『僕たちは世界をかえることができない。But, we wanna build a school in Cambodia.』を観た。
最初にこの映画のタイトルを見たときは正直、なんて長くて、センスのないタイトルだと思った。
ポスターにはいかにも爽やかな若者4人の笑顔。
まるでジャニーズ?
主演は最近売れ筋というイケメン俳優向井理。
どうせイケメンの若者たちを前面に出した薄っぺらい内容なんだろうと、勝手に先入観で固めていた。
それでも「カンボジアに学校を建てる」という響きに魅かれ、大いに期待せず映画館へ向かった。
まあ、この文の流れからわかると思うけど、結果としてはその期待はいい方向へ裏切られた。
映画の大きな流れは、大学生がお金を集めてカンボジアに学校を作るというもの。
でも、単純にそれだけでは終わらない。
映画は大きく世界を広げていく。
この手の映画を作るにあたっては、カンボジアの歴史を避けては通れない。
それはそうなんだけど、最低限の歴史だけさらっと知ってもらおうなんて軽い感じでは済まさない。
ドキュメンタリータッチな撮り方も手伝って、胸がずきずき来るような、ずっと深いところまでえぐってくるような。
カンボジアでのエイズの問題も、単に数字だけで説明するのではなく、人と人の触れ合いを通して、より感情的に刻み込もうとしてくる。
さらに、今どきの大学生たちの文化、力を映し、若者の行き場所のない悩みを生々しく、そして正直に描く。
その結果としてのカンボジア。
だから深くて重い。
映画を観る前は、カンボジアに学校を建てたいと思う主人公は、きっと正義感に燃えるヒーローのような男だと思っていた。
でも、実際は全然そんなことはなかった。
この映画で、最もいいと思ったことは、
I wanna build a school in Cambodia.であって、
We should build a school in Cambodia.ではないこと。
観客に向かって「カンボジアに学校を建てることはいいことです」とか、「カンボジアをみんなで救いましょう」というようなメッセージは何一つ発していない。
ただ主人公たちは、カンボジアに学校を建てたかった。
それを描ききったところがいいと思う。
それと、僕の大好きなブルーハーツの「青空」が、とってもいいところで使われていて、うれしかった。
最初にこの映画のタイトルを見たときは正直、なんて長くて、センスのないタイトルだと思った。
ポスターにはいかにも爽やかな若者4人の笑顔。
まるでジャニーズ?
主演は最近売れ筋というイケメン俳優向井理。
どうせイケメンの若者たちを前面に出した薄っぺらい内容なんだろうと、勝手に先入観で固めていた。
それでも「カンボジアに学校を建てる」という響きに魅かれ、大いに期待せず映画館へ向かった。
まあ、この文の流れからわかると思うけど、結果としてはその期待はいい方向へ裏切られた。
映画の大きな流れは、大学生がお金を集めてカンボジアに学校を作るというもの。
でも、単純にそれだけでは終わらない。
映画は大きく世界を広げていく。
この手の映画を作るにあたっては、カンボジアの歴史を避けては通れない。
それはそうなんだけど、最低限の歴史だけさらっと知ってもらおうなんて軽い感じでは済まさない。
ドキュメンタリータッチな撮り方も手伝って、胸がずきずき来るような、ずっと深いところまでえぐってくるような。
カンボジアでのエイズの問題も、単に数字だけで説明するのではなく、人と人の触れ合いを通して、より感情的に刻み込もうとしてくる。
さらに、今どきの大学生たちの文化、力を映し、若者の行き場所のない悩みを生々しく、そして正直に描く。
その結果としてのカンボジア。
だから深くて重い。
映画を観る前は、カンボジアに学校を建てたいと思う主人公は、きっと正義感に燃えるヒーローのような男だと思っていた。
でも、実際は全然そんなことはなかった。
この映画で、最もいいと思ったことは、
I wanna build a school in Cambodia.であって、
We should build a school in Cambodia.ではないこと。
観客に向かって「カンボジアに学校を建てることはいいことです」とか、「カンボジアをみんなで救いましょう」というようなメッセージは何一つ発していない。
ただ主人公たちは、カンボジアに学校を建てたかった。
それを描ききったところがいいと思う。
それと、僕の大好きなブルーハーツの「青空」が、とってもいいところで使われていて、うれしかった。
カンボジアを訪れて以来、
いつも心のどこかに彼らの存在があり、
映画のことを知って、観たいと思ってた。
そして、ますます観たくなりました。