キャラバン サライ

夢は大空へ、努力は足元で、世界に目を向けながら足元から子供たちを見直していきたいと思っています。

日本の歴史をよみなおす

2014年04月13日 | Weblog
網野善彦の『日本の歴史をよみなおす』を読んだ。

日本の歴史集中期間の2冊目。
正直眠くなる本だが、目からうろこのことが多く、得られるものは多かった。

まず、この本に戦国武将の名前や天皇の名前はほとんど出てこない。
主人公は身分が貴族や武士より下の、いわゆる一般大衆だ。
それは、百姓であったり、女性であったり、僧侶であったり、と言われる被差別階級であったり。
そういう内容に好感を持つ。


本書では百姓=農民というこれまでの常識を破り、百姓の中にも海の民、山の民、商いをする者、鉱山で働く者など様々な職が百姓の中に含まれることを強調している。
その視点から改めて日本の歴史(古代から近世)を振り返ると、日本が農業一辺倒ではなく、なんと色とりどりで生き生きと見えてくることか。
私たちが日本の田舎を想像したときに田畑で働くお百姓さんをイメージしてしまうのは、政治(幕府)が農業を中心とした国づくりを目指していたがために、百姓=農民というレッテルを日本の価値観に張り付けてしまった結果だという。
TPPに絡んで話題になっている、日本のこれからの農業を考えるときの材料になるのではないか。


このほか、昔は畏れられていた対象であった人々がある時期を境に被差別階級となっていくことや、男性に抑圧されていたイメージの強い女性が明治時代よりも前は意外にも自由で自立していたことなど、個人的には目からうろこで興味深い内容だった。

また、海の民として大きな力を持っていた海賊にも興味を持ったので、本屋大賞をとった『村上海賊の娘』も読んでみたくなった。

努力できることが才能である

2014年04月06日 | Weblog
「努力できることが才能である」とは松井秀樹選手が座右の銘にしている言葉だ。
松井選手が学生時代に、彼の父親が松井選手へ送った手紙に書いてあったという。

僕がこの言葉を聞いたのはたぶん高校生の時だったと思うが、なんていい言葉なんだと思った。
ただ、いい言葉とは思っても、今一つ実感が湧かなかった。
努力するなんて、ある程度の選手であればあたりまえじゃないか、と。

高校、大学と陸上競技をしてきたが、努力をしない部員なんて殆どいなかったし、努力をしても伸び悩む選手は数多くいた。
やっぱり、努力以外にも才能がいるんじゃないか。
むしろ、努力以外の才能の占める割合の方が大きいんじゃないか。
言葉には出さなくても、心の底の方ではそう考えていたように思う。

ところが、社会人9年目にしてこの言葉の重さをひしひしと感じている。
自分が努力できなくなったが故に。

周りには、しっかりと練習をして、大会に出て、結果を出している友人知人が大勢いる。
それに比べて僕はと言えば、仕事の忙しさや、家族との時間を自分への言い訳にして、年々、日に日に努力をしなくなっている。

前者の結果を出している人と後者の僕との違いは、努力をしているかいないかの違いだけだ。
それ以外の才能は、微塵も貢献していない。
ここで、初めてタイトルの言葉が重くのしかかる。

「努力できることが才能である」

少なくとも何かを長く続けるという視点においては、この「努力できる才能」が他のどんな才能よりも必要であるようだ。