、GNPが低くても、工業や技術が発展していなくても、周りの国から貧困国と言われても。
もちろん、技術開発やGNPが上がるに越したことはないけれど、それはあくまでも文化と環境への政策が十分に充実しているという前提。

ブータンは敬虔なチベット仏教国で宗教と生活が完全に一体となっているので、ここでいう文化を尊重させるとはすなわち宗教を尊重させると言うこと。
その一つの表れが、外国人観光客が訪れることのできるお寺はほんの一部だけ。写真撮影もお寺内は全面禁止。
その理由は、お寺は常に地元の人が生活の一部として使っているもので、観光客によってそれを阻害されるのは許せないという国民の要望だったそうだ。
日本を含め、他の国とは随分異なった政策だと思う。

宗教と文化を守るために国王が決めたルールを国民が一体となってそれに従う。
国の経済開発よりも自国の文化と自然環境保全を優先させる政策。
貧しさゆえに電気がないのではなく、電気を必要としない生活をあえて続ける国民。

そして、極めつけは「GNP(国民総生産)よりGNH(国民総幸福)」という国のスローガン。
経済の発展を数字で示すGNP、この数字が大きくなれば果たして国民は精神的にも幸せになっていくのか。
という、世界中がぼんやりと抱えているつかみ所のない疑問に真っ向から挑んだ政策だと思う。

そんなブータンへ一ヵ月後に行ってくる。