キャラバン サライ

夢は大空へ、努力は足元で、世界に目を向けながら足元から子供たちを見直していきたいと思っています。

スポーツの世界での理不尽さ

2014年05月24日 | Weblog

「子どもの理不尽な経験は肥やしだ。」
最近、いいなと思った言葉。

周りの大人が理不尽さを子どもの周りから片っ端に取り払っていった結果、理不尽な出来事にぶつかったときにうまく対処できず、言い訳ばかりで諦めてしまう大人が増えているそうだ。


いつの時代も理不尽なことは社会に溢れている。
子どもの世界にも溢れている。
冒頭の言葉には、よほどのことがない限り、理不尽な出来事も子供達だけで消化させるべき(解決はできなくでも)、という意味が込められている。

それで少し思ったこと。

スポーツの世界でも理不尽さが取り去られつつある。
例えば、サッカーのゴールを何台もの高性能カメラで監視して、ゴールしたらすぐさまシグナルを審判に送るシステム。
ゴールしたかしていないかの誤審を避けるために最近導入されているそうだ。
技術の進歩の賜物だが、これまでのように誤審かどうかという議論がなくなっていくことに、もやもやしたものが残る。

理不尽さを皆で議論する前に、機械が全てを解決してくれる世界では、理不尽な出来事への耐性が失われていくのではと不安に思うのは大袈裟か。