キャラバン サライ

夢は大空へ、努力は足元で、世界に目を向けながら足元から子供たちを見直していきたいと思っています。

フランスの結婚式

2011年06月28日 | Weblog
コルシカ・エアーのプロペラ機から降りると、想像していたのよりも暑いが日本よりは乾燥している空気を肌に感じた。
金曜日、定時のチャイムとともに会社を飛び出て夕夏と落ち合い、成田発、パリ、マルセイユを経てここコルシカ島はフィガリ空港へ到着した。

夕夏が留学中に仲の良かったフランス人の友達が、フランスのコルシカ島で結婚式を行うという。
その式に夕夏が招待され、僕も付添として行ってもよいことに。
そんなわけで、2泊5日のフランスを写真を中心にまとめました。

まずは、式までの間、コルシカ島の南に位置するポルト ヴェッキオの海沿いをのんびり。







フランスの結婚式は、日本のそれとはずいぶん違うらしい。
まずは、市役所で結婚式の手続き。
でも、ただ婚姻届を出すだけじゃない。
親類友人の立会いの下、市長さんが宣誓文やら夫婦の契約やらをみんなの前で読み上げる。
しまいには、シャンパンまで出てきて、お祭りムードに。
これには驚いた~。

市役所の前で待つ参加者たち。


花嫁が到着して、参加者たちと抱き合う。


大広間の机を挟んで新郎新婦と市長さんが向き合う。
市長さん側。


新郎新婦側。


契約書に新郎新婦、立会人、市長さんの署名が入って、晴れて結婚成立。
みんなで拍手~。


新郎新婦が市役所から出てくると、シャボン玉と花びらが舞う中で、参加者から祝福される。





このあと、教会へ行って神の前で改めて夫婦の契りを結ぶ場合が多いようだが、今回はお互いの(家族の)宗教上の理由から教会での式はなし。
ちなみに、政教分離の原則から、必ず市役所での式が先で、教会での式が後でないといけないそうだ。

夜のパーティーまで時間があったので、市役所の近くでアイスクリームを食べていると、新郎新婦が歩いて来た。
散歩をしているわけではないだろうが、なんとも自由な感じ。
フランスでは、ウェディングコーディネーター(プランナー)を使わないのが一般的なようで、全て自分たちで仕切るため、こんな感じで自由に歩けるみたい。


さて、夜が近づきパーティーが始まった。
夜と言っても、フランスはサマータイムを導入しているため、とにかく明るい。
本当に23時までは明るいんだから、なんだか夜になってもいろんなことができる気がしてうきうきしてしまう。
パーティー会場は海岸に面した素敵なレストラン。
プール付きで、最後に新郎をそこに突き落とすのが習わしだとか。


パーティーは立食で始まり、その後着席形式のコース料理。
新郎新婦へ送る有名曲の替え歌をみんなで歌ったり(当然僕らは口ぱく)、新婦のお父さんがアレンジした打ち上げ花火とか、友人が作ったおかしななショートムービーとか、とにかくサプライズの連続で新郎新婦も感激していた。
(特に打ち上げ花火は、プチ花火大会並みに本格的で驚いた)

そして後半はダンスパーティーに。
本物のDJ。
若者だけでなく、おじいちゃん、おばあちゃんが元気にのりのりで踊りまくっているのに圧倒された。
こんな年のとりかたをしたい!


もう一つ、日本の結婚式や二次会と大きく異なる点。
それは、ご祝儀や会費をとらないこと。
これだけのおもてなしを、全て主役たる新郎新婦が負担する(もちろん、親族の補助はあるだろうが)。
そういえば、カタールでフランス人が国に帰る時に催したお別れパーティーも、帰国する本人が幹事になって、会費も全て彼女が負担していた。
日本では、「おめでとう」の気持ちを込めて参加者がご祝儀や会費を払うが、フランスでは「ありがとう」の気持ちを込めて主役が費用も含めて会の一切を取り仕切るのだろうか。

パーティーはたぶん朝まで続いたんだろうが、我々は午前3時で退席。
最後にみんなで記念撮影。
いい写真だ。


フランスはなかなか行く機会がなくて、しかもコルシカ島はこんなことじゃないとまず行かない。
加えて、フランスの結婚式がこんなにも日本のそれと違っていることに驚き。
そんな経験をさせてくれた、新郎新婦と夕夏に感謝。




200mを泳ぐこと

2011年06月19日 | Weblog
厚木の米軍基地で開催される日米親善トライアスロンにエントリーした。
チャレンジの部で、スイム200m、バイク10km、ラン2km。
このうち、最もネックなスイムを克服するため、近くの市民プールへ夕夏と練習に行ってきた。

赴任中はキャンプにプールがあって、休みの午後は泳ぐくらいしか暑さを凌いでできるスポーツがなかったためよく泳いだが、日本のプールで泳ぐなんて高校の部活後に遊びでちょこっと泳いだきりじゃないかと思う。
日本でわざわざ苦手な水泳をいろいろな手続きを経て泳ぎに行くなんてことはまずない。
そういう意味で、トライアスロンという目標ができたのはいいきっかけだったかもしれない。
目標は大切だ。

なんて軽い気持ちで泳ぎ始めて、すぐに甘かったことに気が付いた。
自分は想像以上に泳げない。
泳ぐたびに思うことだが、本当に泳げない。

自分が苦手とするスポーツは、サッカーとゴルフと器械体操だといつも思っているけど、そんなのとは次元が違うくらい水泳に関してはてんでだめだ。
200mなんてとても、とても。
今は75mで限界。
息苦しくて、腕も足も疲れ切って動かない。
夕夏に息継ぎの方法と腕のかき方を指導してもらったが、なかなかそれでも楽にならない。

走りと泳ぎって、それほどまでにリンクしないものなんだろうか。
使う筋肉も、動きの感覚も。

なかなか先の道のりが険しい、大変な選択をしてしまったと思う。
でも兎に角、スイムで夕夏との差を2分以内におさめれば、後半のランで逆転の可能性も見えてくる。
ガチの対決ができるよう、まずは200mを泳ぎ切れるようにならないと。


今シーズンの短距離第一歩の前に

2011年06月12日 | Weblog
陸上競技の短距離、なんだかふっとこの種目に僕はたくさん育てられたんだ、と思った。

いままでそんなふうに思ったことは(たぶん)ない。
なんでこんなに短距離に親しみを感じているのだろう。

今年の目標の一つに「100mを11秒49」と書いた。
これは今年だけの目標ではなく、いわば社会人としての生涯目標。
去年も同じ目標を掲げて、11秒7台で終わった。

山中湖ハーフで今年の長距離シーズンが終わったため、そろそろ短距離の練習を始めるかと思った。
まずは、目標となる競技会を調べたり、横浜陸協に登録したり。

そしていよいよ練習に行こうと思った途端、なぜだろう、行動に移せないのだ。
急にびびってしまった。
練習を始めることに。
目標に向かって。

長距離ならば、まだまだ練習した分だけ速くなるという実感があるし、なにより全く未知の世界だから何をどうすればどれくらいの速さで走れるのかわからない。
バレーだって、ボートだってそうだ。
怖くもないし、興味と好奇心で体が動く。
だけど短距離は、とりわけ100mや200mは、僕にとって知りすぎている。
いやいや、そんな言い方をしたらかなり語弊ありだが、少なくとも年初に掲げた目標について言えば、その苦楽は体にしっかり染み込んでいる。

高校から大学までの7年間、それくらいの記録はたくさん出したし、また、その記録を目標とする人と練習をしてきたのだ。
その記録を出すためには、少なくともどれくらいの頻度でどれくらいの強度の練習をして、さらには日常生活でどれくらい陸上を意識しないといけないのかがわかる。
怖いのは、それがあくまでも「少なくとも」、つまり最低条件というところで、それだけのことをしても目標の記録が出る保証はどこにもない。
むしろ出ることのほうが希。
それが記録競技の常。

そんな勝手知ったる茨の道へ、今年もさあ一歩踏みだそうというところ。
悲しいかな、他の競技と違って好奇心だけでその一歩が出ない。

そんな風にもんもんと家の中で歩き回ったり、机の前で考えてみたり、無駄に着替えなんかしてみたり…そうしてふっと感じた最初に書いた思い。

僕は短距離という種目にこんなにも育てられていた。

マラソンシーズンは終わりましたが…

2011年06月10日 | Weblog
11月後半の河口湖マラソンの募集が始まった。
はやい!
もうそんな時期か…
このマラソンだけ出たい。
夕夏も今年の目標である初フルマラソンにここで挑戦する模様。


厚木でトライアスロンの試合があって、チャレンジの部はスイムが200mしかないらしい。
この距離ならぎりぎり泳げるか?
トライアスロンといえば、憧れるけれど泳げないがためにこれまで遠い存在だった。
でもそのスイムを克服するという目標が見えた途端、俄然わくわくしてやる気が出てきたぞ。申し込んでみよっかなー。


金曜の夜にみんなで12時間走るリレーマラソンがある。
しかも会場は国立競技場。
おもしろそう!と思って人を集めてみるとあと少しのところまできた。
どなたか、一緒に走りませんか?

失敗ができる『場』をつくるということ

2011年06月05日 | Weblog
会社のバレー部で市民大会に出場した。
実にこのチームとしては7年ぶりの公式試合で、僕が入社する前年に出たのが最後だったみたい。
最近になってやる気のある若手が増え、そろそろ公式試合に出てみるか、ということになった。


市民スポーツセンターの体育館に入る。
各チームに交じって僕らもアップを始める。
その途端、会場の熱気と迫力、そしてみんなの声の大きさに、いっぺんに気持ちが飲まれてしまった。

そう、これは中学の時のバレーの試合と同じ。
陸上の試合とはまた違う、チームプレー特有の結束と排斥の大きな力関係が入り混じる、とても意気苦しい空気。
その感覚を12年ぶりに思い出した。

僕らの試合は2試合目で、それまでは補助員としてスコア係をしていた。
良くも悪くもそのせいでこの試合のレベルをまざまざと見せつけられた。
ここでまた、しばらく忘れていたあの緊張感がよみがえってくる。

色でいうと黄色、味でいうと喉の奥に来る酸っぱさ、そして喉が渇き頭がやけに疲れる、あの妙な緊張感。
もうこうなってくると、この緊張をほぐそうとしても無理。
あとは、いかにこの中でポジティブに気持ちを持っていくか。

思えば中学の時もそんなことばかり考えていたように思う。
ともすればネガティブなことばかり考えてしまう自分に驚き悩み自己嫌悪しながら、いかに気持ちを前に傾けるか。
そんな危うい不安定な気持ちで、いつもぐちぐち堂々巡りをしていた。
本当に弱い自分。
ただそれだけで気疲れをしていた。

今日もあの日と大差ない心境。
結局何年たっても苦手な部分は克服されずというわけか。

でもただ一つ、こういった緊張感のある舞台で失敗ができる状況に感謝ができるようになったかも。
こういった数歩くらい前に出ないと得られないような、ちょっとした公式な大会でないと、成功はもとより失敗すらさせてもらえない。
そういった意味で、失敗と呼べる過ちを犯せる状況に自分がいることに感謝していた。

失敗なくして成功なし。
バレーでも走ることでも写真でも仕事でも人生でも何でも、失敗ができないと成長もしないことを考えると、まずは失敗ができる『場』を積極的に作ることが必要だと思った。

想像力を欠いたバカ

2011年06月02日 | Weblog
バカップルとか親バカとかそんな言葉あるけれど、往々にしてそれらは好意的な意味で使われることが多いように思う。
あのバカップル微笑ましいな、
あの人もやっぱり親バカだったか、くらいな感じで。

でも、そうではない、人を不快にさせるような、行き過ぎたバカもいるもんだと知った。

自分が結婚したこと、子供ができたこと、そして今現在の自分の環境。
それらが唯一の幸せの道で、それを歩んでいる自分は人生の成功者であり勝ち組であると声と顔を大にして言い切る人。
そして、最もやっかいで信じられない事実は、そうすることで傷ついたり不快に感じる人がいるということに全く気付いていないこと。

結婚をしていない若者に対して、
「君の○○なところや××なところがダメだから結婚できないんだよ」
と説教をする。

「結婚しても子供を作らないなんて信じられないよ」
と、それぞれの事情も考えず(考えられず)平気で言う。

「結婚をすれば、毎日こんなかわいい子を見れるんだよ」
と言って、無理やり子供の写真を見せる。
(子供の写真を見たくないと思ったのは初めてだ。)


恐ろしく想像力が弱くて、他人の気持ちを考えるということができないんだろう。

結婚も一つの幸せ、子供も一つの幸せ。
でも、人生の中でのその幸せの比重は人それぞれ。
土足で他人の心に入り込んで、自分とは違うところは全て否定して、それで相手を幸せにしていると思っている。
そんなバカ。

そうやって考えていたら、この前テレビで観たNHKスペシャルの『クジラと生きる』という番組を思い出した。

クジラ漁を昔から続けている和歌山県太地町に欧米の反捕鯨団体が乗り込んできて、太地町の人たちと衝突するドキュメンタリー。
そこで感じるのは、反捕鯨団体の視野の狭さと想像力の弱さ。

「クジラは他の生物よりも賢くて文化をもつので、食用に殺してはいけない」
というどうにもおかしな強い信念のもと、人を見下すような、差別するような、人権を侵害するような、そんな行為で太地町の人たちを傷つけ追い込んでいく。
自分たちがしている行為がどんなに子供じみたことか、そして多くの人を傷つけているか、そういうことを顧みたり想像したりする力がない。
少なくとも、あの番組を見るだけではそう思った。

極端な、バランスを欠いた、そんな心や行動はよくない。